打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「芸術の秋」、なぜ秋なのか考えてみた

食欲の秋、読書の秋、芸術の秋。

 

何か物悲しくなったり、物思いにふけるのも秋が多い。

 

こういった呼ばれ方をするのは秋のみ。なぜ秋なのか、ひたすら頭の中で考えたら、理由が見えてきた。

 

秋というのは、兎にも角にも、「余裕」が生まれやすい季節のようだ。

 

保育園でれーちゃんが、十五夜用の制作をなにやらしているらしい。お月さま、うさぎにお団子。満月は毎月やってくるのに、なぜ9月の満月、中秋の名月だけは特別なのだろうか。

 

お彼岸が終わる頃、それは田んぼや畑仕事が一段落するという時期らしい。田植えだ、手入れだと頑張らなければならない間は、「月が綺麗ですね〜」なんて呑気な事は言ってられない。そんな宴なんて、もっての外。

 

「うちの稲刈りは10月だぞ!」という場所もあるかもしれない。旧暦とのズレや、品種改良によってズレた収穫時期のせいかもしれない。けれど、彼岸終わりの満月とは、「一段落」という時期なのだ。暇になる。収穫できたor収穫の算段がついた。ホッとできる時期なのだろう。だからこそ、彼岸の墓参りにも行く気になれるのか。

 

私の実家はお寺です。お彼岸と言えば、来客が多く忙しい時期。農作業に携わる人口は減ったものの、彼岸の墓参りという文化は今も残っている。

 

暑い、暑い、暑い。そうやって汗をダラダラと過ごし、不快感を覚えている中、物の哀れを語ったり、感傷に浸ることはできない。

 

人間は不快感を持ちながら、その他の感情を持つことは難しいのかもしれない。

 

暑くもない。肌寒い程度で、本気の寒さではない。収穫も済んだ。こういった余裕が、人を芸術や読書に向かわせる。

 

 

余裕がなければ、芸術は生まれも発展もしない。「絵を描いたって飯が食えんから、やらん」となっちゃう。これは貧乏でも、金の亡者になってても同じ。精神的にも経済的にも余裕を持つ必要がある。

 

芸術とは、世の中の平和度、人々の余裕度を表すバロメーターなのかもしれない。

 

 

今年の9月の満月は、いつもと違った思いで眺めることになりそうだ。

 

れーちゃんやワカメちゃんとお団子。食べたいなぁ。これは食欲の秋か、それとも花より団子か。

 

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