「死の概念」は子供たちも学んで欲しい
先日ハムレット(狂気の末に死ぬ話)の舞台を見て、死とは、墓とは何かを考えた。
あなたは、自分の子供に「死とは何か」を伝えたいですか?それとも、近親者が死んでもそれを知らせずに、「死」に触れずにいてほしいと思いますか?
私は、「死の概念」は遠ざけずに、子どももそれに触れて良いと考えます。その訳を綴ります。
お墓ってなんなのでしょう。山奥…まで行かずとも、不便な土地にあると、ついつい足が遠のいてしまう。それがお墓参り。
寺である実家で育った私は、いつも墓が隣にあった。そんな線香の香る家だ。
子供の頃、まだ死が何かわかっていないころ、「死んだら私もここの祖父の墓に入るのかな」と思っていた。
この国では家族で墓石を共有し、嫁入り先・婿入り先の墓に入るのが一般的。結婚した私は、いつも隣にあった墓ではない墓に入るのか。一体どうなるのか。
「死んだら実家のお墓に入りたいの?」
と聞かれたが、私の答えは
「死んだらどこにいたって同じ。」
死んだら、骨になったら、生きている誰かに何をすることもできないのだ。復讐は愚か、何も手出しはできない。できる事とは、ただ、幸せを祈り見守るだけなんじゃないか。
じゃあ何でお寺や霊園の人は墓守やってるのか?なぜ人々は墓参りするのか。
墓とは、死んだ人のためにあるのではない。この世に残された人のためにある。私はそう考える。
生きる者が、死者を忘れたくない、忘れてはならないと戒めるため、感謝を忘れないため、死者を懐かしむためにある。
最近は、「死の概念」を子供たちから遠ざけることがあると耳にしました。例えば、祖父母が死んでもそれを孫に伝えないとか。私は死について、子供にも知らせた方が良いと思う。何人も、死から逃れることはできないから。
哀しい、悔しい、せいせいした、驚いた、解放された、罪悪感、怒り、空っぽ感、孤独。残された者は、死を通じて色んな思いを抱く。その哀しみを胸に抱き、生きていかねばならない。そして、立ち上がれる。
人の死から生じる感情って、ネガティブなものだけじゃないんですよ。表立って言えないけど、せいせいしたり、安堵している人だっている。介護疲れの人なんかまさに。
死とは何か、それを知らずして、誰かの死を乗り越えて立ち上がれるのだろうか?
周りの大人が意図的に「死の概念」から遠ざけて、死は自分とは「全く関係ない」と思って育ったら?事情を慮ることなく、死を哀しんでない奴を「非情!」と批判しかねない。私に言わせれば、事情を知ることもなく批判するやつの方が非情。「不謹慎だ!」とか騒いで自分が上に立ちたい人たちと同じに見える。
人の死から生じる感情って、ネガティブなものだけじゃないんですよ。表立って言えないけど、せいせいしたり、安堵している人だっている。介護疲れの人なんかまさに。
死について、触れることがなければ、それもわからない。
自分が死ぬのは一生に一度だけ。が、人の死には何度も遭遇するのだ。
お寺で育った私は、人の死に遭遇する機会は平均値よりも多かった。死は哀しいことだけど、それを避けれないことも、それが自然であることも分かっている。
死を通じて、生きるものもある。たとえば、思い出や、死者の意志が。たとえば、ラテン語は死語になったからこそ学術的に扱われやすくなったり、違う命が吹き込まれている。
私は祖母を亡くした時、とてもとても哀しくて泣き続けた。皮肉なことに、祖母の死をきっかけに、私の中での祖母の存在は大きくなった。
何歳から死について、受け止められるのか?それはわからない。
娘たちが成長していく中、私は親として、大人の一人として、教えて行きたい。
死とは決して避けては通れない。
死は誰のせいでもない自然なこと。
死者の死までの道のりをしっかりと心に刻むこと。
その人の事を忘れないためにも、お墓参りはすること。
あなたにも、いつ死は訪れるかわからないから、日々を大事に生きること。
子供たちにこんなことを教えなきゃ、と思っているのに、自分はそれをできていないと気づいた。
私にも、誰にも、死はいつやってくるかわからない。もし明日死ぬとしたら?
