風邪をひいて夜泣きもされヒステリーを起こしていた連休明け、まだまだ風邪を引きずってる私です。
そんな災難が重なった誕生日でしたが、もうこれは厄落としだと思うことにしました。全部じゃないけど、きっと少しだけでも悪いことが回避できて、良いことも起きるのかなって。
実際に一つありました。
生まれて初めて、娘が「ハッピーバースデー」の歌をママに歌ってくれました。人生初!
静かに眠るという約束を守った長女れーちゃん(3歳)はしまじろうとたっぷり遊んでます。しまじろうがいない間は他のおもちゃで遊んで楽しそうにはしたものの、しまじろうに会えて嬉しそう。
ママが先日誕生日だったことを覚えていた中、しまじろうと誕生日ケーキが描いてあるカードを見て歌いだしたよ。
ハッピーバースデー ディア マーマー
なんか、すごく感動して泣いてしまった。子供にハッピーバースデーを歌ってもらうなんて人生初めてのことだった。
そのしまじろうバースデーカードには、「1」と大きく描いてある。ママ宛ではなくベネッセさんから来た次女ワカメちゃん宛のダイレクトメールなんだけどね(笑)
きっかけはワカメちゃん宛DMだったけど、とーーっても嬉しかった。
この歌を最初から最後まで一人で歌えるほど成長したんだ。私の誕生日もお祝いしてくれるんだ。
そう思えたら、なんだか感無量だった。
子育てってこの感無量な瞬間は全体の一割にも満たなくて、連休のヒステリーママみたいなのも一割以下(衝撃は爆弾並み)で、残りは「いつ終わるかやからない日々を泣いたり笑ったりしながらやり続ける」ってこと。この世も、子育ての中身も、「感動されない空気みたいな仕事」でほとんどはできているのだ。
どんな輝かしい瞬間も、状態も、いつもの小さな積み重ねがあってこそ、だって忘れないようにしようと、本当に思いました。
感無量な瞬間を見るために生きているわけじゃない。けど、こんな瞬間があるから、ちょっと心理的に本当にヤバそうな時があっても救われてあと何日かは全うに生きれたりする。やっぱり子供の笑顔は麻薬かな〜。毒はないけど、信じられない程の即効性がある。
騙し騙し、なんとか生きる。
人間って本当は、さらりと気づかないくらい巧妙に騙された生き物かもしれない。