打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

エリート:多様性から一番遠い存在

先日の「真のエリートと偽エリートの違い」の続き、「エリート:多様性から一番遠い存在」と、エリートを切り口から書きます。今回は宗教観から。

 

最近イスラエルに関する本を読みました。電車で体臭強い人と大きな体格の人に挟まれ、「今日は電車よ隣人運がないなー」と思う平和ボケっぽい私と、何千年と隣人事情が緊張状態なパレスチナ地方の対照的なこと。

 

イスラエルといえば、ふと、イギリス留学時代の友人、仮名クレア(フランス系ユダヤ人)を思い出した。クレアのユダヤ教徒らしい習慣を、「バカみたい」と笑うのか、尊重するのか。そこに人間の性根が現れるのかもしれない。

 

偽エリートならぬ、真のエリートならどう反応するのか?気になるエピソードを綴りました。

 

私のイギリス時代は、実に様々な人種や国の人に出会いました。「大学に行ける以上の裕福さ」は皆同じだが、宗教観や文化は、日本より多様だった。

 

ブブカ付きのイスラム教徒、ユダヤ教徒キリスト教徒、各宗教の各宗派がぞろぞろと同じ講義室や実験室で共に学ぶ。私はそんな大学で4年間を過ごした。宗教の違いなんて特に意識せずに。

※完全に余談ですが、異教徒よりも、私が苦手だったのはキャピキャピキラキラ女子。日本に居てもイギリスに居ても、苦手属性は変わらなかった。

 

私は寺の娘でありながら、特に何の戒律もなく生きて来た。そんなの修行僧だけだろ!と。ゆえ、戒律を守る一般人に触れたことはあまりなかった。だから、少しびっくりしたのです。

 

晴れた午後にピクニックをしながら、旅立つお友達に、お別れ寄せ書きメッセージを集めていたとき。

 

「今日は宗教上の理由から、文字を書けない」

 

ユダヤ教徒であるクレアは、戒律を理由に寄せ書きを断りました。

 

 ユダヤ教では、安息日は神が世界を創造した日だから、人間は創造的な活動を控える

 

安息日がどうの、という話は19 歳の私には初耳だった。世界史の授業は、「ユダヤ人は迫害を受けた」ということしか教えてくれず、細かい戒律などの日常生活に関することは、何も、学ばなかった。

目の前の友人が自分とは違う習慣を持っている、ということは、何年も習った歴史の授業以上に世界を考えさせてくれた。

 

 

「戒律って大変だな。それじゃ土曜日は勉強できないってこと?」

 

これがユダヤ教に関して無知な 19 歳の私が抱いた感想だった。

学生は土日も勉強をする生き物。文字を書けない日のお勉強は、読み物に集中するらしい。

 

土曜日に文字が書けなかろうが、勉強できなかろうが、クレアは成績優秀だった。それ以外の曜日にしっかり勉強していたのだろう。

 

 

このエピソードを、東大卒の人に話したら、「(そんな戒律)バカみたい」と一蹴されたことがある。 

 

クレアは私の友人である。バカにされて、なんだかやるせなかった。

 

バカみたい、と一蹴して良いことなのか?何千年も受け継がれている戒律や習慣を、他文化、他宗教の人が嘲笑っていいのか?

 

エリートこそ、人を嘲笑ったり、バカにしたりすることが多いのではないか?エリートこそ、多様性から一番遠い存在なのでは?

 

私はそう考えるようになった。

 

エリートこそ、一番多様性がない社会の層だと思う。

 

流行ってる「多様性」という言葉。2 年程前に書いたとおり、私は「多様性とか言ってる人は本当は、多様性なんて欲しくない」「ダイバーシティなんて嘘!」と考えてる。 

 

組織によっては、多様性がなく、均一的であることが大事な場合もある。なぜここまで多くの人が「多様性」を求めるのか。本当に求めてる?

 

「多様性がないと業績が悪くなる…と、株主や投資家に思われるから。。」と邪推してます。自ら求めたものではない。だから、嘘っぱち、建前に見える。

 

組織の上層部が「組織の多様性が」と言っても、なんだか信用ならない。ワーキングマザーという少数派の立場から、それを痛感したこともある。

 

会社、とくに大企業上層部ってエリートが過半数。エリートって一番多様性がない社会の層だと思う。

 

良くも悪くも、この世はピラミッド構造です。社長は1人、管理職は20人、平社員は500など、上に行けば行くほど人口は減ります。

 

アンナ・カレーニナの法則は、「幸せな夫婦はどこも似た点があり、不幸な夫婦は家庭の数だけ不幸の形がある」と同じく、社会の上に行けば行くほど共通点が多くなる。

 

社会の上の層(金持ち)には共通点が多い。

 

大企業経営陣なら旧帝大早慶出身者が多く学歴も経歴にも共通点が多く、平社員になればもう少しバラける。そんなイメージでしょうか。霞が関の官僚に至っては、旧帝大はおろか、東大じゃないと大した出世はできないと来ている。

 

共通点が多い人たちに囲まれていれば、自分は心地よい。自動的に自分が多数派になり、無理をせずとも「あいつは空気を読んでる」と認識してもらえる。

 

村社会のこの国では、そうして生きる方が楽…かもしれない。「少数派」「弱き者」の声を聞くとか、本当は結構面倒くさいもの。可愛い可愛い我が子であっても、面倒くさいことはあるのだ。

 

自分が多数派でいられるコミュニティにさえ属していれば、少数派について真剣に考えなくて済むのか?逃げ切れるのか?

 

いいえ、逃げ切れない。

 

どんな社会層に居ようとも、どんなに多数派っぽい人でも、何時でも自分が少数派になることが起こりうる。

 

例えば、もし、自分や家族が病気になって、車椅子生活になるとしたら?

 

多様性を!!と求めたり、「うちはこんなに多様性に富んでるのよ〜」とアピールしてる人たちにお願いしたい。

 

自分の視野がどれだけ狭いのかという現状認識をして欲しい。そして、「本当に多様性を求めているのか?」を問い直し、そう望まないのならば、正直に言って欲しい。

 

「うちの会社は多様性なんて要りません!」と明言するのは、勇気がいるかもしれない。

 

せめて、本音ではないなら、沈黙を守って欲しい。ま、これは私の個人的好みが強いです。見栄えの良い建前よりも、クソみたいな本音の方が、私はしっくり来る。建前怖い。

 

 

他者の習慣を上から目線でバカにする人口は、エリート層に一番多いかもしれない。

 

世界史の教科書で、〇〇年〇〇事変とか教えるのもいいけど、生身の人間を想像させる様な内容も教えて欲しかった。

 

「〇〇教には△△の戒律があり、理由は✕✕です。」

 

戒律にはそれぞれ、なんらかの理由がある。背景まで学ぶことこそ、真の理解への近道だと思う。

 

これまでの日本の知識詰め込み型教育では、こういったことは中々培われないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

隣人の事情

隣人運って、あると思いますか?

 

先日の私は、電車での隣人運がなかった。体臭の強い方や体格の大きい方に挟まれて…。

 

これまでの数々の私の隣人事情を書き出して、気がついたことがあります。

 

都内を走る電車の中で私は、東京、イスラエル、イギリスへと脳内で旅しました。

 

 

 

電車の隣人運がなかった、ってどういうこと?