私はすごく後悔するに違いない。
なぜ、今日も子供たちに何回も怒ってしまったのだろう。なぜ、もう一冊絵本を読んであげなかったのだろう。あともう10回くらい抱っこしてあげればよかった。誰々に手紙を書けば良かった、優しくできなかった。もっと美味しいものを食べればよかった。
まだまだ生きてしたいことがある。きっとまだ死なないけど、たとえ明日死すとも、後悔しないように生きたい。
「人は必ず死ぬ」ということを、受けとめてきたからこそ、私はこう思える。時々で良いから、「死」について考えるって大事。
今書いたことを、まず、明日からやってみよう、ちょつずつでもいいから。
お風呂イヤイヤの克服の道のり
2 歳前後の子どものイヤイヤ期。「あなたのブームはなんですか?」と迷子の子猫ちゃんのメロディーに乗せて聞きたくなる。
我が家の次女ワカメちゃん ( 1 歳) のイヤイヤブームはお風呂。とももかくにも、お風呂から全力で脱走しようとする。
なぜ、ある日突然お風呂を嫌がるようになったのか。そしてなぜ、いつの間に、ワカメちゃんはここまでの力をつけたのか。逃げる力を。
お風呂嫌い克服の道のりを紹介します。
ついこの間まで、長女れーちゃんと楽しそうにキャッキャとお風呂で一緒に遊ぶのが日課だったのに、ある日突然お風呂が大嫌いになったようで。もう、マジで全力で逃げようとする。
この季節、汗疹防止のためにも、おむつかぶれ予備軍が暴れないためにも、しっかり体を洗ってあげたい。が、泣いて喚いて身をよじって、お風呂を嫌がる。姉妹で仲良くお風呂で遊ぶ姿はとても可愛かったが、その姿をもう見れないのか・・・・という悲哀に浸ってる場合ではない。
以下の段階を追って、お風呂嫌いを少しずつ克服してきた。
- 入浴前の脱衣すら、身をよじって嫌がる(シャワーも湯船も同じく暴れる)
- 「ねんねするの」と言えば入浴を回避できると考えつく
- #2が通用しないので、「うんちでる」と言う言い訳を考えつく
- #3が通用しないとわかった頃、脱衣だけは泣きながらも暴れずに可能に
- リビングでの脱衣で泣かない
- 脱衣所で泣かない
- お風呂場に入るのを泣く(脱衣所との境目ドアが閉まると泣く)
- 洗い場では泣かなくなる
- シャワーで泣く&暴れる
- シャワーで泣くけど暴れない
- シャワーで泣かない
- 湯船からは死ぬ気で脱走しようとする(まるでフィギュアスケーターのなんちゃらスピンのように足を高くあげれる柔軟性に脱帽)
- 湯船に泣かずに入れる(←今ここ)
ここまで来るのに数週間かかってます。
久々の「泣かないお風呂」で私はちょっぴり感動している。泣いていないので、入浴後のお着替えも姉妹でキャッキャと楽しそうだった。私は子供たちに保湿クリームをぬります。れーちゃんのお腹にニコちゃんの絵を描きながら。ママの描いたニコちゃんをぐちゃぐちゃ〜にしながらケタケタ笑う 2 人。
前に進んだり、後ろに下がったり、止まったりしながら、振り返ると前に進んでる。ちょっとだけでも進んでいるのだ。子育てってのは辛抱強く、先が見えずとも子どものペースに付き合うということなのだ、というのを改めて実感した一連の出来事でした。
楽しく姉妹でお風呂という光景は復活したが、もしかしたら永遠に復活しなかったのかもしれない。やはり今日という日は二度とはやって来ない。そのつもりで生きていなければなぁ・・・
明日はまた、身をよじって逃げる段階に戻るかもしれない。そのつもりで、お風呂シークエンスに挑みます。
他の親御さんも、親ではない方も、お疲れ様でございました。
厳かな死者:ハムレットの狂気
先日、岡田将生さん主演のハムレット(舞台)を見てきました。シェイクスピアの有名な悲劇。狂気の話。
ハムレットを初めて読んだ中学時代は、「登場人物が全員頭おかしくなった」としか思ってなかった。15 年程経た今、もう一度ハムレットに触れて、全く違う感想を持ちました。
人間の狂気とは何か、何が人を狂わせるのか、その結末は。
諸々を省略すると、ハムレットとは「みーんな狂って死んじゃいました」って話。中学生のときは、それしか理解してなかったかも。
狂気なセリフ、オンパレードな中、私にとって印象深かったのはポローニアス(主人公ハムレットの家臣&恋人の父親)が死んだ時。
事故か意図的か、家臣を刺し殺したハムレット。その遺体を眺め、ハムレットは言ったのです。
「(こいつは)やっと静かで、口が堅く、厳かになった」
そう、死ねば皆、静かで口が堅く、厳かになる。
人間ってものは、不思議なものだ。生きていれば、こんなに一人一人違うのに、死んだらおんなじだ。仏教では、どんなクソ野郎でも、死んだら自動的に仏様の弟子に自動的に入門するし、厳かなものだ。
ハムレットの発言は狂気そのものだが、否定できない何か、真実があるのかもしれない。
なぜ彼らは狂ってしまったのか。狂気とは何か。
人を疑う、人を貶める、人を騙す。
それが結局自分の、人の寿命を縮める。それが、まざまざと伝わる舞台でした。
結局人を貶めるってのは、自分を貶めることであり、人を騙すのも自分を騙すことになるし、すべてのことは我が身に返ってくるのだ、と実感しました。
人の狂気を理解できるようになったとは、成長の過程で私も狂気を抱いたのか、従来持っていた狂気に気づいただけなのか。
オフィーリア役の黒木華ちゃん、ドラマでも映画でもかなりの役者っぷり。本物は更にすごかった。どのシーンが印象的かって、オフィーリアが最高に狂っていた時。同じ生活空間にいるのに、オフィーリアだけ別次元に居るかのような迫真の演技でした。
やはりハムレットのテーマは「狂気」だった。
私は、子育ての 9 割は楽しめてない
子守 24 時間体制のGW (げっそりウィーク) から早 2 週間。楽しい時間とげっそりタイム両方が。
「子供と居て楽しい〜!」と、私が感じられている時間は、少ない。とても少ない。一緒に過ごす時間の 1 割くらいなんじゃないか?
