あなたは分かち合うことできますか?
自然に?我慢して?それともできない?
私は、分かち合うことが苦手です。
先日の二児のワンオペ散歩の後、ドーナツを買って帰宅。
ドーナツが教えてくれた「分かち合い」についてのお話です。
ノーストレスで二児のワンオペ外出が過ごせたのは、ドーナツのおかげだった。
帰宅して、家族4人でおやつタイム。
長女れーちゃんと、次女ワカメちゃんは、イチゴチョコがたっぷり乗ったドーナツ。(二人ともイチゴそのものは嫌いなのに)
私はモチモチのポンデ黒糖。
主人はドーナツの円の180度分にチョコがかかったドーナツ。
私が、夫婦用にコーヒーやお茶を淹れてるその間、あっという間に、次女ワカメちゃん(2歳)は自分のドーナツを完食。
完食したワカメちゃんは、パパのドーナツをじーと見つめ、つぶやく。
「それなに〜?」
そりゃあ随分可愛い声で。
狙ってる狙ってる(笑)
もっと食べたいのかな、と、私のドーナツをお裾分けした。ポンデリングの一ちぎり。1/8ずつ、れーちゃんとワカメちゃんに上げた。
それでもなお、ワカメちゃんの熱い目線は消えない。パパのチョコドーナツ欲しい!!と。
主人はドーナツのチョコがかかった部分を、娘たちにおすそわけ。チョコがけの部分を分けるとは、太っ腹だなぁ…と、私は見ていた。私だったらお裾分けできないかもしれない。
私「チョコのドーナツ!いいね!」
嬉しそうにチョコドーナツを食べる娘たちを見てて、言った。
私「チョコのドーナツ、嬉しいね。いいなぁ!」
れーちゃんはチョコがけの部分を分けてくれた。私は子供たちから分けて貰おうなんて、微塵も考えてはいなかったのに。
「まあ!れーちゃん!あんたってばなんて良い子なの。」
そう言ってたら、つられてワカメちゃんもママに分けてくれた。
全員がわけあいっこしたドーナツタイム。ドーナツの奇跡。
私はこの出来事もこっそり、でも、しっかりと分析していた。
私はね、本当は、分かち合うことが苦手なんです。
生まれ持った性格のせいか、育った環境のためか、理由はわからん。が、基本的には自分の食べ物を分けるのは苦手。
5歳の娘が自ら、分かち合ってくれるのに、恥ずかしい。が、それが私なんだよねぇ。
今回、私は、自分のドーナツを娘たちに分けた。それも、ストレスなく、ごく自然に。
これが、肉だったら、きっと分けれなかった。
これが、ドーナツだから、自然に分かち合うことができた。
理由は、私が肉好きだが、甘党ではないから。
どの程度の肉好きかというと、大概、結婚式当日の花嫁は忙しくて食事を食べれないのに、私は肉だけは完食した。(しかも、これをきっちり友人に目撃されてた(笑))
私は、甘党ではない。だから、ドーナツを丸々一個食べなくても全然平気。むしろ一個じゃ多いかもしれない。
頼まれずとも自然に分かち合える5歳のれーちゃん、ママが喜ぶ!と知って分けてくれた2歳のれーちゃん。
分かち合うことが苦手な私から、こんな二人が生まれてくれるとは。
みんなで分けっこして、楽しかったおやつタイム。
今回は分かち合えたけど、いつもは中々分かち合えない、好物のお肉なら自分が凄くダメな人間に思える。
分けたくないのではない、私が沢山食べたいのだ。悪意はない。けど、決して褒められる行為ではない。
どうして、自然に分かち合える人と、それが苦手な人がいるんだろう。
どうして、私は前者じゃないんだろう。私は分かち合うことは、苦手だ。
子育ての嬉しいのは、子供たちの善良な心が表現されている時。
子育てが辛いのは、自分にはその善意が持てない時や、自分の辛い思い出が刺激される時。
「自分は子供時代、○○をできなかったのに、私の子たちはやってるよなぁ…」(嫉妬?)
「我が子程、こんなに性格良い子じゃなかった」(自責)
好物って、実は災いも伴うのかもしれない。好き過ぎて、人に分け与えることができなかったりもする。
ドーナツは美味しい。
が、一番好きな食べ物ではない。
その位の方が、シェアすることを嫌悪したりしないのかもしれない。有限のものに関しては。
自分の大好物であっても、自然と分かち合えるような人間に、なりたいなぁ。
子供たちが眠った後に、テーブルに一人座る。昼間は、ドーナツを仲良く食べていたテーブル。そこで、自分の至らなさに涙してしまう。
これと言って、特別ではなかったドーナツというお菓子が、私にとって特別なものになった。
ドーナツ屋さん、れーちゃん、ワカメちゃん、そして主人よ。みんな、ありがとう。
もっと、自然に分かち合える様な豊かな心のママに、少しずつ、なれる努力をするね。もちろん、自己犠牲はしない範囲で。