打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

理系による断食体験レポート①

コロナ太りしてませんか?

 

私もしてます。体重もですが、だらしないお腹が目下の課題。

 

デトックス9割、ダイエット1割目的で断食にチャレンジしました。それを実験レポート風に記します。

 

断食。ストイックなことに。チャレンジしたら、見たくなかった現実を、直視させてくれるものだった。

 

問題 

コロナによる外出自粛で、体重も若干増え、たるんだ体(特にお腹)をなんとかしたい。

特に、朝はペタンコでも、夕方以降にお腹が出てくるのが嫌。

 

背景

断食を決行する前の取り組みは以下。

 

ヨガ講師の友達に誘われ、断食に挑戦することに。この友人が素敵すぎて、決意できたと言っても過言ではない。  

 

仮説

2つの仮説を立てた。

  1. 体全体の贅肉が減れば、お腹も引き締まる。
  2. 日中に食べたものが原因で、夜にはお腹が出てくるので、断食すれば夜でもペタンコお腹であろう。

 

目的は解毒8割、ダイエット2割位で断食開始。

 

実験

断食のプロの指示は、

  • 断食前日は、砂糖、小麦、肉、カフェインを控える
  • 断食当日は、「酵素ドリンク、お水、ノンカフェインお茶のみ過ごす」
  • 断食明けは、大根やらお粥やら、離乳食と紛うほどの柔い食物から徐々に食べる

 

今回は人生2回目の断食。1回目は本を頼りに「水のみOK」断食※で、めちゃめちゃ辛かったが、今回は酵素ドリンクOKだったので、前回よりも遥かに楽だった。

 

 

午後17時くらいまで、特に異変も空腹感もなく過ぎたが、辛くなったので、断食マイスターの指示の元、塩入りの白湯を飲む。

 

塩があんなに美味しいとは、初めて思った。塩水なのに、甘く感じた。

 

1日だけ断食のつもりが、「まだ行けそう」と思い、2日連続で断食してみた。

 

結果と考察

  • 体重:  

1.5Kg減。食べ始めたら、増えると予測するが、完全には戻らないと思う。そりゃあ、食べないんだから、減るよね。自然の摂理。

 

  • お腹の贅肉

少し減った気がするものの、夕方〜夜になると下腹がだらしなくなる現象は、断食中も変わらなかった。つまり、私が日中に食した食べ物が、下腹の出っ張り原因ではない、と判明。

 

❌胃腸内の食べ物が原因で、夜には下腹が出る

⭕重力によって、下腹が出る。食物は無関係。

 

私の仮定は、裏切られた。

 

真の原因は、重力、g, gravity, 9.81 m/s2、それとも重力定数Gか。要するに、私の腹筋がなくて、重力に引っ張られる内蔵を支えきれていない。 これもまた、自然の摂理。ニュートン万有引力の法則が頭をよぎる。

 

「食べた状態」と「食べていない状態」で、A/Bテストをした結果だ。それ以外の変数はなかった。事実を直視せざるを得ない。

 

 

結論

今必要なことは、内蔵を支える筋トレをすること。※部活時代も真面目に練習はしてたが、筋トレと朝練嫌い。朝練がある部には入らなかった。

 

出産前、週2でベリーダンスをしていた頃は、それなりの腹筋もあった。長女れーちゃんは5歳だから、5年は経過。筋肉貯金も使い果たした。

 

うぉぉぉおお、筋トレ、イヤだぁ。でも、やんなきゃ。自らの体で実験した結果。理系人としては、真摯に現実を直視せねば。

 

 

しかも、タイミングが良いのか悪いのか、主人が「昨日、下腹に効くインナーマッスルの筋トレ方のYouTubeを見たよ」と言って、私にレクチャーしてくれたり。

 

加圧タンクトップも、断食も、私の腹筋を鍛えてはくれない。ストイックに取り組んだように見える断食も、結局は他力本願だった。

 

夕方にだらしなくなる下腹の原因も、対処法もわかった。もうやるしかないんだーー…逃げれない。

  

断食の目的は、お腹引き締めとダイエットであったが、それ以外にも様々な発見があったので、Part②として、続きを書きます。

 

断食は、断食中だけじゃなくて、断食明けも大事。実験は実験中だけではなく、レポートや考察が大事なのと同じ。

 

 

 

続きも読んでくださると嬉しいです。

 

 

 

 

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見ても嬉しくないSNS投稿③

コロナ自粛中に流行ってるもの。されど、私が見ても嬉しくない投稿③です。

 

  1. オンライン飲み会(お茶会)  
  2. 「美味しいごはん作った♥」写真
  3. ブックカバーチャレンジ(今日はコレ)

 

これが、外出自粛中の今の私の心が浮かない三大SNS投稿たち。 

 

その理由について自己考察中。

 

今日は③ブックカバーチャレンジについて。

 

オススメの本の表紙で、「ドヤっ!」と投稿されているのに、私は気圧されている。

 

よっぽとの美形でないかぎり、顔だけでは興味を持たない。本の表紙だって同じではないのか。

 

※ブックカバーチャレンジとは※

自分のお気に入りの本の表紙の写真を、7日間投稿し続けるバトン。次の人を指名して終わるチャレンジ。投稿には説明文を含めず、表紙のみを飾る。

 

こんな代物が、SNSを賑わせていた(いる)。

 

最初は、何とも思っていなかったのに、段々と私の感想は変わった。

 

初期:へー、こんな本があるのか。古い本を大事にしてる人もいるんだな。

 

中期:読書好きだと思っていた自分の無駄、かつ空虚なプライドが崩壊し始める。

 

終盤期:繁殖し過ぎたバイキンを見ているようで、スルーし始める。(が、完全にはスルーできていない←今ココ)

 

ブックカバーチャレンジを見て、面白くない理由はいくつかある。

 

理由その一:「意識高い系」の本にげんなり

ビジネス書、自己啓発書、○○仕事術、経済学。

 

私が苦手な本たち。

 

私は大して好きでもないくせに、「こういう本を、私も読むべきなんだろうか…」という強迫観念を抱きがち。

 

女子力と同じ。「意識高い系」の人の苦手な所は、「俺たち、凄い自分磨きしてる。やってない奴はカス」みたいに見下してる(と、私には見える)。はい、ここも被害妄想発動!