楽しい時間も、勿論あります。が、私のそれは、僅か過ぎる楽しそうにしているお父さんお母さんと、私は一体何が違うのだろう?と観察し、分析してみた。
楽しめる時と、そうでない時。心の中を支配している感情が違う。
- 楽しめてる時の私は、心配事が少ない。
- 楽しめてない時の私は、責任感やプレッシャーに覆われている。
楽しめてない時に抱えてるプレッシャーや心配事は以下↓
- ①電車などの公共の場での「迷惑かけない」プレッシャー
- ②子供たちの命を守る(迷子、駅のホームに落下、エスカレーター巻き込み)
①電車などの公共の場での「迷惑かけない」プレッシャー
要するに「良い」母親で迷惑かけないようにしなきゃ、という「良い母親呪い」を私自身が感じてるため。正直これは私の心の問題。。心に根深く突き刺さり、中々取れないこの呪い。
もちろん、泣かせたまま放置なんてしないよ。でも、すぐに気をそらして泣き止ませることよりも、子どもにとってもっと大事な事があると思う。話をしっかり聞いたり、気持ちを落ち着かせるために泣いていることもある。それを大人の都合で無理やり抑えていいのか。。。。が、電車や飛行機などの狭くて閉ざされた空間では、それよりも「静かにさせなきゃ」という私の焦りが来る。世の人って、子どもの泣き声にどのくらい寛容でどのくらい厳しいのだろう。わからない。わからないから、知らないから、更に焦る。
人間生きてれば、必ず誰かに何かに迷惑をかけているもの。だから私は「迷惑かけない」って指標を元に生きるのは大嫌い。「迷惑かけていない」と証明するのは、「存在しないものの証明」と同じくらい難しい、つまり不可能。それよりも、他にできることが沢山あるのに・・・が、マジョリティはそう思って生きていなそうなので、私も苦しくも折れている。長い物に巻かれるなんて大嫌いだけど・・・・という葛藤。
個人的には「迷惑かけない」「静か」よりも、「ありがとう」「ごめんなさい」が言えることのが大事だと思ってはいる。
②子供たちの命を守る(迷子、駅のホームに落下、エスカレーター巻き込み)
これは必要なこと。が、私はきっと必要以上にこれに気を張っている。電車に乗っている間は「命を守る」ことはそこまで気にしなくていいはずなのに、ホームで乗り降りする時と同じ緊張感のまま電車で過ごしていることが多い。これは①の「迷惑かけない」プレッシャーのなせる技なのか。
少なくとも、同じ緊張感である必要はないのに・・・・爆弾や事故がない限り、この日本という国の電車内とはとても安全なものだ。
海外生活が長かったことも、必要以上に気を張る要因になっているかもしれない。電車、エレベーター、エスカレーター、自動ドア、この国のあらゆるものはとても安全に設計されている。それに、紛失物や迷子発見率はとても高いし、信号無視する人も比較的少ない。私は 6 年間のイギリス生活の中で、日本の安全性に気づいた。めったな事では、日本のエレベーターに閉じ込められないし、自動ドアにぶつからないし、自動車のエンジンも壊れない。
エスカレーターのスピード、エレベーターのドアの開閉の速さ、紛失物は帰ってこない、電車やバスは時間通り来ない、10 歳以下の子どもは一人では歩けない(小学校の登下校も親の送迎付き)、バスの行き先が勝手に変更されていることがある、スリに合う・・・・等々、海外では不測の事態だらけだ。というか、そういうもの、と思って対応する。
日本のエレベーターや電車は本当によくできています。人間がぼーっとしていても、できる限り事故にならないように設計されている。イギリスをはじめとするヨーロッパの国、アメリカ、香港、私はいくつかの土地を訪ねたことがあるが、日本の安全性は随一。設計する上での哲学が違う。私が住んだ日英比較は
- 日本:できるだけ機械が、社会の仕組みが、みんなの安全を守る
- イギリス:機械や施設は最低限の機能を果たせれば良い。電車やエレベーターなら人を運べれば良い。最終的な身の安全は、各個人が守るもの。
手やカバンが電車ドアに挟まれたまま発車してしまった・・・という話を聞いたことがあるでしょうか?とあるイギリス人の友人は、髪の毛がドアに挟まれたまま数駅分を過ごしたそうな。そのドアと反対側の駅しかしばらく停車しなかったという不幸もあって。日本では聞いたことない。
電車やバスの行き先が、当初とは異なるって場面。イタリアに旅行している間に数回見舞われました。「ここどこですか」って所で降りる羽目なったり、南仏のとある街でバスのストライキのために毎日 30 分以上歩いたり、まあ、日本ではなかなか遭遇できない出来事が多々ありました。
その経験のおかげ(?)か、「身の回りの安全は自分が守るもの」と、私は認識しています。子どもと車道を歩く時は、必ず手をつなぐようにしているし、それをいやがるならベビーカーか抱っこするかどちらかに。多分、私は神経質になってる。
手をつなぐのを嫌がる、足が早くて捕まえれないから、もう手をつなぐのは諦めている。そういう親御さんも居ます。そのくらいのリラックス感って、ちょっと羨ましい。私はそこを割り切れず、なんだか神経質だ。
もともと神経質だった人が、海外生活をしてみて、神経質になる部分が増えたってところでしょうか。
うーーーん・・・・そりゃ、いつも緊張感 MAX で子どもと過ごしてたら楽しめないよな・・・。海外に住んだことある云々は、所詮言い訳なのかもしれない。どうやったらもっとリラックスしつつ子どもと接せられるのか。考えたい。あ、考えすぎも良くないのかな?
