この絵の人物に、あなたならなんて吹き出しをつける?
私は、瞬間的に「この洗い物の山にうんざりしてるのだろうな」、と判断した。
この絵は、保育園児のママ向け雑誌の挿絵。絵本を見るように、娘たちとこの絵を見てた。れーちゃん(5歳)とワカメちゃん(2歳)は、それぞれ違う見解だったよう。
ワカメちゃん「この人どうしたんだろうねぇ」
困った顔の絵を見て、その理由を不思議がるワカメちゃん。それに答えるれーちゃん。
れーちゃん
「手を洗いたいのに、お皿が邪魔で困ってるんじゃない?」
「それか、お水が出なくて困ってるのかも?」(断水かな?)
娘たちのそんなやり取りを聞いて、私の頭の硬さと、子供たちの頭の柔軟さを思い知った。
私ってば、「溜まって食器にうんざり」しか出てこなかった。そうだ、と決めつけてた。
保育園のママ向け雑誌だから、私の推測は、作者側の意図と恐らく一致している。
けれど、私は自分の頭の堅さを自覚せざるを得なかった。子どもたちの発想の、なんと柔軟なこと。
私と娘たちも、同じものを見ている。それなのに、持つ認識や疑問が全然違う。その認識に優劣はない。
この間ね、散歩中に橋の上でれーちゃんと雲を眺めてた。
「れーちゃん、あの雲はママにはワニさんに見えるな。れーちゃんはどう思う?」
「サンタさんがソリに乗ってるみたい!」
ワニにもサンタにも優劣はない。ただ、「違う」というだけ。
保育園で3つのりんごのスケッチをした時、れーちゃんだけの絵だけは3つ以上のハート型りんごが沢山描かれていた。数も形も全くスケッチしていない。写実的ではないが、写実的にスケッチが上手な子に、決して劣るものではない。
芸術にも文化にも、優劣なんて、ない。あるのは嗜好だけじゃないのか。個々の人間の捉え方も、同じじゃないのか。
そんな事を、ふと思う。
今までも、子どもたちと同じ物を見て、同じ匂いを嗅ぎ、同じ空の下、屋根の下に居る。
一体、今までどれだけの物を共有してきたのだろう。それの全てにおいて、きっと全部、違う認識なのだろう。
同じものを見ていても、私の目を通して見た世界と、れーちゃんの目、ワカメちゃんの目を通して見た世界とは、まるで違う物が映っているのだろう。
それに気がついた。
「そんなの○○に決まってるでしょ!!」
つい、言ってしまう。やってしまう。先入観からの言動。
雲がワニに見える位、ワニがサンタに見えるくらい、物事の捉え方は千差万別。
生まれたての赤ちゃんに先入観はない。成長とともに、何かしらの観念や先入観が植え付けられていく。この社会で生きていくためには、それは必要な事だった。
ただ、その先入観は、時として私を苦しめる。
頭をもっと柔らかく、先入観を減らして生きたいなぁ。
自分を助けない先入観であれば、観念や信念であれば、パッと手放せる。そんな人間になりたい。
しかしなぁ。子供たちって、あんなに発想は柔軟なのに、石頭なのはなんでだ。(事故で)頭突きされる度、すんごい痛い。
骨がズキズキ。自分の頭の堅さに、心もズキズキ。
ちなみに…
- 「美意識ってなんだろう?」(壁紙事件)
- 「自分って先入観だらけで、それは捨てた方が幸せじゃない?」
私がこんな事を思うようになったのは、ドン・ミゲル・ルイス氏の著書「愛の選択」の影響です。
彼の言ってる事を実践できたらめちゃくちゃ心が豊かになるんだろうな、と。本の通り色々やってみると、自分の盲目さに気づいて結構なショックを受ける。そこがスタート、という本です。
これまで何回か読んだみて、やっとルイス氏の言ってることが、本当の意味で理解できるようになって来た。
「このままじゃダメだ、根本的に変わりたい!」と思っている方に、おすすめの本。
☆☆☆秘密のFacebookグループ作りました☆☆☆
「本を書いてみたい」という気持ちがあります。一人ではなく、読者さんと一緒に作って行きたい。そのための、秘密のグループを作りました。
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