 

やった!座れた!と思ったら右隣は体臭が強い方でした。

私はそっと、静かに空席の左側に寄り、なんとか凌いでました。空席だった左側には、ガッシリと体格の大きい方がやって来て、左側に寄るという選択肢は排除されました。

 

臭いか圧迫感か、どちらを取るか?という私の脳内攻防戦が始まったのです。30 分ほど同じ路線に乗りっぱなしなので、正直立つのは嫌だった。

 

臭い VS 圧迫感 VS 立つ

 

私は結局立ち上がるのは嫌で、臭いと圧迫感に耐えました。

左隣の人は何回か入れ替わったものの、いずれも大柄の方。私の脳内攻防戦は続いたのです。

 

私のこれまでの「謎な隣人たち」を書いてみた。

 

  • イギリスの大学の寮 隣室の人に特に問題はなかったが、エレベーター間近だったので、人が集まって夜中も騒がしかった。油の足りないエレベーターが吐き出すギシギシした不快音は、生理中はイライラの種だった。もはや懐かしい。寮施設改善の意見箱には、「Oil the lift」(エレベーターに油をさしてくれ)と書いたことは忘れない。 

 

  • マンションの隣人(過去) かなり怪しげな隣人が住んでいた時がありました。引越し時に「父娘(親子)です」と挨拶していたものの、どうみても実の親子に見えない。夜な夜な変な音が聞こえてくるし、正直こっちはソワソワ(むしろゾワゾワ)して、挨拶以外は極力関わらないようにしました。その後、きちんとした雰囲気のご夫婦が引っ越してきて、ホッとしてます。夜な夜なの妙音もなくなり、変わりにすごく美味しそうなお料理の臭いや赤ちゃんの泣き声が聞こえるようになりました。新生児を久々に抱っこさせてもらい、幸せを分けてもらったり。

 

  • 昔の家のご近所さん 隣…ではないのですが、中々変わったおばあ様が近所に居たのです。私の祖母が若かった頃から何かと問題を起こす方だったらしく、ここで書くのも憚られる様な不審行動に出る方でした。怪文書とか。イタズラ電話とかやっていたらしいです。

 

こうやって書き連ねて気づいたのは、電車の隣の席がどんな人か、なんて大した事はない、ということ。

 

電車なんて長くても一時間程度。新幹線でも3 時間ほど。住まいとは、一体何時間過ごしているのかわからない場所。住まいでの隣人運は大切かもしれない。

 

「当たり」を引くよりも、「ハズレを引かない」ことが大事かも。

 

 

イギリスの大学寮は、留学生がいきなり一人暮らしするのは大変だから入りました。複数ある寮の中から、適当に振り分けられた寮で、部屋も適当。同じ料金なのに、こんなににも騒音が違うのか…と愕然。学部生エリアは院生エリアよりうるさい。若気の至りがそのまま出るのか。

 

自分が買ってしまった家、子供と住んでる家は、簡単には引越しはできません。そもそも面倒くさい。隣人がよほどの変人で害がなければ、こっちも居座りたい。

 

実害を及ぼして、耐えきれないレベルでなければ、面倒くさがりの私は引っ越さずに済む。

 

電車に座って、脳内攻防戦を繰り広げていた私は、一体なんて平和なんだろう。と。

 

実はその平和な脳内攻防戦中に読んでいたのは、イスラエルに関する本。

 

あそこは隣人事情が、これまたややこしい。脳内ではなく、リアル攻防戦が繰り広げられるかの地では、こんな平和なこと言ってられない。

 

イスラエルと聞くと、大学時代のフランス系の友人を思い出す。敬虔なユダヤ教徒であった彼女は、聖地イスラエルへと移住した。果たして元気にしているのだろうか。

 

 

イスラエル」に関する読書感想文は、私のユダヤ人の友人と重ねて、後日書きたいと思います。

 

しかし…人口の二割が味盲(味覚がない)と言われるイギリスでの寮の食事は本気で不味かった…。基本的に手抜き料理のイギリスで、量産される寮食。

不味い食べ物が平気だから、世界征服できたのかもしれない。

 

イギリスの食事がすべて不味いわけではありません。料理人の個人差が大きいので、あしからず。

目薬スキル

子育ては、本当に様々な体験をさせてくれる。

 

何回おむつ替えをしたのか、何回ママチャリに子供を上げ下ろししたのか、何回飯を食べさせたのか、何回仕上げ磨きしたのか。もはや数える気にもならない。

 

何事も回数を重ねるほど、上達はするもの。最近の私は、目薬力が上がった。

 

目薬を通して、思いがけず、諸行無常を学んだ。

 

半月ほど前、次女ワカメちゃんのクラスでは目の病気が流行っていて、念の為ワカメちゃんも眼科医に見てもらったり、お休みさせたりもしました。

「アレルギーっぽい」と診断され、目薬を射す日々。アレルギーは人に伝染らないけど、手入れは必要。

 

「目薬するよ〜」と言うと、ワカメちゃんは、ママのお膝まで来てくれます。羽交い締めにしなくても目薬を使えるなんて、お利口さん♡…とか思ってたら、ぎゅっとぎゅっと固く目を閉じて笑ってるのです。

 

目薬をさせません。

 

なんとか目を開けてもらったり、できなきゃ私がこじ開けるのですが、目薬が登場する前にまた目を固く閉ざし…。

 

一番搾りの顔みたいに、固くを目を閉ざす。

https://www.instagram.com/p/By2mxRElwt5/

目薬さしたいのに、固くを目を閉じ微笑む次女の図

#目薬 #目薬嫌がる #目蓋 #子育て日記 #子供 #女の子ママ #目を閉じる

 

 

こんなことの繰り返しで、せっかくの目薬が大分無駄になりました。

 

が、これも繰り返してると、私の目薬スキルも上達した。目をこじ開けたその一瞬に目薬を垂らせるようになったのです!!

 

目には全く入らず、頬をつたる目薬の量は減り、目薬格闘タイムも短縮された。

 

密かに私は自分の上達っぷりを褒めた。

 

その頃には、もう目薬は底をつき、ワカメちゃんからアレルギー症状が消えていた。

 

上達してマスターした頃に、不要になるスキル。不要になり、また目薬生活に入る頃には、きっとすっかりやり方を忘れてるだろう。冒頭に書いた「諸行無常」感を感じるのはここです。

 

子育てで身につくのはそんなスキルの集まりかもしれない。

 

結論:

  • 何事も、ある程度回数を重ねると上達する。
  • 上達したころには、そのスキルが不要になることも多い。
  • どんな小さな事でも、上達したら自分を褒める方が楽しい。

 

 

どんなことでもいい。みなさんは自分を褒めてますか?

 

「やりたいこと」お化け

「やりたいことが見つからない」と、悩んだことはありませんか?

 

過去に「やりたい!」と言ったことを、すっかり忘れてどこかに置き去りにしたことはありませんか?

 

健康になろう!と、ヨガレッスンの回数券を買ったけど、足が遠のき有効期限が切れてしまったり。

 

私はボランティアで時折、大学生と話す機会があります。主に就職や留学についての相談を受けています。

 

「やりたいことがわからなくて…」

 

大学生とキャリアについて話すと、この言葉を聞きます。その度に、大人は罪深いと感じます。

 

周りの大人やメディアは罪深い。「好きを仕事に!」とか、簡単に言うものじゃない。

 

「やりたいことを探さなきゃ」「好きなことを仕事にしなきゃ」という強迫観念。私はこれらを【やりたいことお化け】と呼びます。

 

 

学生でも社会人でも、「やりたいことお化け」に取り憑かれている人は、やりたいことすら見つかれば救われると思ってる。やりたいことを見つけるのは、スタートでしかない。

結婚もゴールじゃないし、出産もゴールでもない。

 

やりたいことってのは、後からわかるものなのでは?と、ふと私は感じています。

 

  • お金がない
  • 時間がない
  • 体力がない
  • 場所がない

 

 

あらゆる制限があったとしても、絶対に辞めなかったこと。やりたいことを実行するために、制限を取り除こうと本気で向き合ったこと。

 

それが自分が「やりたかったこと」だ、と、後になって初めてわかる物ではないでしょうか。

 

私の留学もそうでした。

色んな制限があっても、「絶対に留学を中断しない!一年生き延びてみせる。」と言う気概を持って、私は留学初年度を過ごしました。要するに、覚悟を決めていたのです。

 

「やりたいこと」を実行するには、覚悟が必要です。大人たちは「やりたいことを見つけろ」とだけ言って、覚悟が必要であることを若者に伝えているのでしょうか?