9割の時間を楽しめていないとは、1割は楽しめているということ。その1割のために、親を続けられている気がする。笑顔や感動の詰まったその1割。記憶を少し改ざんして、その時間が少しでも長かったかのように、脳に記憶したい。
不純な理由での習い事
水泳、ダンス、そろばん、バレエ、英語、くもん、ピアノ等など。世の中にあふれる子供の習い事たち。
我が家の長女れーちゃんももう 4 歳。そろそろ習い事を考えるお年頃。
- 体力をつけてほしい
- お勉強できてほしい
- 英語できるようになって欲しい
- 楽しんで欲しい
どの家庭の親御さんも、様々な思いを込めて、子供を習い事に送り出していることでしょう。
私はちょっと変わった理由、ある意味不純な理由から、いつか、娘たちに習い事をして欲しいのです。
ずばり、「家でもない、学校(保育園)でもない居場所を持って欲しいから。」
これは私の子供時代の記憶が反面教師になっているのです。家や学校以外のコミュニティを持って居たかった。どちらといえば小中時代、学校は嫌いだったし、家に居たくない時期もあった。
バレエ、習字、ピアノ、中学受験の準備を始める前は私もいくつか習い事をしてました。10 歳くらいでみんな辞めちゃった。どの習い事も嫌いじゃなかった。けど、そこにはいつも家族の影があった。姉も一緒に通っていたり、母が付き添ったり、叔母にピアノを習ったり、同じ学校の友達が教室に居たり。
家族でもない、学校でもない、完全にコミュニティではなかったんです。
一人だけ右脳タイプ(母談)で家族の中では浮いてるし、学校ではどちらと言えばいじめられっ子だし、とにかくこの手のシガラミがない居場所が、本当は欲しかった。
学校ではいじめられっ子だとします。習い事をしていても、同級生が習い事にいれば、「お稽古教室でやった何を学校で吹聴されるかわからない…」とヒヤヒヤします。私が中学受験したのに、高校に内部進学したくなかった理由と同じかな。
どんなに家族に、学校に恵まれていても、自分だけの場所は必要なのだ。家族と喧嘩しても、学校でいじめられたとしても、自分には「○○教室のお友達がいる」「○○がある」という心のセーフティネットを持って欲しい。
それが、私が親として、娘たちに習い事をして欲しい理由です。
んー…送迎は手間だけど、れーちゃんとワカメちゃんはそれぞれ違う習い事をしたほうがいいのか。
少なくとも、性格が私似のれーちゃんはそういう場所が必要かもしれない。
送迎面倒だなぁ…(´・ω・`) 一人で通える様になるのは、まだ随分先だぞ。
ブラックホールな協力体制
先日ニュースになったブラックホール撮影。研究者達は本当に嬉しそうに発表していましたね。ニュースを見た、主人が言った一言。
「人類はこういうことならば協力しあえるんだ」
それが、なんだか感慨深い。
こういうこと「なら」協力しあえる。つまり、協力できていない事がある、ということを示唆している。
令和、一発目のブログはブラックホールから始まる。
なぜ宇宙研究で、ブラックホール撮影について、人類は協力できたのか、協力できない事柄はどうして協力できないのか、を考えてみた。
【宇宙研究者ってどんな人?】
宇宙研究って本当に凄い。触ることも再現することもできないものを、遥か遠くから、ただ眺める。それだけで太陽系だの銀河系だの、ひいてはビッグバンのことまで発見したり。
宇宙研究も科学だけど、どうしてもその他の自然科学の領域とは違いを感じる。それは「実験できない」ということ。科学の裏付けって、再現性にある。意図的に星の位置を動かすことはできないし、木星に触ることはできない。仮説を立てて、それが正しかったのか?をひたすら寒空星空を見ながら検証する。信じがたいレベルの忍耐力が求められる。
江戸っ子でせっかちな私には到底無理!(そもそも宇宙研究しようと思ったことはないです)
文学、経済、化学、考古学。学者にも様々な部門があって、それぞれの毛色がある。宇宙学者の共通点は、
- 寒空に耐えうる体力がある
- 実験はできない&触ることもできないもどかしさを乗り越えるだけの宇宙への情熱がある
- 自分の力ではどうにもならないことがあると肌で認識している
ってところかしら。※完全に主観です
宇宙学者は、体力、忍耐力、情熱、自分の無力さの理解、がある人たちの集まりってわけだ。これだけで、既に選ばれし人々の集まりだ。
【宇宙研究者たちが協力しあえた理由】
私なりに理由を分析してみた。
・研究者としての仲間意識
前述のとおり、宇宙研究者は烏合の衆ではなく、凄く特殊な人たちの集まりです。共通項も大きいから、揉め事になりにくい。仲間をアパルトヘイトや部落差別的な「別物扱い」はしない。
・お金に困っていない
今日食うや寝るやに切迫している人々が、惑星を見て「あれ?昨日の動きと違う?」なんて、なかなか思えない。「自分はこんなに苦しんでるのにアイツは楽してる!」とか思い出すと不平等感から揉め事が起きやすい。自分が不自由していない領域は、それが問題になりうるという認識も薄れるので、揉めにくい。
・そもそも協力しないと不可能な目標
ブラックホールにせよ、星にせよ、果てしない遠くから、それを眺めるしか方法はありません。(ロケットや衛生も有効ですが、毎日できることではない)
特にブラックホールはものすごーーーく遠い。近くにあったら地球も太陽もなんでも吸い込まれちゃう。遠くにあるから我々は生きているが、とおーーーーーーくにあるから、いくら精度の高い望遠鏡でも見えないんですって。