 

たとえ自粛中だろうと、この見下し感を出せるのはある意味感服する。

 

ブックカバーチャレンジを見始めた初期の頃、「この本は素敵だな」と思った本は、「星の王子さま」、「砂糖の世界史」、服飾デザインの歴史などなど極わずか。いずれもビジネスや仕事に全く関係ない本。

 

それだけ目にしてれば特に問題なかったのに、「あれ、私こんな本読んだことない…果たしてこれでいいのか」と焦りが出てきた。

 

いくら焦っても、読むつもりのない本に対して罪悪感や焦りを感じるなんてバカらしい。けど、感じてしまう。

 

ああ…これもまた、私のコンプレックスを刺激する投稿なのか。

 

 

理由その2:説明文がなく、表紙だけが投稿されてる

このブックカバーチャレンジのルールは、「私がこの本を好きな31の理由」はない。ひたすら表紙だけが投稿される。

 

ルールを自分流にアレンジして、説明文を加筆してる人もいる(こっちのが、見てて辛くはない)。

 

私なら、私の大好きなものを紹介するのに理由を言わずにはいられない。如何にそれが素晴らしくて、どう私を惹き付けるのかを語りたい。

 

たとえ、誰も耳を貸さずとも、一人よがりだろうと、大好きなものであればいくらでも語ってしまう。

 

素敵な顔面だけ見せられても、その人に惚れない。よほどストライクゾーンの顔面ではあれば、中身を知らずとも、「その人を知りたい」と思うかもしれない。

 

本だって同じじゃないか。

 

その人を知って、素敵だと思うから、人に紹介したくなる。

 

何か、特別なストーリーがあって、ただの本が、お気に入りの本になる。

 

たとえば、「砂糖の世界史」について言及したい。

 

「砂糖の世界史」という本が私の目をひいたのは、主人の愛読書(「緑の世界史」)に似ているからだ。「緑の世界史」は、二酸化炭素の歴史に焦点を置いた本。その作者に縁のある大学で勉強したい、とイギリスの大学院(University College London)に進学した。(これが偶然、私の母校でもある)

 

空気の歴史は、私も興味がある。なんせ、私は研究室時代、オゾン破壊の化学反応について研究していた ※。主人は社会的に、私は科学的に大気を見ていたのだ。(空気の研究をしていたとはいえ、私は空気読めないキャラ。)

 

※私が書いた論文が、化学ジャーナルにもある。研究から遠のいた今、自分が書いた内容がさっぱりわからなくなってる。

 

特定の物質において歴史を追うことは、面白いし、私にとって物凄く縁のある話。

 

本の表紙だけで「読みたい!」と思わせる魅力的な本は滅多にない。顔だけで結婚したいと思わせる人も滅多にいない様に。

 

友達全員の本棚には興味がない。その人が何を想うのか、に私は興味を馳せる。

 

理由その3:「ブックカバーチャレンジ」じゃないと、本を紹介しないのか

前述のとおり、大好きな本には思い入れがあるばす。オンライン・オフラインに関わらず、大好きな本であれば、特にきっかけがなくても紹介したくなるんじゃないか。(現に、私は時々読書感想文を公開している下らない感想も含む。)

 

チャレンジなんてなくても、思わず紹介せずにはいられない!位の熱量を持った、本ならぜひ読みたい。

SNSでも、不思議とそういう熱量は伝わる。)

 

 

理由その4:読書できる時間も機会もあるのに、携帯ゲームをしている自分を見たくない 

子どもと24時間生活。子どもが寝た後、大人しくテレビでも見てくれてる間。読書のチャンスはあるのに、私はそれを最大活用していない。

英語のクロスワードパズルにハマり、ゲーム時間 > 読書時間な私がいる。

 

はっきり言ってめちゃ意識低い。

 

読書って大好きだけど、没入するまでに時間がかかるし、忍耐力も必要とする。瞬時に快楽を味わえるゲームに、ついつい、子どもよりもスマホに手が伸びる

 

中断されても比較的イライラしないのがゲーム。本が破かれたら泣くし。

 

 

 

まとめ

 

ビジネス書が苦手だけど、嫌いでいてはいけないのではないか、と焦る私。

 

意識高い系を意識せずにはいられない、この意識低い私。

 

読書よりもゲームに時間を割いてる私。

 

こんな自分を直視したくない。ブックカバーチャレンジはそこを突いてくる。

 

 

もう、考え過ぎ。被害妄想過ぎ。コンプレックス過ぎ。

 

料理投稿に対して、「過ぎたるは及ばざるが如し」なんて言ったが、ブックカバーよりも、料理写真よりも、何よりも、私の脳内にこそ相応しい言葉かもしれない。

 

断食中で、脳みそおかしくなってきたのか。それともこっちが本性か。

 

 

ここまで思うのなら、SNS辞めればいいのにって?

 

いいえ。やめません。素敵な人々とも繋がっているから。

 

 

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見ても嬉しくないSNS投稿②

コロナ自粛中に流行ってるもの。されど、私が見ても嬉しくない投稿②です。

 

  1. オンライン飲み会(お茶会)  
  2. 「美味しいごはん作った♥」写真
  3. ブックカバーチャレンジ

 

申し訳ないが、これが、外出自粛中の今の私の心が浮かない三大SNS投稿たち。

その理由について自己考察してます。

 

①は、オンライン飲み会について

、今回は②「美味しいごはん作った写真♥」について綴ります。

 

SNS料理写真を見ると、なぜ私の心が浮かないかって、それは罪悪感とコンプレックス!被害妄想入ってる。

 

私は基本的に、料理はしない。我が家の料理担当は主人。

 

料理をしたくない理由は、面倒だから&汚れるから。要するに、そんなに料理が好きじゃない。

 

我々夫婦も色々も喧嘩し、協議し、やっと主人=料理、私=その他という分担で落ち着いてる。

 