 

もう一度言います。

 

周りの大人やメディアは罪深い。「好きを仕事に!」とか、簡単に言えることなのか?を自問する必要があると思う。

 

 

この世の仕事は地道な大事な作業が沢山あります。この世のほとんどは「感動されない空気みたいな仕事」でできている

 

 

「やりたいことがわからない」と悩む学生には、「見つからない事をそんなに問題視しなくていいんだよ」と伝えています。

 

 

私が、個人的に、勝手に、学生におすすめしているのが消去法。「やりたくないこと」をリストアップする。

 

やりたい事がわからなくても、多くの人々は「自分がやりたくない事」は知っている。それを書き連ねて行くと、自分がやりたい事が見えてくるかもしれない。

「やりたくない事」を書き出すのには、これといった覚悟は要らないので、ハードルは低く、今すぐにでも出来る。

 

娘たちにも、「やりたいこと見つけなさい」って無責任には言えない。そりゃあ早くそれを見つけてくれたら親としては嬉しい。

 

それを見つけたとしても、縛られて欲しくない、とも思う。

 

5歳のときにやりたかったこと、10歳のときにやりたかったこと、20歳の時にやりたかったこと。年を追うごとにそれが変わることもあります。

 

私自身がそうでした。なんなら 25 歳の時にやりたかったことと、27 歳の時やりたかったこと、今やりたい事はすべて違います。

 

やりたいことが変化する自分を「ブレブレだー」と、責めた時期もありました。実はその必要もなかった。

 

生きていれば人間は変化します。やりたいことが変わることもあります。

 

たとえ、やりたいことが見つからなくても、それがブレブレに思えても、それを恥ず事はない。

 

その時々で良い。自分の心の声に真直ぐに向き合えて、心の声を聞いて生きていれば、それで良いのではないでしょうか?

 

懸命に生きる。心の声を聞く。

 

「やりたいこと」を見つけるには、結局それしかない。

 

そんな事を思う、満月の夜。

 

 

 

 

トイレの神様は来たかも??

続・トイレ掃除の話。

運気あげ狙いで始めたトイレ掃除。最初にやってきたのは便通の神様で、つづいて、金運の神様がやってきたよ〜!

 

 

クレジットカードのポイントがボーナス的に10000円分付与されました。パチパチ✨

たった10000円かもしれないけど、毎日トイレ掃除習慣を始めて、一ヶ月以内にいいこと起きたよ。給料日でもなんでもない間にも、こういうことって起きるんだなぁー。

 

人格A「え?そんなのたまたまポイント付与のタイミングだったんじゃない?トイレ掃除関係なくない?」

 

そんな声も、ちらっと私の頭の片隅から聞こえてきます。そこで別人格は言うのです。

 

人格B「もしかしたらそうかも、しれない。自分が気持ちよく行った行為が、便通にせよ金運にせよ良いこと繋がったって考えるほうが良くない?」

 

身の回りに起きる事すべてに、理由なんてない。少なくとも、すべての事象に対する理由を網羅することは難しい。理由なんてどうでもいい、如何に自分が楽しいかが大事、とトイレ掃除が教えてくれました。

 

○○したから△△になった。

 

これって脳内で起きてることが多いんじゃないか?つまり、理由と結果を結びつけてるのは、私たち自身であるということ。

 

重量のある地球上で、ボールを手放したら落下した。メガネをかけたら、光の屈折率が変わって様々なものが見えるようになった。このような純粋に物理的なものは、客観的な、科学的な理由があります。

 

物理的な現象だけでは説明できない事が、この世には数多くあります。

 

特に意味もなく自分を責めてしまう罪悪感という感情は、非常にやっかいですが、ソンザします。

 

○○したら☓☓になった。私のせいだ。

 

母親ってのは、とても罪悪感を感じ易い生き物だ、と人の親になって痛感してます。

 

自分が直接的な原因でもなんでもないのに、子供が泣いてると焦って「何か私が足りなかったんじゃないか?」って、つい考えちゃう

 

目の前の現象と理由を、脳内でつなげる。これを悪い方向にやってしまうと罪悪感が生まれる。

 

 

正直、トイレ掃除が便通や金運に直結しているかどうかなんて、今の私には対して重要ではない。「自分がキレイに掃除したからだね♪」と思うことで、これまで掃除してきた自分を褒めたくなるし、これからの私のトイレ掃除はきっと、もっと、楽しくなる。

 

些細なことでも、良いことがあったらそれを自分の功績にしちゃえば人生楽しいんじゃないか?とふと思った。

 

もちろん、他者の功績を横取りするようなことをしたら、人生つまらなくなります。嫌な人しか周りに残らなくなる。それ以外の場合は、些細な良いことがあったら逐一、自分の行いのおかげよね〜♪と持って行く。

 

比較的、真面目真面目、減点方式で生きて北私とは結構真逆の発想だった。これが自ずと出てくるとは、人間は変わるものだなぁ〜と実感しています。

 

毎日10分程度のトイレ掃除が教えてくれるものは、予想以上に深かった。

 

これをあと1年も続けたら、どんな良いことが起きるんでしょう。

 

「どんな良いことが起きるか」よりも、脳内で「些細なことでも、どれだけ良いことを自分の行いと結び付けられるか」の方が重要だ、と気が付きました。

 

とびっきり良い事なんて、そんなしょっちゅうは起きません。高額宝くじに毎週当たったりはしない。

 

何を「良い出来事」とするのか、そのハードルを如何に下げれるか、が楽しく生きるのに重要なのかな。

 

 

私の高校・大学での友人はトイレ掃除を生業とする人は一人も居ません。ホワイトカラーと呼ばれる頭脳労働者がほとんどです。私もこれを生業とすることはないでしょう。けれど、誰しも毎日トイレにはお世話になる。

 

トイレの心は広いです。ありとあらゆる物を受け止めてくれます。磨き続けてると、同じ素材のはずなのに、昨日よりも、1週間前よりも光って見えます。

 

「うちのトイレはいつもキレイじゃないか」

 

主人はこう言います。過去には若干イラッとしたこともあります。全自動掃除だと思ってるのか💢と。

 

この些細な違いを、楽しみを、全く夫婦間で共有できないのは残念ですが、まあ私が嬉しいので特に問題ありません。たまにした掃除が評価されないとイライラするが、毎日やってると別に気にならない。不思議。

 

トイレネタでここまで私が盛り上がるとは…長文をここまでお付き合いいただきありがとうございます。

 

いずれは娘たちに、トイレ掃除のやり方をしっかり教えこむ予定です。トイレが汚ければ、100年の恋も覚める。そうならないように、いつかは教えねば。

 

おい、他にも教えること沢山あるだろ!と一人ツッコミする雨の夜。

 

真のエリート‐ノーブレス・オブリジェ

エリートとは何か。真のエリートとは何か。

 

自分はエリートだ!とか特権階級だ!と威圧的な人っていませんか?社会問題や事件に対して、自分は外野という立場から批判・揶揄して、まるで他人事。または人を見下す。 

 

嫌な感じのエリート(インテリヤクザとか?)、清々しいエリートの違いはなんなのか。

 

イギリスには6年住んでいました。日英のエリート教育の違いについて語ります。学業だけでは真のエリートを育てることはできないのです。

 

日本でのエリートと、ヨーロッパでのエリートは何が違うのか。真のエリートが育つためには何が必要か。

 

【何が違うのか】

もちろん、イギリスにもヨーロッパにも嫌な感じのエリートは居ます。「こいつ嫌な奴!」って人にも散々会ってきました(笑)

若干ですが、イギリスでの方が真のエリートに近い人に出会う機会が多かった。

 

日本との大きな違いは、学校や社会での精神面の教育です。

 

イギリスは階級社会です。階級社会の方が真のエリートたる精神は育ちやすいのか?と、私は仮定してみます。

 

イギリスの階級を大きく分けると3つ。

  • 上流階級(貴族)
  • 中流階級(裕福な庶民)
  • 労働者階級(庶民)

 

お城の城主、執事などの従業員のまとめ役、その他の従業員ってところでしょうか。

 

上流・中流階級はそれは学業や躾などにしっかりと手間暇・お金をかけて教育します。そこそこはお勉強ができる方が多いかもしれません。でも、それだけじゃ足りないと思う。

 

【学業面の充実だけでは真のエリートになれない】

親がエリートであっても、学業面でエリート教育を施しても、真のエリートを育てる充分条件ではない。

私自身が正にその典型例です。教育ママ・パパに育てられたが、自らを真のエリートだとはとても思えない。

 

