打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

自粛生活中にやめたこと

外出自粛でどうやっても、ある程度ストレスが溜まる。それは誰しも同じ。

 

「自粛中に○○始めました」という投稿が多い中、私は反対を行く。「自粛中に○○辞めました」を投稿します。外出自粛ストレスに少しでも有効かと思います。

 

その一:アラームを設定しない

そのニ:朝ごはんを辞めた

…などなど

 

です。

 

 

我が家の「自粛中にやめたこと」

その一:アラームを設定しない

 

どこに出勤するわけでも、子供たちを何時までに登園させる必要もなく、ただただ、「子供たちとどうやって時間を潰すか」が一番大事な今。アラームを全て消した。

 

アラームではなく、自然起床まで待つスタイル。

 

子供たちの声や足音がアラーム変わりになることはあれど、基本的には自然起床。子供に夜起こされなければ、かなーり体的には楽! 

 

放っておくと朝10時近くまで、家族全員寝てたり。潰さないとならん一日を、睡眠で潰せる時間が増えるのはありがたい。

 

(こんなこと書いていたら、今朝は長女れーちゃんに明け方6時に起こされた💦ので、もう一度寝かせたり)

 

我が家の「自粛中にやめたこと」

そのニ:朝ごはんを辞めた

この外出ほとんどしない生活で、ぷよぷよしてきた。お腹が。特に下っ腹が。

 

筋トレも持久走も、そもそも嫌いな私はあんまりこれやりたくない…けど仕方なく20回くらいはスクワットしてる。

 

なかなか減らない下腹の贅肉の対処法を色々調べたら、プチ断食(一日の間12時間以上食べない時間を作る)が有効とわかった。そのために朝ごはん抜きにしてみた。

 

なかなか減らなかった下っ腹肉が、プチ断食数日で減ってきた気がする。

 

総摂取カロリーはさほど変わらないので、体重は減ってないが、見た目が変わった。私の目的は減量ではなく見た目重視なのでこれでOK!

 

私の場合、体重落とし過ぎると風邪をひきやすくなる。免疫上げるべき今に、体重をむやみに落とすのは愚策。

 

下っ腹贅肉も減るし、洗う食器も減る。どうせ起床時間も遅いし、特に問題なし。

 

あ、子供たちには朝ごはん、食べさせてますよ。

 

我が家の「自粛中にやめたこと」

その三:仕事の事を考えるのを一旦辞める

 

この事態により、キャンセルになった仕事も多く、今に仕事を探す感じでもない。そもそも、保育園も休園で、24時間子守しているので、職を得られたとしても仕事に集中できる環境ではない。何かを勉強するにしても、環境的にもモチベーション的にも厳しい。とりあえず、保育園が再開するまでは、隙間時間にマイペースにできることだけをやることにした。

 

その一つが、「online party market」のお手伝い。今、経営が厳しい飲食店を応援するための企画です。飲食店の写真を購入して、ZOOMの背景画に使いオンライン飲み会の雰囲気を出す、というもの。購入代金は各店舗への応援金になります。

 

 

本当にちょっぴし、これのお手伝いをしてます。良い感じの飲食店があれば、問い合わせてみてください!

 

 

辛いのは自分だけではない。むしろ、こんな中、私はかなり恵まれている。今、自分ができることは、外出を控え、終息を祈り、応援したい人を応援すること。

 

もちろん、人助けは自己犠牲しない範囲で

 

全国のお母様方、こんな時でも、自己犠牲の家事は辞めましょう

 

 

 

 

5歳児の飛行石

あの地平線〜♪輝くのは〜♬

 

先日、娘たちと「天空の城ラピュタ」を見た。

 

30年ほど前に初めて見たあの映画は、色褪せることなく、この年になってもワクワクさせてくれる。

 

数カ月前にも、見せようと試みたが、ロボットVS軍隊の地上戦のシーンでびびりまくった娘(長女れーちゃん5歳)は、「もう見るの辞める」と断念。やっと今回通しで見れた。