ブラックホールを撮影するためには、地球の大きさ丸ごと位のサイズの望遠鏡が必要だとか。各地で主要望遠鏡達が同じブラックホールを向くことで、地球規模の望遠鏡を仮想的に作り出し、ブラックホールを撮影できたそうな。
いやはや、地球規模の望遠鏡をなんとか作り出す発想も凄い。
そもそも、「協力しないとブラックホールの撮影は不可能」と研究者たちが判断したのです。自分一人、自分の研究所だけでは不可能だと悟ったからこそ、協力しあえたのです。
研究で新しい発見をしたい。自分が発見したい。自分の名前を冠にした物質や法則を発見したい。
そんな己の欲望よりも、「◯◯を解明したい」という好奇心が勝ったから、協力に踏み切れた。
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私がこのニュースから学んだのは、「ブラックホールの色形」ではない。人間が協力しあうに必要なことは、以下じゃないか?と↓
- 自分ができること・できないことを客観的に認識す
- 途方もないくらい高い目標を持つ
★自分ができること・できないことを客観的に認識する
一人でなんでもやろうとしたら、協力には繋がりません。むしろ、「俺はできてるのに、なぜアイツはこんなに抜けばかりなのだ?」と批判してしまうかも。
自分の「抜け」はどこなのか?それを認めて、助けを求められることが、協力するには欠かせない。
これは「できないならできないままで良い」って訳じゃない。挑戦して挑戦して挑戦して、やっと「自分のできること」が分かる。その残りが「できない事」。挑戦し続けた人にだけ、見えてくるものです。
じゃないと協力を仰ぐ相手に納得してもらえない。私の育児だって、なんだか無駄に無駄に頑張って体調崩してから、主人が育児(というか生き方)にまともに向き合うようになった。口でいくら言っても効果はなかったから、あの頑張りは無駄ではなかったのだ。
★途方もないくらい高い目標を持つ
ものすごく遠くのものを目標にする。「いつまでも達成感を味わえない」弊害はあるが、果てしない目標を持つと、争いは減ると思う。
地球で100キロ動こうが、3000キロ移動しようが、月から見たら2センチも変わらないんじゃないか。
果てしなく遠くから見れば、差はすべて誤差の世界。その誤差に対して「アイツの方が年収高い」「アイツの方が美系だ」などと言うのがバカらしくなるでしょう。だから宇宙学者たちは協力できたのかな。
されど、宇宙規模の考えを取り入れて、地球規模の「誤差世界の感覚」を忘れると、地に足がついていない浮世離れが始まります。我々が住むのはあくまで地球上です。
日々の歩みは地球規模でも、目指すところは宇宙視点で。
そんな風に生きれたら、協力しあえるのでしょうか。宇宙にまで到達できなくても、同じ方向に進めるのでしょうか。
いや、宇宙規模の目標を自分だけで設定しても、それは一人相撲。その目標内容を、相手と共感できる所に設定しないと。
長々と書いたけど、結局は協力は、努力と会話が大事ってことだ。
平和とは無か?有か?
昭和の終わりに生まれた私は、物心つくと平成時代になっており、バブルも崩壊しており、毎年お年玉総額が減っていく、ゆとり世代の走りです。
生きている間、ほぼずっと平成だった。「平和が成る」と書く平成。私の目には、平成って昭和の残務処理の時代と映っていた。
平成の終わりに、「平和ってなんだろう?」を考える。
不幸自慢、とかではなく、「ああー平和だなぁ…」って、心の底から感じたことは、私の人生上ありませんでした。極めてせっかちな江戸っ子である私は、いつもセカセカしてた。
幼少期は「勉強しなきゃ」、社会人になってからは「働かなきゃ」、母になってからは「子育てしなきゃ」。いつも「空白の時間」を埋めようとしていた。物理的な拘束時間うんぬんではなく、精神的にいつも脳みそが「次は○○しなきゃ」「△△もしなきゃ」「そのためには効率的にやらなきゃ」って、忙しかった。
はて、私ってばなんでそんなにいつも「忙しくしていたのだろう?」と、疑問に思った。
やらなきゃならない事が山積みで、それを考えちゃう、って誰にでも起こりうる事態。私の場合は「次にやるべきこと」を常に探していたんだ。わざと忙しくしていた。きっと、そうしたら、「無」の時間、「無」の自分と向き合わずに済むから、それこそ「無」意識でそうしていたんだと思う。
「無」の自分って、結構しょうもない。無能だし、無神経だし、無駄やるし、無意味なことで悩むし、無効だし、無責任だし、無知で、無鉄砲で、無名だし、無用。そんな自分がいるなんて、知りたくない・見たくないから、代わりに他のものを見て、やって逃げてきた。
タスクを何かこなしていれば、「アイツは頑張ってる奴!」って思われやすい。安直だけど、そう思ってたんだよね。
果たして本当に、目に見えやすいタスクをしいる人だけが頑張ってるのか?誰にそう思われたかったのか?
幼少期には、当然、世界のすべてとニアリーイコールである親に、「私は良い子でしょ?!」と思って欲しかった。
令和を迎え、30 も過ぎた今、親軸で生きる必要はもうないのだ。親のことを大事にすることと、大事に思うことと、親軸で生きることは違う。
これに気づいて、「自分軸で生きる罪悪感」を持たないことに30年かかった。「平」担ではなかった平成時代。
平和ってなんだろう?