私の両親は学者です。私の両親の出会いは大学院時代。母は結婚を機に学業の世界からは遠ざかったが、父は退官するまで学者だった。そんな両親の元で育ち、学業に関しては厳しくも恵まれていた。結果、私がエリートになったとは言い難い。が、いわゆるそれなりのエリート教育は受けていた。

 

学校でも家でもない。真のエリート教育はどのように成されるのか?それを考えるようになった最初のきっかけは古代ローマ史についての読書です。ローマ帝国の影と意志を受け継ぐ文化圏、ヨーロッパに住んでから、「エリートとは」を真剣に考えるようになりました。

そこでのキーワードが「ノーブレス・オブリジェ」。これはローマ帝国公用語ラテン語です。

 

【ノーブレス・オブリジェとは】

なぜ日本語には「エリート」にあたる単語がないのか。つきつめると「ノーブレス・オブリジェ」の精神の有無が理由だと思います。

 

日本で私が施されていた「エリート教育」は、エリートになるための必要条件である学業に関してでした。それは、充分条件ではない。

 

ノーブレス・オブリジェを直訳すると「貴族の義務」、意訳すると社会的地位の高い者・能力がある者が背負う義務です。

 

先日私が読書感想文を投稿したジャレッド・ダイアモンド氏の「銃・病原菌・鉄」につながります。この本では、人類が農耕するようになってから、より複雑な階級社会が作られたと説明されています。

 

農業により、米や小麦などの貯蔵可能な食物を余剰生産できるようになりました。その恩恵として、農業や食料を獲るために従事しない人間も養えるようになった。だから文化や文明が生まれたとされています。

 

要するに、特権階級は野良仕事などの重労働をせずとも飢え死にしなくなったのです。その特権階級は何をしていたか、というと徴税だけではなく、農業がしやすくなるための灌漑設備を作ったり蛮族に攻撃されないように警備したりしていた。

 

自分の食料を汗水垂らして作ってくれる人たちを守ることが、特権階級の人たちの利益にもなっていた。

 

恵まれし者が恵まれし者たりうるのは、重労働をしてくれる庶民がいるからこそ。その庶民の暮らしを守り、より豊かにすることをマクロ的視点で捉え、実行できるのが特権階級なのです。時には我が身を削ってそれを果たす。責務を果たしてこそ、真のエリートになれるのではないか?と思います。

 

その資金提供ができるお金を持っていないときでも、自分が果たす責務を自覚していることが肝要だと思います。

 

恵まれし者はそれを使って社会に還元する責務がある。

 

これはヨーロッパの特に上流中流階級では刷り込まれている思想です。高校二年生まで日本で過ごした私には、知らない発想でした。

 

【能ある鷹は爪を隠すのか、社会のために能を使うのか】

資本主義社会では、上手くいけば一代で大きな財を成せます。ITの力を借りれば一代どころか、数年でも可能。しかしながら、ノーブレス・オブリジェは数年そこらでは培うことはできない。

 

寄付できるお金がある、というだけでは「ノーブレス」貴族的とは言えないのです。バラまいてるだけでは品がない。品だけあって資金がない、なんてこともあります。没落貴族とか。じゃあ、金がなくても残るものは?

 

ローマ帝国史には、ローマ街道や上下水道などのインフラが沢山出てきます。画期的な発明です。インフラ開発にも維持にも、莫大な労力とお金がかかります。当時の貴族階級は、このインフラ設備のために、喜んで寄付し、寄付金提供者として己の名前が刻まれるのを誇らしく思っていたのです。

 

どんな意図で資金提供するのか。その結果、提供者はどんな気持ちになるのか。自ら磨き上げた能力を何のために使うのか。そこにエセエリートと真のエリートの違いが存在する。

  

能ある鷹は爪を隠す、ではなく、能ある者は社会に還元せよ、なのです。

 

高度経済成長期を経て、日本の経済は大変大きくなりました。経済は一等国として認められ、G8なんかにも入ってたり。それでも「政治は三流」と言われ続けて居ます。

 

ここは日本だから、必ずしもヨーロッパ的な発想が風土や国民性にマッチするわけではない。ヨーロッパ的エリートが、日本を救うとも限らない。けど、私はこの国の行く末は心配です。

 

成金ではなく、先祖代々の貴族的な階層であれば真のエリートなのか、といったらそれも充分条件ではない。現に、二世三世政治家の全員はエリートっぽくない。(そういう人もいますよ、きっと。私が知らないだけかも。それに日本に限らずどの国にもしょうがない政治家はいます。)

 

日本の政治家が、私の考える真のエリートっぽくない理由は、社会問題を他人事として捉えているからと思います。。下層階級での問題って、上層の方には直接は関係ないのです。スラム街で下水管が詰まろうが、貴族の家にはキレイな水が出る。社会問題をスルーすることも、見て見ぬ振りもできる。

 

 

例えば、保育園の待機児童問題がいつまで経っても解決されないのは、現在の政治家にとっては他人事だからだと思う。乳幼児のお世話をする役割を背負っていない人には、待機児童問題に取り組むことは、金も労力もかかる面倒なことなんです。

 

結局は、他人の問題をどこまで自分事に捉えられるのか?につきる。

 

日本人の素晴らしい所は、とにかく秩序やルーチンを守れること。こんなに時刻どおりに電車が来て、ホームドアに合わせてピタッと停車する。そんな芸当ができるお国はそう多くありません。そもそも思いつきもしない。用意された型にピタッとはめていく。はめ方を改良することは、日本人はとても得意です。日本人が誇るべき所。

 

が、これからの時代、一体何が型なのか?は不明瞭です。たとえば、ワンオペ育児が母親の負担であることや、児童虐待問題は決まった型があっても解決はできません。虐待を防ぐための手段は一つだけではない。唯一の正解の型なんてないんです。働き方改革だって同じ。

 

が、我々日本人は今、様々な社会問題を解決するために型を考えなくてはならない。

 

日本人は、鉄道や車を発明しなかったが、大掛かりな改善をした。人を運ぶ手段って、どの国でもそうは変わらない。他国人が作ってくれた型を改良して行くことはできた。型をお借りしていた。

 

他国は、日本人の精神にあった解決方や型なんて考えてくれません。私もこうやって揶揄してないで、その新しい型を考える側に立つ必要がある。そうやって戒めなければならない私は、やっぱりノーブレス・オブリジェを持ち合わせていないのだ、と実感します。

 

たとえ精神を刷り込み教育されたとしても、真のエリート、またの名をノーブレス・オブリジェは存在できないのかもしれない。

 



追記

「エリートとは一番、多様性から遠い存在かもしれない」についても書きました。

https://kaorik.hatenablog.com/entry/2019/06/26/224529

トイレの神様は○○の神様?

トイレの神様っているんでしょうか?

 

風水やら金運やらの話を見聞きすると、とにかく「掃除しろ」とあります。

 

第一子を妊娠する前、トイレ掃除にハマった時期があります。毎日、トイレ部屋の隅々までピカピカにしてたことが。一ヶ月くらい続けてたら、臨時ボーナスが入ったり確かに、あの時は金運が上がっていたかもしれない。

 

ふと思い立って、この頃トイレを毎日ピカピカにしている。2週間位続いている。それは、トイレの便器だけじゃなく、貯水タンク、床、子供用補助便座、何もかもです。

 

果たして金運は上がったのか。毎日トイレ掃除するとどうなるレポート、2週間目です。

 

トイレの話なので、食前・食中の方は避けてくださいね。

 

2週間目の今、金運に効果があったかはさっぱりわかりませんが、決定的に変化したものがありました。

 

便通です。

 

トイレをピカピカ〜✨に掃除した直後に、便意を感じることが増えました。正直、ちょっぴし悔しかったり。どうせなら掃除前に出て欲しかった…と。

 

猫のトイレや、子供のオムツも、交換すると排泄することは多々。大人のトイレ事情でも同じことが起きるのか。

 

しかも、梅雨寒のせいかお腹が緩くなっているので、汚れやすい。健康な排便はトイレ掃除まで楽にしてくれるものなのか、と健康になることの合理性まで実感。

 

 

どうせ毎日掃除するんだから、と、頭も認識し始め、掃除直後の排便に対する悔しさも薄まりつつある。

 

