インターネット上の朝活、「ただ聞く会」の感想パート2です。
話し手の不安、嬉しさ、楽しさといった感情を読み取ることはできる。が、これらの感情の原因や背景まで推し量ることはできない、むしろそれは大いなる誤解を呼ぶ、というのが前回の感想。
今回は「完全なる理解を目指さなくても良い」という話。
同僚、友人、家族、近いければ近いほど、プライベートになればなるほど、相手の「こんな所知らなかった」「理解できない」が増えてくる。
接する時間が長くなれば、なおのこと。
小さいことであれば、ちょっとした生活習慣(掃除の頻度、食の好み)。大きいことであれば、価値観(子育て方針、政治思想)が合わない。
親しくなればなるほど、「なぜ相手はあんな風に考えるのだろう、理解できない!」とモヤモヤしたり。
先日の朝活の「ただ聞く会」(傾聴を勉強する会)で聞いた2つ目のお話は、「親と政治思想が合わない」。
大好きなお父さんが、自分が支持する政党とは違う党を支持している。そんな政党を支持するなんて、愚かだ!と互いに思っているらしく、いくら説明しても話し合っても、平行線だとか。
大好きな家族、いつも理解しあっていたはずの家族が、選挙となると敵味方に別れる。
赤の他人が政敵でも全く気にならないのに、家族だともう、それを「なんとかしようと」する。説得して脱政敵を目指す。
世代、性別、育った環境、発想、価値観が違う。家族だって、親しい人だって何かしら違う。
大好きな相手だからこそ、自分の考えを分かってほしいし、相手の気持ちもわかりたい。けど、いくら努力しても理解し合えない。
ここで私は、思った。
お互いの考えに染めることや同化することは、相手を大事にしているに直結しない。
相手に同調することと尊重することは全く違うな、と。
世代、性別、育った環境、発想、価値観が違う。家族だって、親しい人だって何かしら違う。
だから、どんなに仲良しでも、違う考え方になることは自然なこと。
大好きだから、大切だから、相手の気持ちを、考えを、全部わかりたい。
んー…その気持ちはわかるけど、完全なる相互理解を目指さなくても良いと思う。
他の人が考えていることは、わからない。最終的には、わからないことの方が多い。
完全なる理解を目指すよりも、「相手を理解しようとする気持ちとその行動」が大事なんじゃないかな、と思った。
価値観の違う人間の支持政党を変えるのは、結構難しい。いくら親しくても、仲良しでも。
完全に理解しあえなくても大丈夫。伝えようとした、という所に、ちゃんと愛がある。
私がこう思えるのは、「親も人間であって、自分とは別の感覚や価値観を持っている」と凄く強く実感できているから。そうだとしても、そこにちゃんと愛はある。
親の発想内でしか生きてこなかったら、きっとこんな風には思えなかった。
完璧主義者だった私が、少しずつほぐれて行くのを感じる今日この頃です。
PS 政治思想の共有って難しいと思う。特に、アジア圏では。
イギリスに住んだことにより見えた、東洋と西洋の政治に対する思想の違いは、またいずれ書きます。