「私が全てをやらなきゃ!!!」と思い込んでいた時期よりもずっとずっと幸せだし、快適。

 

それでもね、いつも思う。

 

「私、料理しない妻/母でよいの?!」

 

自分が幸せになるためには、私は料理担当ではない方が良い。それは夫婦間でも明らかにされている。 

 

されど、「料理は女が作るもの、家事は女がするもの」的な文化は、この体に、この国に、この世界に、染み込んでいる。

「理想の母親像」の呪いがつきまとう。

 

それを真っ向から否定するのは、心の体力がいる。そして、私にはそれがない。

 

「私はこ〜んな美味しそうでキレイな盛り付けの料理が作れるよの〜!」

 

という自己顕示が見えると、なんだか疲れてしまう。

 

そんなものは、私の被害妄想なのかもしれない。

 

私は料理に対してさしたる情熱もない。それでも、たまーーーに上手く作れた食べ物があれば、Instagramを更新してしまう。

 

全ての料理写真が苦手な訳ではない。「あ、こんなメニューもあるのか。作ってみよう」と、参考になるものもある。

 

無駄に女子力アピールしている物が苦手。

 

そもそも、「女子力」という言葉が好かない。「男子力」って言葉はないし、そもそも女子力の手前に人間力だろ!と。

 

数式で言うなれば、

 

人間力>女子力 の人は好き。

人間力<女子力 の人は苦手。

 

 

自分の鬼妻っぷりを刺激されるからなのか、女子力アピールする人たちに気圧されてるのか、ただの被害妄想なのか、わからない。

 

 

不思議とパティシエのお友達の投稿写真は、全く気にならない。むしろ「やっぱりプロは違う〜!!」と感動すら覚える。

 

美味しそうな自作料理の写真も、楽しいですよ。凄いですよ。でも、今、そればっかり目につく。

 

でも、でも、それが出来ない私がいる。

 

というか、本当は「したい」とすら思っていない。嫉妬ではない。けど、どこか罪悪感を掻き立てられてしまう投稿。

 

SNSは、「この人のフォロー、やーめっぴっ!」ってできるが、トピック毎のフォロー外しはできない。ハッシュタグ単位でフォローを辞めるってできるのかな。

 

投稿してる人たち自身は嫌いではない。けど、料理投稿が多すぎて疲れた。

 

普段は料理写真も嫌いじゃないのにね。

 

 

何事も過ぎたるは及ばざるが如し。料理写真も然り。

 

何を見ても、何が置きても、物事は捉え方次第。

 

自分が苦しむような捉え方をし始めたら、小休止したい。

 

私は、ポジティブに捉えたいのではない。ニュートラルに捉えたい。そう、動じない人になりたいのだ。

 

打たれ弱い私が、動じなくなるには…長い道は続く。

 

 

ちなみに明日は一日断食の予定。子供たちや主人が食べるものは考える必要はあるが、自分の分は考えなくてよい〜!!

 

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見ても嬉しくないSNS投稿①

この外出自粛中、流行っているもの。SNSに頻繁に現れる投稿。

 

  1. オンライン飲み会(お茶会)  
  2. 「美味しいごはん作った♥」写真
  3. ブックカバーチャレンジ

 

申し訳ないが、これが、外出自粛中の今の私の心が浮かない三大SNS投稿たち。

 

誰が何を投稿しようと自由だから、とやかく言うつもりはないが、どうしても、これらを見ても嬉しい気持ちにはならない。

 

なぜ私の心が浮かないのか、考えてみた。

 

その一:オンライン飲み会  

私は、今、オンライン飲み会(お茶会)に、全く興味がない。

24時間子供たちと一緒の生活。大人の自由時間は、子供の就寝〜自分の就寝時間のみ。

 

「たまたま20分だけ子供たちが大人しくしてくれていた」など、偶然、結果的に自由時間になった時間ではない。

 

確約された一時間、二時間が欲しい。それができたら、読むのを我慢してる本が破けても泣くことはなかった

 

 

(ま、子供が寝ている時間すら、完全なる自由の確約はないんだが。)

 

子供から解放されたお家時間で、やりたいことは山ほどある。

 

  • 先日破かれた本の続きを読む
  • それ以外の本を読む
  • ブログを書く
  • いずれ出版したい本の構想を考える
  • 日中やり残した家事 
  • 大人向けの番組を見る(ドキュメンタリーからバラエティまで)
  • ネットでダラダラ
  • 日記を書く

 

一人でやれることでも、ここまでやりたいことがあるのに、更に何よりも私は、夫婦だけでしっかり話す時間が大好きなのだ。

 

夫婦で話す時間は、私の一存だけでは実現しない。主人も主人一人でやりたいことが沢山あるのだ。

 

ただでさえも限られた子供フリータイム。正直、オンライン飲み会にまで回す余裕はない。優先順位は第50位くらい(つまり、今は不要ってこと。)

 

オンライン飲み会を主催する人、参加している人々、楽しそうだなー、とは思う。が、今の私に必要なものではなさそうだ。

 

オンラインにせよ、オフラインにせよ、私は大人数の会って苦手。基本的には1:1で話すのが好き。

 

だから、大好きな友人と1:1で電話することは、時々ある。

 

たとえば、この間話したのは、私のソウルメイトとも言える、イギリスの留学時代に出会った友人。もはや身内レベルの人とか。こればっかりは、本当にZOOMやらskypeやらネット通話のありがたさが本当に身に沁みる。

 

私の本当の身内、身内レベルの友人。

 

今の限られた自由時間内で、事前に約束してまで、一時間以上、話したいのはこの人たちだけ。

 

お仕事であれば、また話は別でしょう。そのためであれば、一時間以上誰かとお話しすることも、優先するはず。

 

だが、今の私にはそれもない。

 

オンライン講座、凄く素敵。そういう投稿も見る。素敵だなー、と思う半面、私はそういうコンテンツをまだ持っていなくて、なんだか焦りもある。

 

そんなことに焦るよりも、この「ママ、見て見て!!!」に応えることのほうが大切なのか?