無知で無能で無駄な自分と向き合うには、平和ではいられない。が、それから目を背けるためにセカセカと忙しくすることも平和とは言えない。
平和って、自分の心の中にあるのではなく、人と人のつながり、物と人のつながりの中にしか存在しないのかもしれない。
平成さん。「無」と向き合うのが怖い私に、逃げの選択肢をくれてありがとう。
令和さん。やっと私は「無」の私に向き合う気になったから、そのチャンスを沢山ください。
本当にオシャレな人は自分と向き合ってる
今日は何を着ようかなぁ…。気温差が激しいこの頃は、私は毎日考えます。自分の服も、娘たちの服も。
一月分のコーディネートを、スタイリストが用意してレンタルできるサービスがあるそうな。
私は今、「あなたに似合うファッション診断」の勉強をしています。そんな点からの意見を一筆。
「一ヶ月まるっとコーディネートをやってもらう」スタイルは、私は賛成できません。
似合うファッションとは、似合う装いとは、自分の魅力を最大限に引き出すもの。それにTPOを乗っける。
一ヶ月まるっとコーディネート、ってしてもらうと‥‥んー本当に楽かな?
一ヶ月分って、相当のアイテム数と無数の組み合わせがある。それを全部一々説明してもらったり、説明書を見るのって面倒じゃない?家事をすべてアウトソースするのはぶっちゃけ面倒くさい。服だって全部アウトソースは面倒では?
家事における「説明の大変さ」VS「自分でやる大変さ」を比較して、後者が家事を、私はアウトソースしてます。服選びはどこまでアウトソースできるのか?
掃除とオシャレが違うのは、目的地の差異。
- 掃除の目的は「埃や汚れをなくすこと」
- オシャレの目的は「自分を美しく魅せること」。
※私は掃除(埃や髪の毛などの処理)と片付け(物を定位置に戻す)は別物と考えています。
埃や汚れが落ちていることは、誰もが似たなピカピカ状態を望むのではないか。でもオシャレは?
キラキラしたいのか、シックになりたいのか、ほっこりしたいのか、それって人によって、時によって違いますよね?10年前の自分は、大人っぽくなりたかったかもしれないが、10年後の自分は若く見られたい。よくありそうな話。
そもそも、「あなたの魅力を引き出す」のが装い。それを完全に人任せにするとどうなるか?自分の魅力に無頓着になります。
「私の魅力ってなんだろう?似合う服ってどんな服?」
これをプロに聞くのはあり(私はこれのプロになるべく勉強しています)。客観的には自分がどう映るか?って知るのは新鮮で楽しい。
そもそも自分の魅力って、自分じゃ分からないことが多いのです。そのプロに似合うアイテムをいくつか選んで貰うと、自分の魅力が引き立って見えます。
プロの手は借りながらも、自分でも服を選ぶことは大切です。プロの意見があると、すごく効率的にコスパ良く買物できます。
引き立った自分の魅力を活かした装いをしよう、手持ちの服をどう組み合わせよう?と、鏡の前で一生懸命考えるようになります。
まるっと人任せにしてしまうと、「自分がこれは健康的に見える」とか「自分がこれを着ると華やかに見える」とか、鏡の前で考えなくなります。自分と向き合わなくなる。昔は似合っていた服が、いつしか似合わなくなっても気が付かないわけだ。
家事も、すべてを自分でこなすのは大変だけど、すべてを外注してしまうとどうなるのか?それって、まるで自分の家じゃないみたい。「自分にとって居心地の良い空間ってなんだろう?」って考えもしなくなる。
ファッションにせよ、家事にせよ、服や家に向き合っているようで、結局は自分と向き合っている。
だから、部屋の乱れは心の乱れなのか。こんまり流片付けがイマイチ完了はしていない我が家を見て、私の心の整理されていないっぷりが、際立つ。あーー自分と向き合ってる。だらしない自分が見えるのは、実はちょっと辛い…
それを許せたら、一皮剥けるかしら。
歳を重ねても美しい人が美しいのは、装いだけではない。装いが引き立てる、元々の魅力が大きいからだ。それは、自分と向き合い続けた結果なのかもしれない。
結論:
- ファッションも、家事もすべてアウトソースするのは、自分を見失うかもしれない。
私がファッションのプロになる暁には、「あなたの魅力はこんな所ですよ」って、伝えてたい。自分の魅力を認識することで初めて、人は美しくなるのだ。さーて、そのプロになるために、私がすべきことはなんだろう?
まずは自分の家の掃除をしよう。自分と向き合うために。
右脳左脳、右往左往
「子供時代、親って私のことをどう見ていたのだろう?」って気になること、ありませんか?思いがけず、今日私はその扉を叩きました。
6年間イギリスに留学していましたが、その最初のきっかけはかなり変わっています。
私は、国会中継を見て、議論の稚拙さと野蛮さに絶望し、国外脱出を考える変な中学生でした。
思えば、中学時代よりも前から、私は変わっていたのだろう。親として、母は私をどう見ていたのか、ふと知りたくなって聞いてみた。
「私って昔からちょっと変わった事を言ってる子供だったと私は思う。お母さんはどう思う?」
質問してみたら、へぇー、そんなこと思ってたのか!とわかったことが。
母曰く、私は「右脳タイプ」だそうな。右脳ってどういうことよ、って聞いたら要するに直感的、感覚的ってことだ。
例えば、図形や積み木など、「左脳タイプ」の母や父は大きさを測ったり計算してから問題を解いたり積み重ねたりするそうな。パズルなら完成形を脳内でじっくりシミュレーションしてから実行してみる。私は確かに「右脳タイプ」。脳内シミュレーションは一瞬、または無で先に組み立ててみて、失敗したらやり直す派。考える前に手を動かしたり喋ったりしているらしい。
「かおちゃん(私)は、私達(父と母)とは違うタイプだと思っていた」そうです。
それを意識し出したのは、私が生まれてからだそうで、つまりそれまで接したことのある姉二人に関しては同類(左脳タイプ)と認識しているらしい。異色の人が居てみて、自分が何色なのか?気づくというのは、古今東西よくある話。どれだけ色白なのか、色黒なのか、腹黒なのか、他者がいなければ知りようがないのだ。
母がふと言った。
「芸術家って、そっち(右脳タイプ)なのよね。」
ん??これって遠回しに、母は「貴女は芸術家タイプだった」って言ってない??めっちや意外。
なんて、母が言い出した。両親とも化学の学者の家庭には、芸術系のことなんて無縁と思って育ってきた私。一番縁遠いのが芸大なんて言われて育った。何を見て、私を「芸術家っぽい」と思っていたのか、母の真意は今日は聞けなかった。
れーちゃんとワカメちゃんが騒ぎ出してしまったから、それどころではなくなった。これ以上深堀りしたくてもできなかったが、私は知りたい。
母の目に映っていた私の芸術家っぽかったことってなんだろう?例えば、自分の絵が修学旅行のしおりの表紙になった、とか?