隅々までピカピカにしてるはずなのに、毎日やってると「あ、こんな所にも今まで気づかなかった掃除すべき所がある」と気づいたり、なんとも不思議。不思議発見

 

豪邸でもなんでもない我が家のトイレは狭い。狭いからこそ、短時間で掃除できることから、達成感を得やすい。

 

 

金運には未だ一向に恵まれていない気はするが、間違いなく便通の神様はやってきた。

 

運の神様ならぬ、「うん」の神様。

 

私って、ダジャレが好きなんです。だから百人一首などの古典も好き。私のダジャレと、日本古典の決定的な違いは雅。

 

雅なら掛詞。

普通ならただのダジャレ。

 

雅になりたい。きっと私の永遠の課題だ。

 

 

 

 

2人育児の良い所

「子供が2人いるってどうなの」シリーズです。2 人目の妊娠前の心境・夫婦会議2 人育児の大変な所に続き、今日は「2人育児の良い所 」です。

やっとポジティブな話。

 

良かった所はまとめるとこれ↓

  • 社会の厳しさを子供が勝手に学ぶ
  • やっと、2人で遊んでくれるように(喧嘩は頻発)
  • 「見れば目の毒」が減った
  • お下がり活躍
  • 2 人で仲良し無ときは可愛さ倍増

 

むやみやたらに、2人育てを奨めることはできないが、私が感じたことならいくらでも共有できる。2人目を欲しい方も、2人目はもう断念したいという方にも、ぜひ読んで欲しいです。

 

・社会の厳しさを勝手に学ぶ

社会の厳しさ、社会に存在するルール、などを早いうちから学ばざるを得なくなる。そうさせるのが兄弟という存在。

 

子供が 1人だけ、れーちゃんだけだった時は、とりあえずれーちゃんの都合に合わせれば良かった。昼寝、食事の時間、遊びたいこと。ワンオペは別ですが、大人2人:子供1人って手数的には楽です。れーちゃんが昼寝したら私も休めた。

 

家のおもちゃもパパもママも祖父母も全部独り占め。それが当たり前なのです。兄弟ができたら、そうは行かない。

 

生まれたての妹(ワカメ)という存在は、なんだかフニャフニャして本人は無力に見えるのに、今まで注がれていた視線の半分くらいは取られるし、2 歳になりたてのれーちゃんにとって、釈然としない存在だったと思う。

 

釈然としないまま、なぜかワカメちゃんの都合に合わせなければならないことも増え、在宅時は常に妹がいる。

 

妹がいない心の安全地帯。あの時のれーちゃんにとっては保育園が安全地帯だった。

 

赤ちゃん時代から保育園に通っていたので、おもちゃの取り合い争いは知ってはいたものの、家でも保育園でも常にそれに直面するようになるのはワカメちゃんが生後6ヶ月の頃から。

 

フニャフニャ時代は抜けて、ハイハイなどで移動できるようになる頃には、おもちゃの奪い合いが始まる。

 

早いもの勝ち、強いものが勝つ、時間が来たら交代する。

 

公正さはともかく、勝者や強者の「ルール」は社会に存在するのだ。身を以てそれを幼少期から学べるとは、ありがたいと思う。

 

「強いものが勝つ」けど、相手に対して、弱いものに対して暴力がいけない、ということはれーちゃんは最初からわかっていてくれたらしく、癇癪を起こした際も妹ではなく親に当たってくれていた

 

 

 

・やっと2人で遊んでくれるように

下の子が 1 歳半くらいのころからでしょうか。ちょっとずつ2人で仲良く遊ぶようになりました。最初のころは、危なっかしくて目が離せなかったが、最近はある程度 2 人を監視すべき時間が減ってきた。

喧嘩は相変わらずしますよ。きっとそれは減らない。

 

散乱する無数のおもちゃがあるのに、なぜか一つのものを巡って喧嘩する姿には、トホホになることもある。これぞ競争率が高いレッドオーシャン。よほどの事がない限り、私は仲裁には入らない。どちらに肩入れもしない。説明が面倒くさくなり、本来は通じない「仲良くしなさい」的発言をついつい私はしてしまってる。ああ…反省せねば。

 

保育園ではお友達に優しく譲るタイプでも、兄弟間は遠慮なし!という話はよく聞きます。保育園で培われる社会性の絶大さはあれど、兄弟間でしか生まれない何かも確実にあると感じます。どっちのが良し悪しではなく、それぞれ違うものです。

 

「なんであんな 100 均のガラクタを巡って激しい姉妹喧嘩をしたのだろう…」と己の子供時代を詳しく覚えているがゆえ、これは避けては通れない道なのだ、と私もわかっているのだ。

 

一緒に遊ぶ相手がいる、というのは良いことです。親としては安心だ。

 

たとえ学校での友達関係が上手く行ってなくても「私には仲良しの姉が、妹がいる」と思うと心強く思えるのでは?親としては、そこは安心できる。私自身が苦い学校生活を送った経験からも、心の拠り所になる何かが学校の外にもあって欲しいし、家と学校以外の場所を持って欲しいのが私の願い。

 

 

 

・「見れば目の毒」が減る

「知らぬが仏」ということわざがあります。子供が何をしてるのか、やらかしているのか、逐一知らない方が心の平穏が保たれることもあります。見れば見るほど目の毒。

 

1・2歳、いや、何歳でも子供たちはいたずらをします。悪事を働くつもりではなく、好奇心から。

 

「これを引っ張ったらどうなるんだろう?」と、ひっくり返してしまった物は数知れず。ひっくり返して一番困ったのは、母親の機嫌だろう。鬼ママ登場。

 

2 人居ると、どうしても監視しきれない。それがかえって良い場合もあります。

 

床をキャンバスにしてクレヨンで殴り書きしてたりね。もう、見てるだけでストレスなのです。情報量が多いからこそ発生する類のストレスは、複数人子供がいることで軽減されます。(物理的ストレスはまた別の話)

 

親が見ていないところで、子供は劇的に成長する。保育園での成長なんて特に目覚ましいもの。せっせせっせと、鬼の居ぬ間に、親が見ぬ間に、1人で、または姉妹で楽しくやってます。

 

・お下がり活躍

同性の兄弟ゆえ、お下がりは大活躍!従姉妹のお下がりもあり、次女ワカメちゃんの服は95% お下がり。哺乳瓶、ベビーバス、抱っこ紐、あらゆるものがお下がり。経済的です。

 

上の子はいつも新品だけど、実は下の子の方がオシャレな装いが多いかもという事実はあります。青いようで青くないのが、隣の芝生。

 

顔は似ているれーちゃんとワカメちゃん。似合う装いはそれぞれ異なります。が、すーぐにサイズアウトする子供服の出費を抑えたい私は、お下がりを使わない手はない。

 

「あなただけに似合うファッション」を提案するための勉強をしている私は、その知識を活かし、お下がり服の組み合わせを工夫しています。

 

まあ、いくら親が工夫しても子供のセンスで、子供の気分で上下しましま、上下真っピンクというへんてこコーデになることは頻発してます。

いずれ本人達が気にするようになるのが、やはり肝要。

 

・2人仲良しだとかわいさ倍増

子供はどの子もかわいい。

自分の子は特別かわいい。

 

その特別かわいい子達が仲良く遊んでいると、2 倍の可愛さ…いや、2乗のかわいさです。等差級数ではなく、等比級数的に伸びるかわいさ。

 

喧嘩、2人でいたずら、「えぇ!?勘弁して…」という出来事に囲まれる中、2人で仲良く絵本を読んでたりするとそれはもう、「大変だけど、2 人育ててきて良かった」と、じわっと来てしまう。

 

私と姉がかつて通ったように、きっとれーちゃんとワカメちゃんもこれから死闘の姉妹喧嘩を続けるに違いない。それは自然なこと。

 

遠慮をしなくて良い関係。究極的にそれが成立するのが兄弟なのかもしれない。

 

 

どうやっても、子供を育てるというのは、子供が増えるというのは、時間・労力・お金どれも必要です。それに加えて愛も。

 

私は愛に自信があるタイプではないが、なんとかなってる。それはどんな私であっても、娘たちはママを必要とし、私なんかよりよほど大きな愛で娘として存在してくれているから。だから親であれる。

親にとっちゃ、ギヤースカ泣かれたり抱っこ魔神になったり結構迷惑かもしれないその行為は、彼らの愛情表現。今ならそう受け取れる…ときもある!