 

次女ワカメちゃんが描いた絵、

長女れーちゃんが描いたお手紙。

 

クレヨンの殴り書きのような、大きな丸。ワカメちゃんは「だんご虫」を描いたのだとか。

 

上手な平仮名と、まだ下手くそな平仮名の混ざるれーちゃんのお手紙。 

「まま、ぱぱ、ワカメちゃん、みんなだいすき」 だって。

 

「まま、だいすき」と書くのは一番上手。きっとこれが一番何度も何度も描いた文字なのだろう。

 

保育園に通えていた時期は、保育時間中に書いたお手紙を何枚もくれたことがあった。それにも、「まま だいすき」のお手紙が沢山あったっけ。

 

「まま だいすき」か…。

 

ストレス耐性が弱くて、とても「良い母」とは言えない私を、「だいすき」と言ってくれる。

 

その娘を前にして、うだうだ考えてる自分って…

色々と考えてしまう。

 

 

「自分は何もしていない気がする…」

 

オンライン飲み会や、オンラインセミナーの投稿は、自分にそう思わせてしまうもの。

 

けど、けど、現実的に、この子守月間の中、何もできない。

 

何かしているようで、何もしていない。ひたすら、子供たちと過ごす日々が、いつかは懐かしくなるのかな。

 

とにかく、今も、どんなときも、「今自分ができること」「今、自分が求められていること」をするしかないんだな。

 

それは娘たちと遊んだり、娘たちに人形寸劇(台本、演出、私)を見せたりすることなのだ。

 

心が浮かない理由、「オンライン飲み会」編について書いていたら、長くなってしまった。

 

 

 

残り(↓)は、別記事に書きます。

 

その2:「美味しいごはん作った♥」写真
その3:ブックカバーチャレンジ
 

これらも、結局自分の「何かしていない」を刺激するものなんですよね。

 

また追々。

 

 

 

 

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続、本を書いてみたい

本を書いてみたい、の続き。

プロに相談してわかったことは、

 

  1. 作者の思考によって、本そのものの捉え方が異なる
  2. おすすめ文体も異なる
  3. 読み手とのお付き合いの仕方も違う

 

そして、私みたいな人にオススメなやり方を教えてもらった。

 

今回は私の本について書くが、何かしら作品を作る人には役に立つかも。

 

順を追って、1-3の詳細を書きます。

 

1.作者の思考によって、本そのものの捉え方が異なる

思考には大きく分けて2タイプ。

  • デザイナータイプ
  • アーティストタイプ

 

あなたはどっちでしょうか。

 

プレゼン資料、絵、本、服、料理、なんでも。

人が何かを作る時、どんな思考をたどるのか。人によってそれが分かれるとな。

 

前者はニーズに答えるような作品を作りたい人々。後者は自分が表現したいものを作りたい人。

 

私は完全に後者のアーティストタイプ。

会社員時代は、もちろんニーズに答える仕事をしてたが、本質はアーティスト。「そこまで、こだわる?」的な仕事を黙々と、業務外なのにやってたり。(いや、何かしら喋ってたから、黙々と、は嘘だ。)

 

アーティストタイプ。

要するに、「俺の世界観はこれなんだ!これが好きじゃない人は、来なくて結構。これが好きな人にだけ届けば良い」というタイプ。

 

身近な人で思い浮かんだアーティストタイプは、昨年知り合った服飾デザイナーの木場さん。彼の世界では、イギリス式スーツだけがスーツで、他の細身スーツなんぞは紳士服と認めないとか。(昨年、私はフルオーダーのコートを一つ作ってもらった。とてもとても素晴らしいものです。糸一本にまで、愛を感じる。)

 

私のブログって、正にそういう感じ。今までネガティブ反応を頂いたこともあれど、「そういう人は読まなくていいよ」とお伝えしてきた。

 

自分が好きな物を作りたい。自分が書きたいものを書きたい。

 

これを好きになってくれる人がいたら凄く嬉しい。

 

けど、大人数に好かれるために、自分が思ってもいない事を書いたりできない。

 

お金になるけど、自分の意に反することをやるなんて、「魂を売る行為」だと思っているくらい。ちょっと極端。

 

完全にアーティストタイプである。

 

 

2.おすすめ文体も異なる

大まかに分けて、文体はこの3つ。

  • 講演/体験記
  • 実用書(How to本)
  • エッセイ/コラム

 

どんな文体があるのか?までは、大人数講座でもわかった。出版プロとの個人相談では、私へのオススメがわかったこと。

 

ずばり、エッセイだそうで。

 

私は講演したことないし、私の書いてる話は実用的ではない。なんせタイトルが、打たれ弱いママの徒然日記。ご本家の徒然草は非常に面白いが、決して実用的ではない。

 

ブログの記事もよいけど、本を書くなら、もっと自分色を足して加筆すると良い、とオススメされました。

 

いつ完成するかは未定ですが、ただのブログ記事の寄せ集めではなく、もっと肉厚にする予定。エッセイならばオチもつけたいなぁ。

 

私が好きなエッセイ作家は、さくらももこ塩野七生

あ、もちろん、徒然草も大好き。このブログのタイトル「打たれ弱いママの徒然日記」にも拝借する位好き。彼らのオチには学びたいところ。

 

 

3. 読み手とのお付き合いの仕方も違う

ここについてもプロにしっかり解説してもらいました。

 

そしたら、今まで尻込みして、「本を出してみたい」気持ちを公表できなかった理由がよくわかりました。

 

沢山お見かけします。起業して自分のお仕事をガンガン宣伝している方たち。パワー凄いなぁ…とは思えど、なんか、私はそういう風にやれない…気が引ける…

 

アーティストタイプの私は、ガンガン宣伝したらいけないそうです。性に合わない!だから今まで尻込みしてたんですね〜。

 

facebookで秘密のグループでも作ってみたら?」

 

恥ずかしくて一度もやってなかった。

いや、箱だけ作ったが、恥ずかしさのあまり、誰も招待することなく削除したfacebookグループがあった位…

 

今回はその恥ずかしさを捨て、作ってみた。

プロのアドバイスってすごいね〜!