芸術方面に私を進めようとしたことも、一度もなかったし、教師・学者家系らしく「勉強こそ唯一絶対の必要条件」として私は教育(脅育)されてきた。芸術方面で生きることなんて、許されない!と思って生きてました。
が、果たして本当にそうだったのか。私が親の期待を勝手に飲み込んで拡大解釈していただけなのか。ただの誤解だったのかもしれない。
右脳タイプ、左脳タイプ。少なくとも、母は「かおりと母は違うタイプ」と認識していた。きっと父はしていないでしょう。私と父が馬が合わないのはそのせいだったのかもなぁ…。知る由もない、右脳左脳の違いに右往左往していたのか。
自分はどちらなのかの自己認識も、相手のタイプも理解していない。別タイプならデフォルトでの理解は望めないし、互いの違いを知らなければ埋めるべき溝の存在にも気づかない。
「自分ってどんな子供だったのかな?親にはどう映っていたのか?」を深堀りするだけで、なんだか過去の自分が救われて来た気がした。
さあ、次に母に会う時に、照れずに続きを質問できるかしら。
「私って芸術家タイプだと思ってたの?なんで?」
って。
「1 つだけでは多すぎる」
「3つのりんごは何個に見える?」→「2人乗りベビーカーの旅路」と、数字が入るものが続いていたので、「1」に関わるもの記事を書きたくなりました。
「 1 つだけでは多すぎる」
先日はこんな言葉に出会いました。私が尊敬するキャリアカウンセリングの先生に教えていただきました。先生曰く、「 1 つのことだけを考えすぎると視界が狭くなったり、重たくなりすぎる」とのこと。
例えば、自分の人生のすべてを犠牲にして、自分の全力を一人娘だけに投入して生きるとどうなるでしょう。その娘側は、いつも監視されているようで窮屈さを感じ、母親は娘の「成功」によってのみしか幸せを感じることがない。どう見ても不健全。
私の解釈は「人の役割や居場所は 2 つ以上ある方が良い」です。
あなたなら、どう捉えますか?
「居場所は 2 つ以上ある方が良い」
私は、自らの人生を通じてそう感じます。なんなら 3 つ以上あっても良い。学校に行きたくない、家にも居たくない、そんな時期があったからです。
この世界の、どこにも居たくない。あんな思いはもうしたくない。
もし居場所が 1 しかなかったら?もし、もし、そこで追い詰められていたり、いじめられたりしていたら?
私は打たれ弱いし、臆病です。だから、保険が欲しい。
A という居場所で上手くいってなくても、「私には B という活躍している場がある」と思えると、安心しませんか?A しかないと、そこでダメになると即、死を意味するに近い背水の陣。
要するに、逃げ道が欲しい。やっぱり逃げるは恥だが役に立つのだ。
ドM の頑張り屋さんなら、「崖っぷちに立ってからが本番よ!」と思うかもしれません。私は、そんなに強くないです。例えば、仕事で崖っぷちに立って、精神的にボロボロになって、その状態で母親として子供に接したくないのです。私がそうしたくない。
「自分の限界がどこか知るために生きてるわけじゃない」って B'z の歌詞であったなぁ。20 代半ばくらいまでは、限界まで挑戦してこそ!とか思ってたけど、もうそんなことしたくない。
居場所が多けりゃ多いほど良いって問題でもない。役割が増えればタスクも責任も増える。何個の居場所で、何%くらいの時間を費やすのか、そのベスト状態は人それぞれだし、同じ人間でも 1 年も経てば変わる。
一般論や社会通念に惑わされない、私だけの「ベスト」な居場所の数と、それぞれの深さ。それって何個くらいなんだろう?
2人乗りベビーカーの旅路
育児道具っていうのは、ほんのわずかな時間だけ必要でその間はとても役に立つものが多いです。抱っこ紐や哺乳瓶は長くても2年、ベビーカーも長くて3 年ほどでしょうか。
短期間のみの使用だから、新品を買うには勿体無い…とお下がりや中古品を買ったりいただいたり、私自身もお下がりを譲ったり。
2歳差育児において、ものすごく私を助けてくれた 2 人乗りベビーカー。使わなくなって1年以上経過。棚に入りっぱなし。
その感慨深い二人乗りベビーカーをやっと手放すことにしました。先日 3人目が生まれたという友人にプレゼントしました。
我が家では無用の長物と化した2人乗りベビーカー。お嫁入り先では大の戦力!新しく活躍できる場所を見つけてくれて、持ち主として私は嬉しい。
これまではここで活躍してイキイキしていた。けど、今は?