 

親を愛さない子供はいません。二人目を考えて躊躇してしまうお母さんたち。

 

大丈夫です。

どっちでも大丈夫。

 

2 人目がいようと、3 人目がいようと、一人っ子だろうと、あなたの子はあなたを愛しています。

 

それだけは、忘れないで!

 

 

 

 

2人育児の大変な所

先日「2 人目のどうする問題(妊娠前)」編の続きです。

 

2 人目を作るにあたり話し合い、夫婦間で様々な約束した上での計画的妊娠でした。計画外だったのは、想像以上に妊娠が早かったことでした。

 

実際に 2 人いるとどうなのか?2 歳 3 ヶ月差の姉妹の住む我が家の所感と、個人的なオススメ年齢差とその理由

を書きます。

 

簡単にまとめると、こんな感じ。意外に長文になったので、2 回に分けます。

 

■大変な所(今回はこれ)■

  • とにかくカオス
  • トイレトレーニン
  • また1からやり直しの果てしない感
  • 2人の希望が相反する
  • 増した不自由度

 

良かった所(詳しくは次回に!)

  • 社会の厳しさや原理を、親がわざわざ教えなくても勝手に揉まれる
  • やっと、2人で遊んでくれるように(喧嘩は頻発)
  • 「見れば目の毒」が減った

 

 

■大変な所■

・カオス

乳児期はとにかくカオスでした。「お姉ちゃん」と言えど、れーちゃんは、当時まだたったの 2 歳。大きな赤ちゃんと小さな赤ちゃんがいる感じでした。0歳、2歳のときは罰ゲームかと思うほど。

違うサイズのオムツ、離乳食グッズと幼児用のもの、哺乳瓶、ヘビーカーが二台と、とにかく物が多い。

 

・お出かけ

家族 4 人でのお出かけは大変でした。2歳のれーちゃんが遊びたい所(公園など)では、ねんねやハイハイの 0 歳のワカメちゃんは遊べません。授乳タイムがいつ来るかもわからない。

大抵はパパ+れーちゃん、ママ+ワカメちゃんで二手に別れて行動してました。ワカメちゃんがある程度大きくなってから、例の便利すぎる 2 人乗りベビーカーを使うようになりました。それすら今はおさらばした。

 

・離乳食時代

2人の食べ物が違う時期。二人共お食事介助が必要な時期は、とっても大変でした。ワンオペの人ってどうやるんだろう…と。

下の子は、自分では物理的にまだ食べれないから介助するのですが、上の子にしてみれば「なんで私には食べさせてくれないの?」となる。

ちょっとしたことでも、「妹と同じことがしたい」れーちゃんには、妹が当然のように食べさせてもらって、自分は当然のように自分で食べないといけないのは苦痛だったのでしょう。

 

姉妹同士の揉め事が面倒なので、ワカメちゃんの離乳食が終ってから、れーちゃんをお迎えに行ったり、毎日保育園と家を何往復してるのかわからなくなるほどの日々があった。

 

 

・トイトレを一年先送り

れーちゃんの保育園では、2 歳児の夏にトイトレをすることが多いのですが、それどころではなく、一年先送りました。

トイトレって、お漏らしされる覚悟で臨まないといけません。産後間もない私は、そんな覚悟をできず、吸水ポリマー地獄に見舞われながらも、長いことオムツという文明の利器に頼ってました。

れーちゃんが 3 歳の夏に無事に成功したので、結果オーライですが、当時は「果たしてこれでいいのか…」とずっと悶々としてた。子育てって常にそんなものかもしれない。

 

オムツが外れると大分楽になる。オムツ卒業した後に、下の子が生まれると一人分では済むんだけど、「せっかく卒業したのに、またオムツ処理生活か…」とうなだれる感はあるかも。二人共オムツだと、うなだれてる場合ではなかった。

 

 

・増した不自由度

子供を預けて出かける、仕事をする、などがなんだか圧倒的にしにくくなった。ワンオペで 2 人見るのが罰ゲーム的に大変なことはわかっていたし、主人に任せて自分は何か別のことをする(または逆)がすごくやりづらいのです。精神的に!なんだか申し訳なくて。

れーちゃんしかいなかった時代は、主人や親に任せて私だけで旅行したこともありましたが、ワカメちゃんが生まれてからはやっていません。妊娠前から元々苦手だった出張は、産後はすべて断ってました。

子供 1 人だったときには突破できていた心の中の壁をの高さがかなーり上がった。娘たちの成長に伴い、このハードルは徐々に下がりつつあるので、残り 1 年 2 年の辛抱かもしれない。

 

 

■私的な結論■

完全なる私の主観では、兄弟の年齢差が 3歳以上の場合は、比較的親が落ち着いていると感じています。3 歳というのは、お話しが上手になってくる年だから、という子供側の都合もあるが、親側にもあると思います。

 

年子や 2 歳差だと、働くお母さんの場合はキャリアをブツブツと、またはぶっ続けで中断する。キャリアに対する焦りというのも、年子または 2 歳差だと出やすいのかな?と、私自身や年近の兄弟を持つママを見てそう思ったり。

 

子宝は授かりもので、いつ妊娠するかなんてコントロールできない。「欲しいけどできない」ってこともあるから、なんとも言えない。「ベストなタイミング」なんてない。本当にない。

 

だから、これはあくまでも私の主観です。

 

ご主人や親など、周囲の大人で、周りに頼れる人がおらず、ワンオペでこなす可能性が高い方・パワーに自信がない方には、兄弟の年齢差が 3 歳以上が、個人的にはオススメです。

 

3 歳空いてたからと言って、なんの保証もない。明確に違うのは、2 歳児はまだ赤ちゃんと同一視している方が良い、ということです。赤ちゃんが二人いる位に思っていれば良かったなぁ…と、呆然とあの日々を振り返る。

 

つらつらと、「2人育児の大変なところ」を書いたが、良かったと感じることも沢山あります。

 

これから2人目を考えてる方、2人以上子供を欲しい方の参考になればいいなー。

 

次回は良かったことを書きます!

2人目どうする問題(妊娠前)

「2人育てるってどんな感じ?」 

 

最近こう聞かれることがしばしば。私の出産は、同世代に比べると比較的早かった。今から子供を欲しいなり、2 人目欲しいなり、という方々が聞いてくださいます。

 

私の娘たちは、れーちゃん(4歳)とワカメちゃん(もうすぐ 2 歳)という 2 歳 3 ヶ月差。れーちゃんが 1 歳半のときに、私は再び妊娠するに至った。

 

「 2 人目どうする問題」として、以下を書きます。

  • 2 人目を作るにあたり、話し合ったこと(今日はコレ)
  • 2 人居て大変な事、2 人居て良かった点

 

■ 2人目を作るにあたり、話し合ったこと■

長女れーちゃんが 1 歳 0 ヶ月のころは、夫婦共々「今もう一人妊娠するなんて無理〜!年子ってすごすぎる」と、意見が一致してました。

が、数カ月経つと、夫婦間の温度差も出てきた。

 

妻:2 人目なんて無理!!いやだ!5 年以上先か、無しで良い。悪阻、産後、夜泣き、離乳食、すべてをもう一度やれる気がしない。

 

夫:2 人は欲しい。出世の階段をある程度登ると、管理職になり、そうなると家庭での時間をしっかり取れる今の働き方はできなくなる。だからできれば早い方が良い。

 

この温度差は、やはり男女の体の違いによるものが大きかった。

 

正直、私にとっては、一年半くらいが産後(日常ではない状態)だった。

 

まだ「産後」の私は、全然乗り気ではなかった。悪阻や産後の苦しみを一度味わってしまい、当時の私は、続く不規則な夜泣きから体調を崩し、かなりやせ細っていた。一人目のときのモチベーションと大違いだ。

 

「産後」、相当悪い体調をなんとかすべく、医者に処方してもらった薬を毎日飲んでました。断薬できなければ妊娠を望むには不適切だし、そもそも私は乗り気じゃない…というか、体力的にも精神力的にも自信がなかった。