 

この長いブログを末尾まで読んでくれた貴方、本当にありがとうございます。

 

末尾まで付き合ってくれる人だけに、グループのリンクをご案内します。

 

私を応援したいな、と思ってくださった方に入って欲しいです!

 

こちらです。

 

感想を教えてくださったり、「私も実は似たようなことで悩んでて…」みたいなお話をする場でもなんでもOKなグループにしたいなぁ。

 

 

コロナ太り、肉の大移動

みなさん、コロナ太りしてますか?

 

私は、してます。

去年の秋に比べると3-4キロほど増えてるよ〜。

 

私は元々、太りにくい体質で、ストレスでは痩せるタイプなのですが、今回のコロナでは違って、普通に太りました。

 

この際、体重は増えても減ってもどっちでも良い。贅肉がなんとかならないか、これが目下の課題。

 

体重よりも体型。

その昔、ベリーダンスを踊っていた頃は、それなりに腹筋もあったが、痩せてはいても、筋肉は衰える一方。

 

お腹引き締めのため、加圧タンクトップを買ってみた。肋骨〜下っ腹辺りまでを圧迫するタンクトップ。

 

効果ありなのか?なんか、くびれがハッキリしてきた!

 

と喜ぶのもつかの間。

 

脇腹の贅肉が減った代わりに、お腹の前側に脂肪が増えてる気がする。

 

これって贅肉が移動しただけでは…?

 

☓加圧タンクトップで痩せる

○加圧トップで、脇腹の贅肉が前側に移動した

 

民族大移動ならぬ、肉の大移動。

 

筋トレもしてないし、体重の増減もないわけだから、贅肉がこつ然と姿を消す訳もなく。

 

質量保存の法則。

 

他力本願な加圧タンクトップではなく、真面目に対策せねば。

 

運動不足で体中の毒素が溜まっていそうだし、一旦リセットするために、プチ断食ならぬ、もうちょい本格断食にチャレンジします!

 

昔一回だけ、一日だけ断食してみたら、相当でとになったんだよね。

ちょうどヨガ講師やってる友人に誘われた所だし、やってみよー。

 

 

分かち合えるために必要な条件

人が物を分かち合う理由ってなんだろう?

 

自分の取り分が減ってでも、分かち合いたい理由はなんだろう?あの時、どうして娘たちは大好きなドーナツを分けてくれたんだろう

 

分かち合うのが苦手な私が、その理由を考えてみた。

 

結局は、○○が満たされていることが必要みたい。

 

長女れーちゃん(5歳)は、本当に小さいときから、分かち合えるタイプの子です。なんで私からこんな子が生まれたのか、と思うほど。

 

たとえば、去年の出来事。当時4歳だったれーちゃんと私は二人で近所にドトールに行った。妹が生まれて以来、ママと二人だけでお出かけの機会は滅多にない。近所のカフェと言えど、私もれーちゃんもウキウキ。れーちゃんはお気に入りの羊のぬいぐるみ、通称「ひったん」も一緒に出かけた。

※カフェでは非常に「ひったん」をかわいがっていたが、帰宅したら玄関付近にポイッと放置されてて、私はひっそり、「ひったん」に同情した。

 

私はミルクレープを、れーちゃんはワッフルを頼んだ。「いただきまーす」をした途端、れーちゃんはワッフルを半分にちぎり、ママに分けてくれた。

 

なんと!ママにはママにお菓子があったのに!しかも「その分ママのケーキを頂戴」とかも言わない。ただ、与えてくれたのだ。(買ったのは私だけど…親だから当たり前だし、それは「与えた」とは言わない気が…)

 

なぜ、れーちゃんは、見返りも求めず、ママに分けてくれたのか。

 

去年のドトールでは、「れーちゃんは本当に良い子なんだな。だから、嫌がりもせずに自然に分かち合えるんだな」と思っていた。

 

そして、先日の我が家のドーナツタイムでも、れーちゃんは自然に、自ら分けてくれた。

 

次女ワカメちゃん(2歳)は、妹らしく(?)人に分ける事よりも自分の分の確保に忙しいタイプ。末っ子三女である私もこのタイプ。

 

れーちゃんがドーナツを分けたら、ママがれーちゃんをとっても褒めた。それを見て、ワカメちゃんもドーナツを分けてくれちゃったり。

 

なぜ、ワカメちゃんは分けてくれたのか?

 

褒められたかったから?

 

いや、違う。

 

「こうするとママが喜ぶんだ!」

 

とわかったから、分けてくれたのだ。

 

 

人の喜ぶ顔が見たいから、

ママの喜ぶ顔が見たいから、分けてくれる。

 

主人も、娘たちの喜ぶ顔が見たいから分かち合える。

 

誰かの喜ぶ顔見たさに、人は分かち合えるものなんじゃないか。

 

冒頭のとおり、私は基本的には、分かち合うのが苦手だ。

 

では、私はなぜそれが苦手か?

 

 

誰かの喜ぶ顔を見たい、という欲求は、本来誰にでもある。それが第一欲求か、第二以下か、という所が違い。

(吸血鬼と人間の恋を描いた「トワイライト」にも似たような事が書いてあった。全ての吸血鬼は、人間らしい欲望を持っている。ただ、血を求める欲望の下に埋もれいるだけ、とか。)

 

では、性善説的に見れば、私にも「誰かの喜ぶ顔が見たい」欲求があるはず。

 

色々考える。

 

「誰かの喜ぶ顔が見たい」が一義的な欲求になる条件は、自分が満たされているといことではないか?