そう問いかけることはとても大切なんだな、とベビーカーが教えてくれました。
あの 2人乗りベビーカーには本当にお世話になった。
長女れーちゃんが歩けるようになってても、「そのベビーカーは私の!!」と妹に取られる嫉妬や不安があった。それを取り除いてくれた。
車道に飛び出すことが危ない、などの認識がまだ弱い2歳児のれーちゃんの手を繋いで、次女ワカメちゃんも一緒に出かけることは至極神経を使った。生死に関わるから。ベビーカーは娘2人をそっと抱えて、私の心もずいぶんと楽にしてくれた。
2人で前後に並んで乗っていると、楽しかったのか、2人はよくベビーカーの上でケラケラ笑っていた。
あの姿を見ることは、もうない。
寂しい気持ちとかではなく、「ああ、もうあの光景は見れないんだ」と思うと、心にずっしりと来る。
「早く終われ、早く人間になってくれ、こんなのいつまで続くの」
そう思ってる時間は97%。
私たち家族にとって、欠かせないものだった。そんなあの子は、新天地を見つけた。
過去の栄光や思い出にしがみつかないで、今自分にとって居心地の良い場所を探すことは、物にとっても、人にとってもきっと大事なことなのだろう。
物に対しても親心を抱いている私は、変人なのか、ノスタルジーなのか。
2人乗りベビーカーちゃん、本当にありがとう。
新生児おむつからも、昔似たようなことを思ったっけ。2 度とは来ないこの今の時間を、大切にしよう。
子供の成長やサイズアウトが早くて、お気に入りアイテムにさよならする日は突然やってくる。何度も何度も、さよならをする。
そんな機会を沢山、短期間で与えてくれる。子供たちって、親にさせてもらってることって、凄いことなんだなぁ。
3つのりんごは何個に見える?
子供の制作物ってどうしてますか?
ときめく片付けを(途中まで)断行した私は、結構捨ててます。特に、2歳以下ものはほぼ先生作だったから、特に思い入れもなく。
長女れーちゃんが3歳になったころから、本当にれーちゃんの力だけで作ったもの・描いたものが出てきました。親バカな私は、れーちゃんの絵を見て「天才だ」と思い、「俗人離れしている」と思い、「れーちゃんの見ている世界ってどんな世界なのだろう?」と思いを馳せました。
先日、保育園の入り口に園児が描いた絵が飾ってありました。りんごのスケッチだそうな。
1枚のお皿に乗った、3 つのりんご。
大きさや色使い、余白の広さ。園児それぞれの個性が出てる。共通しているのは「3つのりんご」を描いていること。
が、れーちゃんの絵だけ、ちょっと違ったのです。
れーちゃんのスケッチ画には、りんごが 8 個ほど。りんごがハート型。りんごの個数が増えている。しかも、踊りだしそうなりんご。
れーちゃんのフィルターを通すと、ハート型のりんごが沢山。お皿もたくさん。親バカな私は、「ひょっとして天才じゃない?」と。
現実や目の前に見えているもの。それ以上のものを描く。それ以外のものを描く。想像の眼を持っているのかな、と思った。
この間までは、殴り書きの落書きが多かったのに…。
正直、れーちゃんは写実的な絵は上手くはありません。私がそれよりも注目したいのは、想像の目で、見えていないものを描くって、そう簡単に教育できるものではないな、と感じた。
どことなく「れーちゃんって俗人っぽくないなぁ」と感じていたが、絵に現れました。
つまらない大人や図工の先生などに「そのスケッチは違う」とか言われて、想像の眼を閉じてしまうかもしれない。そうなる前に、れーちゃんに伝えたい。あなたが描いているものは素晴らしいと。現実とは違っていたとしても、それは素晴らしいのだ、と。
親バカ炸裂している私は、れーちゃんにスケッチブックを買ってた。れーちゃんの想像の目で描くものを見てみたい。そんな下心を持って。
今日はその新しいスケッチブックを持って動物園へ。どんな絵が出てくるのか?期待していたら、殴り書きの絵とも言えない絵が出てきた。
あれ、想像の眼は??
っていうか殴り書きに退化??
マグレだったのか…
期待しすぎた私は、親バカならぬただのバカだったわけだ。
奇跡はそう何回も起きないし、本当にアーティストだったとしたら、「れーちゃんの気分が乗る」ことが大事だったりして。
勝手に期待してちょっと落胆した私はれーちゃんのスケッチをもう一度眺める。
フラミンゴらしき絵の横に□がある。「フラミンゴのお家」なんだそうな。目の前にいるのはフラミンゴと池で、家はない。あ、れーちゃんはやっぱり想像の眼を使っていたのだ。
不格好だけど、上手いとは言えないかもしれないけど、れーちゃんにしか描けないものが、そこにあった。
子育てって、きっといつもこういう姿勢でいることが大事なんだと思う。どの子が描いた絵にも良さがある。その子の良さはなんだろう?その子は何を見てるんだろう?その子の世界は、その子はどんなフィルターを通してこの世界を見ているのだろう?
「◯◯しなさい」「やめなさい」「早くしなさい」いつも、この三点揃いばっかり言ってしまうが、れーちゃんが持ってるフィルターがなんなのか、一旦落ち着いて、同じ目線になって世界を覗いて見たいと思いました。
れーちゃんの1枚の絵から、私の思いは広がる広がる。寝相が激しいれーちゃんの身体も布団から広がる広がる。