打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

赤ちゃんが泣くのは親の努力が足りないからじゃない!

 

先日ちょっと不思議なことを体感しました。自分の子供が泣いてるとき、罪悪感を持ちませんか?

あらゆる手を尽くしても、赤ちゃんが泣いてる時がある。私はこれを「宇宙人タイム」と呼ぶ。

 

「宇宙人タイム」は親の我慢が足りないから、赤ちゃんは泣いてるわけじゃないんだな、と教えてくれました。

 

 

「打つ手なし!」な状況と、「何か対応できるかも!?」という状況。実は前者のが落ち着くという話。

 

たとえば、赤ちゃんとの生活だと…↓

 

①どんなに手を尽くしても泣く

②抱っこすれば泣き止むが、離れると泣く

 

どっちも嫌ですよ。手を尽くしても泣き叫ばれるのも。

 

先日次女ワカメちゃんが取り憑かれた様にギャン泣きしてました。抱っこしようにも海老反りで逃げるし、か下ろしても泣きながら海老反りし続け、お水ミルク食べ物全て受け付けず(見てすらいない)、何もやっても泣いてる。まさしくなす術なし、お手上げ!

 

私はこれを「宇宙人タイム」と呼んでました。なにがなんだか訳がわからなく、大人の努力ではどうにもならない時間。

 

長女れーちゃんにしても、次女ワカメちゃんにしても、宇宙人タイムは、今まで幾度となく訪れています。毎度毎度途方に暮れてましたが、今回は違ったよ。

 

「どう頑張っても自分にはどうすることもできない」 

と、わかって、逆に落ち着きました。

 

自分は最善を尽くした

でも状況は変わらない

自分にできることは、これ以上はない

 

こう断定できたとき、落ち着けたのです。

 

「泣き止ませなければ!なんとかしなければ!」って思ってる間は慌てるし、苛つくし、オロオロもする。

 

何か工夫をして赤ちゃんが泣き止む時、ホッとする反面私は自分を追い詰めてしまうこともある。

 

工夫したら、自分が我慢したら泣き止むんだ。だったら自分がもっと頑張らないといけないんじゃないか。

赤ちゃんが泣いてるってことは自分の頑張りが足りないんじゃないか

 

もう頑張りたくないよ。続けられないよ!

 

って。

 

たとえば抱っこ。抱っこしてる間は泣いてないが、50cm離れたら泣くとします。

誰にでも後追いする時期はあるものの、親としては結構しんどい。24時間抱っこできるかってそういう訳にも行かないのだ。

 

あ、誤解しないでくださいね。子供を抱っこしたくない訳じゃないですよ。

 

どんな好きなことでも、いつ終わるのかもわからず○○し続けなければならないって嫌。かわいい娘たちを抱きしめて幸せを感じもするけど、それが24時間の義務になったら嫌になります。

 

なんで「宇宙人タイム」で落ち着いたかっていうと、自分に打つ手がないことが判明するまでが早いから。

 

自分がもっと頑張れば、自分さえ我慢すればどうにかなるんじゃないか

 

って不毛な罪悪感とオサラバできるのが早い。「自分って我慢足りないダメ親かも?!」って思わなくても済む。自分の我慢で、娘の機嫌がどうこうなるものではないから。

 

そう分かって、泣いてる我が子の側にいたとて逆に落ち着いたのだ。

 

 

正直なところ、本当は子供であれ親であれ、他人の機嫌や体調に関してできることは限られている。

 

「私だったらなんとかできるかも!?」なんて思うのは奢りかもしれない。その奢りが罪悪感を生んでしまうのか。

 

何をしても泣いてる。泣きたい時や泣くしかない時もあるのだ。そんなときは泣かせてあげるのも、大事なことなのかも。

 

自分がもっと頑張らなきゃ

自分の我慢が足りないかも!?

 

そんなこと思うのをやめたい。

 

「一緒に居たいと思うから、貴女たちと一緒に居るんだよ」。

 

その想いだけで居られたら…いいのになぁ。罪悪感という心の中の雑音と、キレイさっぱりサヨナラしたい。

 

赤ちゃんは、ママの我慢が足りないから、努力が足りないから泣いてるわけじゃないよ。伝えたいことがあって、泣くのはその手段にしか過ぎない。自分を責めることはない。

 

自分を含む全てのお母さんにそう言いたい。

 

我ながら「宇宙人タイム」って悪くない命名だなと思う。宇宙では人間一人なんぞ無力。自分の無力さを思い知り、底を知ると落ち着ける。地に足ついたってことかな?

 

宇宙には地があるのかないのか…地と呼べる成分の星は多くないのでは…そんなことを考えてしまう私はやはりリケジョなのか。