 

「こんなに悪阻が重くて、産後も苦しくて、キャリアが完全に断絶させるなんて、私の時間を返して!」

と思っている最中、大した間もないのに社会から切り離された生活を強いられるのかと思うと、妊娠に消極的どころか、拒否だった。 

 

自分の人生に責任を持たない発想ではあるが、これが当時の私の正直な心理だった。院卒&最初の出産が比較的早いので、子なし状態でバリバリ働けたのはそう何年もなく、経験不足も感じ、同期や同級生が活躍している姿を見て、多少の焦りもあったのかもしれない。

 

いや、他人と比べてどう、とかではなく、私自身が「ママでしかない」のが凄く嫌だった。社会と断絶される感じが耐え難かった。

 

ママや妻という属性しか持たなくなり、かつ「良いママ」でも「良い妻」でもなくて。そもそもそれって誰がどうやって測るのか。学校の勉強には分かりやすく比例する点数評価があったし、会社の仕事は比例はせずとも何が評価されるのかの基準は理解できた。評価者もだれか明確である程度給料にも反映される。けど、「ママ」や「妻」って、一体誰が何を評価するのか、それってそもそも私に利があるのか。

 

定量的に客観的に示せるもの。私がそう言ったものばかりを物差しにしていたことを痛感させたのが妊娠と子育てだ。

 

つらつらと「今は2人目欲しくなかった」という私の気持ちを書いてしまった。

 

今度は主人側の気持ちを。(※あくまで私の知る範囲内)

 

れーちゃんが生まれて 9 ヶ月後頃、主人は働き方、むしろ生き方を主人は変えた。仕事か家族かどちらを取るのかの究極の選択を経て。これは産後クライシスの産物。育休を取ったり、復職後は定時退社するようになった。

 

彼の職場は、長時間労働者も多く育休を一ヶ月以上取る男性なんて皆無。定時退社す人もほぼ居ない中、特例的に、私に言わせると「健康で文化的なまともな」働き方にシフトした。これは長期的な措置ではないと感じた主人は、「今こそ 2 人目を作る良い機会では」と考えたのでしょう。

 

私も男性だったら同じことを考えたかもなー。すごく合理的だからね。キャリア的な犠牲をミニマムにしつつ、家族を大事にするにはこれだ!と、主人は思ったのでしょう。

 

育休を取ったり、定時退社したり、彼にしてみれば劇的な変化だったろうが、キャリアを中断はしなかった。特例措置で、少し気まずい思いもあったかもしれないが、中断はしていなかった。そこは私との大きな違い。

 

今がチャンス。そろそろ次に行ってもいんじゃない?

 

どっちの方が大変論じゃなく、違うんですよ。男と女では、苦しみの種類も大きさも期間も。

 

妊娠出産においては、どう考えても女性に負荷がかかる。その期間も長い。しかも妊娠というのは、してみないと悪阻がどの位大変なのか、とかわからない。

 

私は中断されたキャリアを取り戻したい気持ちも強かった。5 年ほど空ければ、れーちゃんはそれなりに手がかからなくなってるだろうし、私も産後回復はしているだろう。

 

が、5 年ほど空けると、主人は管理職になって定時退社なんてできず、悪夢のワンオペ再び、となるかもしれない。

 

どっちのが大変なのか、当時まだ居もしない2人目がいる状態を想像した。

 

 

「なんで 2 人目を欲しいの?」

 

私は疑問だった。なぜ、主人は2人目をそこまで欲しいのか。部分的とは言え、一度共に地獄を見ているのに、またあの茨道をなぜ通る気になっているのか。彼の答えは、

 

「俺自身が欲しいと思っている。理由は、『れーちゃんに兄弟という仲間を残したいから』」

 

とな。

 

親は子供よりも先に死ぬ。子供のために残せるものは、知恵、思い出、金(揉め事にもなりやすい)、そして兄弟。

 

血は水よりも濃く、肉親の存在とは強い。主人はそう考えてるらしい。

 

子育てを妻任せにして、素知らぬ顔で他人事扱いすることが、男性にはできてしまう。男性側にそのつもりはなくても、女性側にはそう映ることがある。

 

今回は、そうなりたくなかった。さもなくば、 2 人目は永遠に欲しくなかった。

 

「そこまで言うのならば、今回は貴方が頑張るのね??!れーちゃんのときは妊娠・出産・産後は私任せだった。それならば私はもう子供は欲しくない。今回は同じことにはならないのね?」

 

と、私は詰め寄った。

 

  • 育休を最低 3 ヶ月は取ること
  • もし下の子ができたら、その子が 3 歳になるまでは定時退社すること

 

これを約束できるなら、 2 人目を考えても良い。口約束だけで、守る気がないなら堕胎する、くらいの本気度で夫婦間での約束をしました。

 

ここまでの約束をしても、いつ子供ができるか、は神様が決めること。夫婦間での合意が取れた後は天に委ねることに。

 

私の体調も回復し、妊娠には向かない薬を断薬して一ヶ月経った頃、体の異変と生理の遅れに気がついた。

 

そう、あっという間に我が家の第二子(現在のワカメちゃん)は、私の子宮にやって来た。

 

かなーり 2 人目には消極的だった私は、主人の強い覚悟と希望、ワカメちゃんの「生まれる」という意志の強さによって、ワカメちゃんを宿すことになった。

 

母体とはこの世に生まれるための乗り物。それを実感せざるを得ないワカメちゃんの意志の強さだった。

 

 

 

長々と書きましたが、要するに

「お前が欲しいって言うならば、それなりの覚悟をしろよ。だったら、私も 2 人目妊娠について考える、というスタートラインに立っても良い」

 

と私は言ってたわけだ。

 

偉そうに聞こえるかもしれないけど、それだけの覚悟を一緒に持ってくれねば、私は挑戦することすらできなかった。

 

街で、電車で、妊婦さんを見かける度に、思う。

 

妊婦さん、貴女たちは、もう生きているだけで、それだけで偉業なのだ。それ以外何もしなくていいと思う位。

 

 

私の母は何を思ったのか、3 回目の出産で、私を産み育ててくれた。

 

まったく、それに関して感謝するしかない。私もそれなりの確固たる意志を持って、生まれてきたのだろうか。

 

命ってすごい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

銃・病原菌・鉄 #1

ブログは移動中や子どもたちが寝た後に書くことが多いが、最近の電車移動はもっぱら図書館だった。

 

ジャレッド・ダイアモンド著の「銃・病原菌・鉄」。20 年前に出版されたこの本に、取り憑かれたかのように没読しました。喪失感に浸るのではなく、読書感想文を。 

 

銃・病原菌・鉄。この3つは何なのか?

新地域、「新大陸」にたどり着いた人類が拡散するのに貢献した3つの要因である。なぜ、ヨーロッパ人はアメリカ大陸を、アフリカを征服したのか。なぜ原住民に取って代わったか。なぜ同じ事がニューギニアでは起きなかったのか。なぜ、なぜ、なぜ。

 

「なぜ」を突き詰める、彼の独特な切り口に吸い込まれて行きました。この本は、多くの人の既存新の考えを覆すものです。たとえば‥‥

 

  1. 私:社会科学ってどこが『科学』なの?
  2. 白人至上主義者:白人は選ばれし人種である
  3. 一部のキリスト教信者:神のご加護があって、アメリカ大陸を制することができた
  4. 英雄思想:英雄一人の功績は、実は人類史をそう左右しない

 

などなど、上げだすと切がない。

 

今回は、私の考えであった「社会科学ってどこが『科学』なの?」が、如何に覆ったか、について書きます。

 

技術職に着いたことはありませんが、私は元素記号表を持ち歩く理学部生でした。イギリスで過ごした大学時代、social sciences (ソーシャル サイエンス)という言葉を幾度も耳にしました。直訳は「社会科学」。経済、政治、地理などのいわゆる社会科の科目は、イギリスでは「科学」として扱われていました。

 

これらの科目を「文系」と総称する日本で育った私には違和感があった。それって科学なの?実験することもできないのに?

