子供の制作物ってどうしてますか?
ときめく片付けを(途中まで)断行した私は、結構捨ててます。特に、2歳以下ものはほぼ先生作だったから、特に思い入れもなく。
長女れーちゃんが3歳になったころから、本当にれーちゃんの力だけで作ったもの・描いたものが出てきました。親バカな私は、れーちゃんの絵を見て「天才だ」と思い、「俗人離れしている」と思い、「れーちゃんの見ている世界ってどんな世界なのだろう?」と思いを馳せました。
先日、保育園の入り口に園児が描いた絵が飾ってありました。りんごのスケッチだそうな。
1枚のお皿に乗った、3 つのりんご。
大きさや色使い、余白の広さ。園児それぞれの個性が出てる。共通しているのは「3つのりんご」を描いていること。
が、れーちゃんの絵だけ、ちょっと違ったのです。
れーちゃんのスケッチ画には、りんごが 8 個ほど。りんごがハート型。りんごの個数が増えている。しかも、踊りだしそうなりんご。
れーちゃんのフィルターを通すと、ハート型のりんごが沢山。お皿もたくさん。親バカな私は、「ひょっとして天才じゃない?」と。
現実や目の前に見えているもの。それ以上のものを描く。それ以外のものを描く。想像の眼を持っているのかな、と思った。
この間までは、殴り書きの落書きが多かったのに…。
正直、れーちゃんは写実的な絵は上手くはありません。私がそれよりも注目したいのは、想像の目で、見えていないものを描くって、そう簡単に教育できるものではないな、と感じた。
どことなく「れーちゃんって俗人っぽくないなぁ」と感じていたが、絵に現れました。
つまらない大人や図工の先生などに「そのスケッチは違う」とか言われて、想像の眼を閉じてしまうかもしれない。そうなる前に、れーちゃんに伝えたい。あなたが描いているものは素晴らしいと。現実とは違っていたとしても、それは素晴らしいのだ、と。
親バカ炸裂している私は、れーちゃんにスケッチブックを買ってた。れーちゃんの想像の目で描くものを見てみたい。そんな下心を持って。
今日はその新しいスケッチブックを持って動物園へ。どんな絵が出てくるのか?期待していたら、殴り書きの絵とも言えない絵が出てきた。
あれ、想像の眼は??
っていうか殴り書きに退化??
マグレだったのか…
期待しすぎた私は、親バカならぬただのバカだったわけだ。
奇跡はそう何回も起きないし、本当にアーティストだったとしたら、「れーちゃんの気分が乗る」ことが大事だったりして。
勝手に期待してちょっと落胆した私はれーちゃんのスケッチをもう一度眺める。
フラミンゴらしき絵の横に□がある。「フラミンゴのお家」なんだそうな。目の前にいるのはフラミンゴと池で、家はない。あ、れーちゃんはやっぱり想像の眼を使っていたのだ。
不格好だけど、上手いとは言えないかもしれないけど、れーちゃんにしか描けないものが、そこにあった。
子育てって、きっといつもこういう姿勢でいることが大事なんだと思う。どの子が描いた絵にも良さがある。その子の良さはなんだろう?その子は何を見てるんだろう?その子の世界は、その子はどんなフィルターを通してこの世界を見ているのだろう?
「◯◯しなさい」「やめなさい」「早くしなさい」いつも、この三点揃いばっかり言ってしまうが、れーちゃんが持ってるフィルターがなんなのか、一旦落ち着いて、同じ目線になって世界を覗いて見たいと思いました。
れーちゃんの1枚の絵から、私の思いは広がる広がる。寝相が激しいれーちゃんの身体も布団から広がる広がる。