 

シャンパンタワーは、一番上のグラスが満杯になって初めて、下段にもシャンパンが溢れて行く。それと同じか。

 

私ったら一体何が満たされていないのか…

 

 

主人や娘、分かち合える人たちにか込まれて暮らすのは、嬉しい反面、自分の分かち合えなさが目について辛い。

 

けど、反面思う。

 

主人も、れーちゃんも、きっと満たされている。私は、家族の前で泣いちゃったりするけど、この三人が「満たされている」と感じるのに役立っているんだな、とも。

 

 

そもそも、最初から分かち合うつもりだった主人。

 

ママの「チョコドーナツいいね!!」一言に反応して、分けてくれるれーちゃん。

 

ママの「まあ、れーちゃんってば、あんたなんて良い子なの!」という感嘆に満ちた褒め言葉に背中を押されて、ドーナツを分けてくれたワカメちゃん。

 

分かち合うのが苦手だからこそ、こんな分析をしてみることもできたり。

 

 

三人とも、ドーナツを割と食べた後だったから、「分けてもいいや」と思えていたのかもしれない、もし一口も食べていない時だったら、分けてくれたかどうか…

 

なんて、邪推もしてみたり。

 

私ってば、性善説なんたが、性悪説なんだか。

 

今日はホットケーキを焼いた。ホットケーキはすんなり分かち合えるが、多分、肉は分けれない。自分がたっぷり食べた!と思ってから、やっと分けるんだ!

 

分かち合うのが苦手な人がいたら、伝えたい。なんだか、罪悪感を持ってしまうかもしれない。それは、良し悪しではなく、性質だから、罪悪感を持つ必要はないかもしれない。

 

分かち合えない人がいるからこそ、分かち合える人の素晴らしさがわかるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

本当は、分かち合うのが、苦手

あなたは分かち合うことできますか?

自然に?我慢して?それともできない?

 

私は、分かち合うことが苦手です。

 

先日の二児のワンオペ散歩の後、ドーナツを買って帰宅。

 

ドーナツが教えてくれた「分かち合い」についてのお話です。

 

ノーストレスで二児のワンオペ外出が過ごせたのは、ドーナツのおかげだった。

 

帰宅して、家族4人でおやつタイム。

 

長女れーちゃんと、次女ワカメちゃんは、イチゴチョコがたっぷり乗ったドーナツ。(二人ともイチゴそのものは嫌いなのに)

私はモチモチのポンデ黒糖。

主人はドーナツの円の180度分にチョコがかかったドーナツ。

 

私が、夫婦用にコーヒーやお茶を淹れてるその間、あっという間に、次女ワカメちゃん(2歳)は自分のドーナツを完食。

 

完食したワカメちゃんは、パパのドーナツをじーと見つめ、つぶやく。

 

「それなに〜?」

 

そりゃあ随分可愛い声で。

 

狙ってる狙ってる(笑)

 

もっと食べたいのかな、と、私のドーナツをお裾分けした。ポンデリングの一ちぎり。1/8ずつ、れーちゃんとワカメちゃんに上げた。

 

それでもなお、ワカメちゃんの熱い目線は消えない。パパのチョコドーナツ欲しい!!と。

 

主人はドーナツのチョコがかかった部分を、娘たちにおすそわけ。チョコがけの部分を分けるとは、太っ腹だなぁ…と、私は見ていた。私だったらお裾分けできないかもしれない。

 

私「チョコのドーナツ!いいね!」

 

嬉しそうにチョコドーナツを食べる娘たちを見てて、言った。

 

私「チョコのドーナツ、嬉しいね。いいなぁ!」

 

れーちゃんはチョコがけの部分を分けてくれた。私は子供たちから分けて貰おうなんて、微塵も考えてはいなかったのに。

 

「まあ!れーちゃん!あんたってばなんて良い子なの。」

 

そう言ってたら、つられてワカメちゃんもママに分けてくれた。

 

全員がわけあいっこしたドーナツタイム。ドーナツの奇跡。

 

私はこの出来事もこっそり、でも、しっかりと分析していた。

 

私はね、本当は、分かち合うことが苦手なんです。

 

生まれ持った性格のせいか、育った環境のためか、理由はわからん。が、基本的には自分の食べ物を分けるのは苦手。

 

5歳の娘が自ら、分かち合ってくれるのに、恥ずかしい。が、それが私なんだよねぇ。

 

今回、私は、自分のドーナツを娘たちに分けた。それも、ストレスなく、ごく自然に。

 

これが、肉だったら、きっと分けれなかった。

これが、ドーナツだから、自然に分かち合うことができた。

 

理由は、私が肉好きだが、甘党ではないから。

 

どの程度の肉好きかというと、大概、結婚式当日の花嫁は忙しくて食事を食べれないのに、私は肉だけは完食した。(しかも、これをきっちり友人に目撃されてた(笑))

 

私は、甘党ではない。だから、ドーナツを丸々一個食べなくても全然平気。むしろ一個じゃ多いかもしれない。

 

頼まれずとも自然に分かち合える5歳のれーちゃん、ママが喜ぶ!と知って分けてくれた2歳のれーちゃん。

 

分かち合うことが苦手な私から、こんな二人が生まれてくれるとは。

 

みんなで分けっこして、楽しかったおやつタイム。

 

今回は分かち合えたけど、いつもは中々分かち合えない、好物のお肉なら自分が凄くダメな人間に思える。

 

分けたくないのではない、私が沢山食べたいのだ。悪意はない。けど、決して褒められる行為ではない。

 

どうして、自然に分かち合える人と、それが苦手な人がいるんだろう。

 

どうして、私は前者じゃないんだろう。私は分かち合うことは、苦手だ。

 

子育ての嬉しいのは、子供たちの善良な心が表現されている時。

 

子育てが辛いのは、自分にはその善意が持てない時や、自分の辛い思い出が刺激される時。

 

「自分は子供時代、○○をできなかったのに、私の子たちはやってるよなぁ…」(嫉妬?)

「我が子程、こんなに性格良い子じゃなかった」(自責)

 

 

好物って、実は災いも伴うのかもしれない。好き過ぎて、人に分け与えることができなかったりもする。

 

ドーナツは美味しい。

が、一番好きな食べ物ではない。

 

その位の方が、シェアすることを嫌悪したりしないのかもしれない。有限のものに関しては。

 

自分の大好物であっても、自然と分かち合えるような人間に、なりたいなぁ。

 

子供たちが眠った後に、テーブルに一人座る。昼間は、ドーナツを仲良く食べていたテーブル。そこで、自分の至らなさに涙してしまう。

 

これと言って、特別ではなかったドーナツというお菓子が、私にとって特別なものになった。

 

ドーナツ屋さん、れーちゃん、ワカメちゃん、そして主人よ。みんな、ありがとう。

 

もっと、自然に分かち合える様な豊かな心のママに、少しずつ、なれる努力をするね。もちろん、自己犠牲はしない範囲で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふざけたペンネームか、実名か??

