私は、幼少期からの無理してバイリンガル教育は不要だと思っています。不要どころか、気をつけなければ害も大きい。
学費もバカにならないし、インターに通わせる気は更々ないが、今日はちょっと面白い学校の話を聞いた。都内のとあるインターは、「科学を教えるために適した言語は英語であるから、学校教育も英語で行う」という変わったコンセプトの学校があると聞きました。
「科学を学ぶには英語が適している」は、イギリスの大学の理学部出身である私も同感です。
なぜ英語が適しているのか?を私なりの考えを紹介します。
まず、私の言語背景から。
- 日本語(母語)
- 英語(母語並み流暢)
- フランス語(昔はちょっとだけ読み書きできた。※今はほぼ忘れてます)
- ドイツ語(1から10までは数えられるのみ)
私が理解できる(またはした事のある)言語の中で、科学を学ぶ適性を比較してみます。ドイツ語も適してるんじゃかいかなー、と思えど、私はドイツ語わからない。
■日本語
はっきり、日本語は科学や理を学ぶ適した言語とは言えません。良くも悪くも日本語は曖昧。
科学とは「なぜ」を追求することであり、再現性と正確性が求められます。
曖昧さは、再現性と正確性を助けるどころか足枷です。 私が考える日本語が曖昧な理由は以下。
- 否定系 not の位置が文末
- 主語が無くても成立する文章
- 無数の助詞
- 無数の語順
それぞれについて、解説します。
理由その1:否定系 not の位置が文末
文末になるまで、否定型なのかは識別できない。「私はジョン、じゃないかもしれない」なんて言えちゃう。最後まで事の顛末がわからず、早とちりさんには不便、
理由その2:主語が無くても成立する文章
これは、日本語を英訳する時に大いに苦労する部分であり、元の文章を書いた人に確認しなければ誤解を生む翻訳になる。 たとえば、
- ① それ好き。
- ②私はそれが好き。
- ③ 彼はそれが好き。
①だけでは英訳できない。英訳できない、○○語訳できない、ということは、日本語を話す相手であっても理解できない人間が一定数居るということ。ハッキリと明確に書いた文章ですら、一部だけ切り取られて揚げ足取りされたりするのだ。曖昧な文ならばその危険性は高まる。
理由その3:無数の助詞
「てにをは」と言われる助詞が無数あり、使い方も一元化されてるとは言えない。
- これ【が】私の物です。
- これ【は】私の物です。
- これ私の。
英語にしたらどれも This is mine. 種類も多く、使い方も特に厳格な規則はない。これは無秩序・曖昧になりやすい。
理由その4:無数の語順
修飾語、目的語、前置詞などの語順に厳しい定義はない。
① スーパーで牛乳を買う。
②牛乳をスーパーで買う。
英語では I buy milk at a supermarket. I buy at supermarket, milk とはならない。
文章の発信の仕方、受け取り方が多様では、同じ実験を繰り返すことも、結果を再現することも困難になる。
■フランス語
日本語にある様な曖昧さは、フランス語では格段に減ります。以下は解決される。
- 否定系 not の位置が文末
- 主語が無くても成立する文章
- 無数の助詞
- 無数の語順
されど、仏語が科学を扱うに最適な言語とは言い難い。
私のフランス語スキルなんて、恥ずかしすぎて喋れるなんて言えませんが、ある程度は習ったし、南仏家庭にホームステイしたこともあるので、少しはわかる。
フランス語の曖昧さは発音にある、と思います。主な理由は、リエゾンと同音異義語。
連なる単語をきっちり分けて発音するのではなく、繋げて発音する事があります。
たとえば、Comment allez-vous(英語の how are you?)。
単語毎に分けるコマン、 アレ、ブー ですが、実際の発音は「コマン タレ ブー」です。
comment 単体では t の発音はしなかったのに、後ろに allez が付いて来たので、 t と a をくっつけて、「タ」と発音する。
こうやって文字で見ている分には、各単語に分解して理解できるけど、音声情報しかない時はほぼ理解不能。
仏語は英語よりも語彙数が少ないそうです。たとえば、
- like と love の単語が同じ
- 英語の both(両方)に当たる単語はなく、 le deux (英訳すると the two)と表す
- じゃが芋(potato)に当たる単語はなく、pomme de terre (英訳すると apple of the earth, 大地に成るりんご)
単語数が少ない事は、学ばねばならぬ語彙数が少なくて結構!と思いきや、そうでもない。少ない単語を組み合わせた表現を覚えないといけないので、楽でもない。
組み合わせる単語が多ければ多いほど、前述のリエゾン発生率が高まり聞き取りは更に難儀。(そもそも難儀すぎて、ここに来るまでに私は既に諦めている)
うっかり de terre の部分を聞き逃したら、じゃが芋の話をしていたのに、りんごとすり替わったりしているのだ。
「好き」とは like なのか love なのか、恋愛関係にあっては物凄く揉めそうな境界線だが、日常生活においては曖昧のままにして置いた方が良いこともある。(本題から逸れるのでこの話は避けます。)
されど、科学を学ぶのにはその曖昧さは致命的だ。
フランス語やイタリア語はラテン言語。ラテンの精神性は、どことなく乗りで生きてる感じが。乗りで生きるのは楽しかろうが、科学の学問との相性はピッタリとは言えないかも。
■英語
では、英語が本当に一番、科学を学ぶに適してるのか?
私が知る言語の中でおいては、一番適性が有ると言えます。情報を正確に、誤解なく伝えるにはあまり不便しない言語。
語順問題やリエゾン問題はない。英語の難点は、発音の規則性が低いこと。他のヨーロッパ言語では、各言語での発音規則に従えば、ほぼ外れる事なく読めます。たとえば、
- 仏語では h は発音しない
- 仏語では、単語の一番最後の子音は発音しない(除くリエゾン)
- イタリア語には j はない
- ドイツ語の v は英語の w にあたる発音をする(volkswagen はドイツ語ではフォルクスヴァーゲンと発音する)
が、英語での規則性の低さったら、比ではない。例えば
- daughter の gh は発音しないが、ghost では h のみ発音しない
- trace、case、cycle のように末尾(e)を発音しない単語もあれば、text、cup、pen などのように全ての文字を発音する単語もある
- banana の a のようにa を「ア」と発音する単語もあれば April のように a を「エイ」と発音する単語もある。
英語での発音の「例外」はいくらでもある。
■ドイツ語
私はドイツ語を知らないのですが、ドイツ人曰くドイツ語は英語よりも更にシステマチックであり、例外も少ない(またはない)とか。
より規則が多く、例外が少ない物理が、ドイツで発展したのもうなずける。ゲルマン人の厳格さや、ルールに忠実な所がハッキリと見える。
アインシュタイン、ケプラー、ハイゼンベルク、シュレディンガー、ドイツ語圏出身の物理学者が多いのもそういう訳か。
物理よりも例外的事象が多いのが、化学(chemistry)の世界。
自然界には多くの原則や規則があるが、例外も沢山ある。それを上手いこと映し出しているのが英語の例外たっぷりの規則性なのかもしれない。
決して私は英語を持ち上げたいわけではないです。それぞれの言語には、民族性が体現され、適している学問が異なる、と言いたい。
ゲルマン言語とは、語解を生みにくい正確な情報伝達がしやすい。軍隊内の通信にはぴったりでしょう。が、その分味気ない。英語が達者とは言えない留学前から、そう感じていました。
じゃあ他の言語に適してる学問ってなんなの?味って?というのは、次回に持ち越します。