打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

ブラックホールな協力体制

先日ニュースになったブラックホール撮影。研究者達は本当に嬉しそうに発表していましたね。ニュースを見た、主人が言った一言。

 

「人類はこういうことならば協力しあえるんだ」

 

それが、なんだか感慨深い。

 

こういうこと「なら」協力しあえる。つまり、協力できていない事がある、ということを示唆している。

 

令和、一発目のブログはブラックホールから始まる。

 

なぜ宇宙研究で、ブラックホール撮影について、人類は協力できたのか、協力できない事柄はどうして協力できないのか、を考えてみた。

 

宇宙研究者ってどんな人?】

宇宙研究って本当に凄い。触ることも再現することもできないものを、遥か遠くから、ただ眺める。それだけで太陽系だの銀河系だの、ひいてはビッグバンのことまで発見したり。

 

宇宙研究も科学だけど、どうしてもその他の自然科学の領域とは違いを感じる。それは「実験できない」ということ。科学の裏付けって、再現性にある。意図的に星の位置を動かすことはできないし、木星に触ることはできない。仮説を立てて、それが正しかったのか?をひたすら寒空星空を見ながら検証する。信じがたいレベルの忍耐力が求められる。

 

江戸っ子でせっかちな私には到底無理!(そもそも宇宙研究しようと思ったことはないです)

 

文学、経済、化学、考古学。学者にも様々な部門があって、それぞれの毛色がある。宇宙学者の共通点は、

  • 寒空に耐えうる体力がある
  • 実験はできない&触ることもできないもどかしさを乗り越えるだけの宇宙への情熱がある
  • 自分の力ではどうにもならないことがあると肌で認識している

ってところかしら。※完全に主観です

 

宇宙学者は、体力、忍耐力、情熱、自分の無力さの理解、がある人たちの集まりってわけだ。これだけで、既に選ばれし人々の集まりだ。

 

 

宇宙研究者たちが協力しあえた理由】

私なりに理由を分析してみた。

・研究者としての仲間意識

前述のとおり、宇宙研究者は烏合の衆ではなく、凄く特殊な人たちの集まりです。共通項も大きいから、揉め事になりにくい。仲間をアパルトヘイトや部落差別的な「別物扱い」はしない。

 

・お金に困っていない

今日食うや寝るやに切迫している人々が、惑星を見て「あれ?昨日の動きと違う?」なんて、なかなか思えない。「自分はこんなに苦しんでるのにアイツは楽してる!」とか思い出すと不平等感から揉め事が起きやすい。自分が不自由していない領域は、それが問題になりうるという認識も薄れるので、揉めにくい。

 

・そもそも協力しないと不可能な目標

ブラックホールにせよ、星にせよ、果てしない遠くから、それを眺めるしか方法はありません。(ロケットや衛生も有効ですが、毎日できることではない)

 

特にブラックホールはものすごーーーく遠い。近くにあったら地球も太陽もなんでも吸い込まれちゃう。遠くにあるから我々は生きているが、とおーーーーーーくにあるから、いくら精度の高い望遠鏡でも見えないんですって。

 

ブラックホールを撮影するためには、地球の大きさ丸ごと位のサイズの望遠鏡が必要だとか。各地で主要望遠鏡達が同じブラックホールを向くことで、地球規模の望遠鏡を仮想的に作り出し、ブラックホールを撮影できたそうな。 

 

いやはや、地球規模の望遠鏡をなんとか作り出す発想も凄い。

 

そもそも、「協力しないとブラックホールの撮影は不可能」と研究者たちが判断したのです。自分一人、自分の研究所だけでは不可能だと悟ったからこそ、協力しあえたのです。

 

研究で新しい発見をしたい。自分が発見したい。自分の名前を冠にした物質や法則を発見したい。

 

そんな己の欲望よりも、「◯◯を解明したい」という好奇心が勝ったから、協力に踏み切れた。

 

 

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私がこのニュースから学んだのは、「ブラックホールの色形」ではない。人間が協力しあうに必要なことは、以下じゃないか?と↓

 

  • 自分ができること・できないことを客観的に認識す
  • 途方もないくらい高い目標を持つ

 

 

★自分ができること・できないことを客観的に認識する

一人でなんでもやろうとしたら、協力には繋がりません。むしろ、「俺はできてるのに、なぜアイツはこんなに抜けばかりなのだ?」と批判してしまうかも。

自分の「抜け」はどこなのか?それを認めて、助けを求められることが、協力するには欠かせない。

これは「できないならできないままで良い」って訳じゃない。挑戦して挑戦して挑戦して、やっと「自分のできること」が分かる。その残りが「できない事」。挑戦し続けた人にだけ、見えてくるものです。

じゃないと協力を仰ぐ相手に納得してもらえない。私の育児だって、なんだか無駄に無駄に頑張って体調崩してから、主人が育児(というか生き方)にまともに向き合うようになった。口でいくら言っても効果はなかったから、あの頑張りは無駄ではなかったのだ。

 

途方もないくらい高い目標を持つ

ものすごく遠くのものを目標にする。「いつまでも達成感を味わえない」弊害はあるが、果てしない目標を持つと、争いは減ると思う。

 

地球で100キロ動こうが、3000キロ移動しようが、月から見たら2センチも変わらないんじゃないか。

果てしなく遠くから見れば、差はすべて誤差の世界。その誤差に対して「アイツの方が年収高い」「アイツの方が美系だ」などと言うのがバカらしくなるでしょう。だから宇宙学者たちは協力できたのかな。

 

 

されど、宇宙規模の考えを取り入れて、地球規模の「誤差世界の感覚」を忘れると、地に足がついていない浮世離れが始まります。我々が住むのはあくまで地球上です。

 

日々の歩みは地球規模でも、目指すところは宇宙視点で。

 

そんな風に生きれたら、協力しあえるのでしょうか。宇宙にまで到達できなくても、同じ方向に進めるのでしょうか。

 

いや、宇宙規模の目標を自分だけで設定しても、それは一人相撲。その目標内容を、相手と共感できる所に設定しないと。

 

 

長々と書いたけど、結局は協力は、努力と会話が大事ってことだ。