本を書いてみたい。

それは先日書いたとおり

 

それにあたり、悩んでおります。

 

 

実名で出すべき??

ペンネーム使うべき??

 

主人に相談したら、真面目にふざける答えが返ってきた。

 

主人に相談したら、キレッキレのエッジが効いてるペンネームにすべし、と言われたよ。

 

例1:「○○の会会長」。会員は私一人なのに、サークルっぽく振る舞う。

 

たとえば、理系、末っ子、イギリスかぶれ、という私の属性をとって…

 

  • 文系撲滅の会(文系になん罪もないけど、理系の私の逆恨み)
  • 第一子を潰す会(第一子になんの罪もないけど、末っ子の私との相いれなさを書く、とか?)
  • アメリカ英語を認めない会(イギリス英語至上主義)

 

など。主人の提案は面白いが、ちょっとエッジが効き過ぎ感が否めない。むっちゃ恥ずかしいペンネームじゃん。ものすごく極端!

 

例2:商標っぽく「○○の気持ち」。

たとえば、「理科の気持ち」。

 

理系の私、でもかなり感情的なところもあるので、「理科の気持ち」とな。

 

理科だけど、理科の理論じゃなくて、気持ちとな。気持ちだけど、理科??

 

おいおい、「ねこの気持ち」じゃあるまいし。

 

「理科の気持ち」ってペンネームだとしたら、どんな本を書くことになるんだろう。

 

 

オススメのペンネームがあったら、募集します。

 

私の一番身近な人(主人)がここまでぶっ飛んだ提案してくるので、どんな変化球も受け取りはします。

 

 

 

 

 

 

ドーナツが救ってくれた、ワンオペ散歩戦略

自粛中とはいえ、全く外出しないわけでもなく。娘二人を連れてお散歩に行った。

 

私は二児の母なのに、ワンオペで二人を連れ歩くのは苦手!めっっっっちゃ嫌!

帰宅時間とか、場所とか、コントロールできない感じが。二人それぞれが勝手な方向に行く監視が不可能になる感じが。

 

ゆえ、たかが散歩でも、戦略が必要なのだ。今日の散歩の戦略は3つあった。

もう、準備してないと不安な私。ネガティブ星人。(留学の準備は適当だったのに、性格でも変わったのか。)

 

戦略①:移動はママチャリ

自転車のチャイルドシートに縛り付け…もとい、座っているので、二人が別方向に行ってしまう心配がない。安全面でもこれが良い。

 

 

戦略②:キャラクターの魅力&適度な狭さ

公園の遊具で遊べない今、外の遊び場は少ない。その少ない遊び場が、窓越し(おもちゃのディスプレイが楽しめる所。

公園よりも狭い面積なので、監視可能の視野内に収まってくれる。

 

キャラクターやおもちゃに食いつく娘たち。おもちゃ屋のプロは凄いなぁ。物凄く、かわいく、魅力的に並べている。可愛くて買いたくなっちゃう♥(いや、買わんけど。)

 

娘たちが、プリキュアやすみっコぐらしなど現代のキャラに目を輝かせる中、私がセーラームーンのグッズに心惹かれていた事は内緒。セーラームーン。私にとっては永遠のスター。

ムーンスターパワー!(私が好きだったのはマーキュリー。)

 

戦略③:ドーナツ

自分のコントロールが効かない子供と一緒でも、自分の望むタイミングで帰れる魔法の言葉があった。

 

「さ、ドーナツ🍩屋さん行こう♪」

 

このワンオペ散歩もそろそろ辛くなりそう…。そのタイミングで、ドーナツ🍩ロケット、発射。

 

 

砂鉄が磁石に引き寄せられるように、れーちゃんもワカメちゃんも、走って自転車に戻った。笑いながら。

 

砂鉄が引き寄せられる様ってそんなに美しくないんだよねぇ。ここで砂鉄が頭に浮かぶ私のセンスって…(´・ω・`)。あ、砂鉄の波紋の形はキレイなんですよ。

 

 

ドーナツの魔法により、ワンオペ散歩は無事に終わり、帰宅に至った。恐怖の二児のワンオペ散歩も、一度もイライラせずに済んだ。私にとっては、奇跡に近い。

 

そして、ドーナツの魔法は、帰宅してからも続く。

 

続く

本を書いてみたい

このブログは、次女ワカメちゃんが生まれてから始めたもの。(これが初記事!)

ブログもワカメちゃんもこの夏で3歳。

 

三周年を記念して、本を出してみたいな〜。

 

とはいえ、どうやって作るものなのか。

 

「本を書いてみたい」願望はずっとあったものの、それを公言したことはない。なんか、恥ずかしいし、ずーっと尻込みしていた。

 

その尻込みがある中、なぜそれをブログで公言しようと思ったのか?を書きます。

 

結構恥ずかしいのーーー!

 

「本って、どうやって作るのか?」

 

内容の書き方について、2月に「電子書籍の作り方」一日講座に行った。

 

講座では「自分のコミュニティを作ろう」的な話をされたが、これ私、とっても苦手で!!!