これまでこ私は「再現性のある実験ができるもの、それが科学だ」と認識していた。

 

自然科学を専門的に勉強した私には、恥ずかしながら選民思想もあったのか、うがった目で文系科目を見ていた。実験という拘束時間もなく、3限から始まるゆとりある時間割も羨ましかったなぁ。高緯度のイギリスでは、冬の日照時間は短く、実験が終わる頃は寒い日没後だった。

 

なぜ、ヨーロッパ人は南北アメリカ大陸に到着するやいなや、あっと言う間に原住民を凌駕したのか。その要因は銃・病原菌・鉄である。

 

なぜ、ヨーロッパやアジアには銃や病原菌が生まれたのか。病原菌が生まれたのは、家畜に済む細菌が進化したためであり、家畜を持つようになったの理由は‥‥ではその理由は‥‥ではまたその理由は‥‥

 

なぜを突き詰めていく。

 

これこそ、科学かもしれない。

 

いわば自然科学絶対主義を否定しきれない私は、生まれて初めて「社会科学」を「科学」だと心底思った。

 

scienceの語源であるラテン語のscientia (だったかな?)は、「再現性のある自然科学」に限定したものではなかった

 

そもそも、狭い視野に基づいたこれまでの私の「科学」の認識が、間違っていたのだろう。

 

「なぜ」を追求しつづけ、最終的には生態系や野生動植物の分布が、旧世界(ヨーロッパ)と新世界(南北アメリカ)の差を生んだのだと、理論的に立証していくのが、とても面白く引き込まれた。理学部出身の私にも馴染みのある、炭素14の量から年代を図る方法や、遺伝学や免疫学の理論を使って。

 

エピローグに、まさに「科学って自然科学だけだと思われ、歴史や人類進化学などは科学って認識されない」というジャレッド・ダイアモンド氏の嘆きが書かれていて、驚いた。まるで読み手の私の思考回路をわかっていたかのようだ。

 

歴史、植物学、動物学、文化人類学、化学、分子生物学、免疫学、遺伝学、言語学、考古学、地理学、数えきれない学問の分野に跨って、人類の移住について、理論的に分析し、その分野に疎い読者にもわかるように記述してある。

 

算数が嫌い、国語が嫌い、など特定の科目が嫌いである人口は一定数いるが、これだけの全ての分野を嫌い・興味がない人口は少ない。この本はそういった理由からも汎用性が高い。

 

 

作者と同じく学者で、本の虫である父の本棚から発見したこの本。

 

私にとっての運命の本は、高校時代に読んだ塩野七生著の「ローマ人の物語」。

銃・病原菌・鉄を知った上で、ローマ帝国の盛者必衰の過程を読むと、また違った世界が見えるかもしれない。

 

<p> <a href="//af.moshimo.com/af/c/click?a_id=957385&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062&amp;url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2FB00DNMG8Q2" rel="nofollow"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/51U6f63ccKL._SL75_.jpg" alt="" style="border: none;" /><br />銃・病原菌・鉄 上巻</a><img src="//i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=957385&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062" alt="" width="1" height="1" style="border: 0px;" /></p>
 

 <p> <a href="//af.moshimo.com/af/c/click?a_id=957385&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062&amp;url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2Fdp%2F4101181519" rel="nofollow"><img src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41AR6TW4FML._SL75_.jpg" alt="" style="border: none;" /><br />ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)</a><img src="//i.moshimo.com/af/i/impression?a_id=957385&amp;p_id=170&amp;pc_id=185&amp;pl_id=4062" alt="" width="1" height="1" style="border: 0px;" />  </p>

1歳と4歳を連れてUSJ に行ったよ

遡ること数週間。げっそりウィーク、もとい GW は結婚式参列のために大阪に行きました。ついでにUSJも。子連れ大阪旅行のレポート#1(USJ編)です。 

 

私は子供たちを遊園地に連れていったことがなく、長女れーちゃん(4歳)も次女ワカメちゃん(1歳後半)も江戸っ子なのに遊園地デビューは USJ でした。大阪の方は「ユニバ」と呼ぶそうな。

 

USJ は非日常の異空間。非日常の体験が子どもの成長を促進してくれるのだ、と実感しました。

 

【条件】1 歳と 4 歳の子連れ。4 歳のれーちゃんはちょっと保守的なビビリ。1 歳のワカメちゃんはチャレンジャーだけど、まだ小さい。

 

 【前提】アトラクションには全く乗れない前提でした。キャラクターを見たり、雰囲気を味わうだけで今回は十分、というつもり。

 

【結果】案外色々乗れたし、楽しめた。年パス会員様お断りの日で、想定よりも空いてました。

  • メリーゴーランド
  • コーヒーカップならぬカップケーキ
  • キティちゃんハウス
  • スヌーピーランド
  • ゴーカート(れーちゃんのみ)
  • エルモのバブルバブル(れーちゃんのみ)
  • 空飛ぶスヌーピー(れーちゃんのみ)
  • ハリーポッターワールドの散策(私だけが楽しい)

 

 【着ぐるみ達】気に入ったキャラ、怖がってたキャラも別れました。判定ポイントは「目の大きさ」「顔の大きさ」です。

 

大ヒットキャラ:キティちゃん系、スヌーピー

怖がってたキャラ:セサミストリート系、ミニオンシュレック

 

ミニオンのギョロギョロ動く目、セサミストリートの得体の痴れない感じ、気味が悪いシュレック。怖がってれーちゃん泣いて逃げてた。まあ…気持ちはわからないでもない。私も昔、ディズニーランドでグーフィーから逃げてたなぁ…。

 

比較的人見知りで保守的なれーちゃんが、あのれーちゃんが、キティちゃんの着ぐるみに笑顔で抱きついて仲良くなってた。キティちゃんフィーバー。

それだけでも、旅行してよかったと感動。産後すっかり出不精になった私は、子連れ旅行には消極的。が、なんか報われた瞬間でした。

 

目が小さく、顔が大きいキャラクターの方がれーちゃんはお好みだったよう。現代の美の

観点では、人間の好みとは逆を行ってる。そういう方が安心するのかしら。

 

【子どもの成長したなぁ…という点】

遊園地の乗り物には、待ち時間が付き物。どうせ待てないだろうし、乗らないつもりでいたが、れーちゃんも「乗りたい!」というので、並んでみることに。

 

エルモのバブルバブルという子供向けジェットコースター。列は短いけど、回転が遅くて中々進まない。 れーちゃんは「乗りたい!」と言い出して引っ込みがつかなかったのか、頑張って並んでた。途中で私がおんぶしたり、抱っこしたり色々しながら。

 

結局 30 分以上、一時間近く並んでいたのでは。アトラクションに乗る時間は一瞬で終わり。でも、それはそれは嬉しそうだった。

 

れーちゃんはこんなに長時間、並んで待つことができるのか。私は並んで待つのは大嫌いなのですが、れーちゃんが乗りたい!待てる!というなら一緒に並べた。むしろおんぶしたり、色々やってたなぁ。

子供二人に対し、大人が二人居て良かった。二手に別れて行動できるのは、大変ありがたかった。ワカメちゃんは到底 30 分も並んで待てないし、そもそも乗り物に乗れなかった。待ち損。

 

 

もうすぐ 5 月も終わる頃、GW の思い出を振り返った。

 

なぜ、この混んでる時期に旅行したか、というと、大阪での結婚式に参列するためでした。結婚式での子供たちのハプニングの話は、また今度に。

 

 

また USJ、いや、ユニバに行きたいな。次はママの好きなハリー・ポッター ワールドももっと堪能したい。

 

待てど暮せど、何も変わらないものもある。けど、遊園地の順番は必ず回ってくる。こういう一定の公平性があるものが、この世にある、と知れるのは、良い経験だったでしょう。

 

が、地獄の沙汰も金次第。予約乗りやらファストパス的な、ぱっと見「ズル込み」に見えるものの仕組みまで理解するのは、まだ難しい様です。

 

ま、大人にも難しい…というか、知りたくないこともありますよね。

 

この世は不公平。でも、私も文句を言えない。不公平の「得」してる部分に、大層あやかって生きている。この日本に生きているだけで、それはもう。

 

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

 

皆様おやすみなさい。