 

こう、セルフプロデュース?とかコミュニティ作りに対して強烈な苦手意識があって、進まない。書くだけなら何の抵抗もないのに。。

 

でも、きっとこれを進めなければならないんだな、と先日感じた。

 

自分と向き合わなければ。

 

と。

 

きっと、本を書いてみることが、それにつながる、と。

 

そう思うきっかけをくれたのは、湿疹だった。

 

原因不明の湿疹が、しかも顔全体。

 

アトピー体質で、肌荒れには慣れるが、顔の肌荒れには慣れていなかった。

 

ボッコボコの真っ赤な顔に。鏡を見る度に落ち込むし、顔全体を掻きむしりたい痒さと苛立ちを感じた。少しでも暑くなると顔の赤みが増す。

 

どう考えても、原因はストレス。

 

どんなストレスって「自分らしい活動をしていない」ストレスだと思う。

 

家事も子育ても大事だよ。でも、私は、仕事がしたい。

 

コロナの影響で、仕事は全キャンセル。新しい仕事探しって感じでもない。

 

考えると「保育園がない今は仕事はできないよ」と、ストレスになる。だから、自粛中に仕事のことも、自分らしい活動のことも、蓋をしていた。本当は、そういうことを考えるのが大好きなのに。

 

自粛中は、子育てと家事しかしてなくて、そんな自分を見つめるのが嫌で、自分と向き合うことを避けていた。

 

「そうするとストレスになるから」と、如何にもな言い訳もつけて。

 

自分の感情に蓋をしていたら、体から危険信号が出てきた。それが顔が赤くボッコボコになる湿疹だった。

 

コロナの現状はどうしようもない。家にいるしかない。子供を、家族を、守らなければならない。

 

そんな中でも私が続けていることが、ブログだった。

 

この状況下でもできる、私にとっての「自分らしい活動」って、本を書くことかもしれない。

 

そう思って、友人のご紹介で、出版のプロに相談してみた。予約をした時から、顔の湿疹が改善されてきたのでびっくり。

 

ちょうど、昨夜、出版にプロとのセッションだった。

 

昨夜には、お肌もほぼ、元通りに。

 

 

死ぬような病ではないが、これまでも、病気で苦しい想いも沢山した。けど、病気がもたらしてくれた学びがある。その学びがなくては、今の私も、家族もいないような学びが。

 

 

結局は、病気ってのは、私に何かを決意させてくれるものなのかもしれない。何か、現状を変えるための決意を。

 

 

 

PS「このブログ記事面白かった」というものがあれば、教えてくださると嬉しいです♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宗教は支配の道具。一神教は特に。

コロナにより、お祭りが軒並み中止・延期になっている。

 

東京の江戸っ子育ちである私は、お寺(仏教)の娘といえど、祭り(神道)と共に育ってきた。

 

そんな街でも、日曜日は、教会の礼拝の鐘が鳴り響いた。

 

神道、仏教、キリスト教、そんな複数の宗教が入り交じる中、一神教多神教の違いでも論じてみようと思う。

 

日本語で祭り、英語でfestival。人が集まって何かをお祝いするというのは同じだが、決定的に違うのは神の居場所。

 

人間が神のおはす場所まで、足を運ぶのか。

神が人間の所まで、来てくださるのか。

 

祈りという行為を、いつどこで行うのか。それが指定されるのが一神教であり、指定されないのが多神教だと思う。

 

キリスト教の教会も、イスラムのモスクも、一箇所に一つであることが多い。小さな村では「教会」といえば一箇所に限定される。そして、決まった時間に礼拝があり、そこに人が集まる。

キリスト教なら日曜の午前礼拝、イスラム教ならば1日5回のお祈り、などといった所だろうか。

 

神社というのは、村に一つだけしかない、とは限らない。一つの村の中に、稲荷神と龍神、寺院が共存することは多々あるし。だが、日単位、週単位、月単位と短い周期で繰り返す、決まった時間でのお祈りはないと思う。

 

寺の坊主が毎朝御経を読むことはあれど、宗教関係以外の人がそれをするのは稀だ。(私の父は仏教寺院の住職だが、仕事以外に御経を読んでるのを聞いたことはない。遥か昔、私が生まれる前には御経の練習してたのかしら…)

 

※仏教は、多神教なのか、一神教なのか。議論はあれど、私は仏教は多神教だと思う。理由は、仏は複数種類存在するから。(菩薩が出世したら阿弥陀になる、など。キリスト教世界では、「大イエス」とか「中イエス」なんて存在しない。そんな呼び方したら不謹慎と言われそう)

 

いずれの宗教においても、お祈りや日頃の感謝は良きこととされており、それには全く同感。

 

その場所や時間を指定するのか否か。

 

そこに大きな違いがありそうだ。

 

時間も場所も指定しないからこそ、「神輿」という存在が思いつくのだ。神輿は、英語では portable shrine 、持ち運び可能神社。人間に担がれた神様が、氏子の町を見回り、人々は祈りを捧げたり、酒を浴びたりしているわけだ。

 

キリスト教文化で育った欧米人には、非常に理解しにくいコンセプトだ。

 

彼らにとっては、人間が神様のもとにわざわざ足を運び降臨を願うものであって、神様を担いで歩き回るなんてとんでもないこと。

 

唯一神の発想である多神教では、「神が今、ここに存在するならば隣町には今いないのではないか」とか思うのだろうか。(同時時刻に、2つの場所には存在してはいけないミッキーマウスのようだ。そういう意味では彼も神格化されているか。)

 

 

まあ、彼らにすれば、神を担いで歩き回ること自体がとんでもないのだ。

 

 

宗教とは古来から、人々を支配するための道具として使われて来た。

その昔のキリスト教会議でも、三位一体説が選択され、一神教色がますます強くなった。他説は認めない!的な。

 

  • 場所(教会?モスク?)
  • 時間(礼拝タイム?)
  • 行動(お祈りの時の呟くセリフ、歌、お辞儀の仕方など)

 

場所も時間も行動も指定したら、支配しやすいのかなぁ…

 

 

日曜の朝に聞こえた、教会の鐘一つでここまで思いを巡らせる私ってば、なんと気難しいことか。

 

こんな脳みそだから、自粛の苦しさの中、本が破けて泣くほどストレスを溜めてしまったのだろうか。

 

いずれにせよ、宗教は今も昔を支配の道具に使われている。姿形を変えて、きっと、人類と共に存在し続ける。

 

※私は宗教のプロでもなんでもなく、私が書いた各宗教の習慣なんて、てんで、間違ってるかもしれません。あくまで個人的意見ですので、あしからず。不快な思いをされた敬虔な信者さんがおりましたら、この不届き者に一言教えてくださると嬉しいです。