 

洞窟の中で、落下中のシータを助ける時、空浮かぶラピュタ島の中で光り輝く飛行石。

 

それを見終わった後、廊下の緑色の常夜灯を指さして、れーちゃんが言った。

 

「あ!飛行石だ!!」

 

 

と。次女ワカメちゃんも「飛行石だ!」とキャッキャ騒ぐ。

 

 

いつもそこらへんにある光を飛行石にたとえるとは、子供とはなんと可愛らしいことか。

 

 

私も子供の頃、何十回と見た名作。「(昔見ていたビデオテープには)このシーンとこのシーンの間にCMが入っていた」という所まで覚えるほど見たラピュタ。(見すぎ)

 

 

「土から離れては生きてはいけない」

 

 

子供の頃は、シータのこの言葉の意味がわからなかった。

 

そう、浮足立ってフラフラふわふわしていては、生きてはいけない。地に足をつけることの大事さ。英語にもね、「地に足がついてる(down to earth)」という慣用句があるほど。

 

大人になり、身近な光を飛行石に喩える想像力は失っても、哲学的な言葉の意味をわかるようになった。

 

大人になるって何だろう。

 

常夜灯が飛行石に見える方が幸せなのか、地に足をつけることの大事を知る方が幸せなのか。

 

 

30年経った今も、考えさせるラピュタ。これが世代を超えて語り継がれる所以か。

 

 

 

資本主義と民主主義の限界を感じる

引き続き、政治のお話を。

 

今現在に関わらず、コロナ騒ぎの前も最中の今も、政府は株価やら経済を中心において政治している。

人命よりも、貧困層が家賃を払えないことよりも、「株価が大事」と言ってるように見える。

 

 

政治って株価のため?

政治って投資家のためのものなの?

政治って、なんのためにあるの?

 

 

資本主義って、民主主義って、なんなんだろう。

私は、そう感じる今日この頃。

 

 

 

株価は、巨額の富を持つ投資家たちに左右されるもの。特定の会社や事業を応援するために、株を買うこともあるかもしれないが、大概は身銭を切ってまでではない。自分が損をする、しそうな場合は株を売りさばくのが常。

 

勝馬には乗りたいけど、自分は損したくない。

 

「損したくない」

 

というのは、人間ならば誰しも持っている気持ち。

 

それなのに、なぜ、人口の一部である投資家という人種の「損したくない」は尊重され、その他大勢の「損したくない」「コロナにかかりたくない」は軽視されるのか。

 

 

「弱きを助け、強きをくじく」のが、全うな政治じゃないのか。

 

数年前、時代劇で聞いたこのセリフ。このセリフを吐いた大名※は、生涯、胃が痛いような立場に立たされる人物だった。

※「真田丸」の上杉景勝

 

 

経済的に特別待遇枠の資本家たちが、政治的にも優遇されるのか。それって民主主義って言えるのか?

 

今までも、モヤモヤっとした疑問はあったが、ここまで言語化できるようになったのは、最近読了した本のおかげだ。

 

 

それは、ブレイディみかこ著の「This is Japan 」。ブレイディ氏は、貧困家庭出身で、渡英するための費用をホステスして稼ぎ、今ではイギリス在住の保育士という異色の経歴。セレブ層から貧困層の子供の保育を幅広く経験しているので、視点が面白い。

 

ブレイディさん曰く、昨今のネオリベ新自由主義)・緊縮財政の結果割を喰った人々の不満が爆発した結果が、極左、極右などの勢力を生むに至ったとか。割を喰った人々は、叫んでいた。

 

「経済にもデモクラシーを!」

 

と。

 

経済界は全くデモクラティック(多数決が採用される)ではなく、一部の金持ちたちの思うがままだ、と。

 

資本主義とは、資本を、お金を沢山持っている方が偉いし強い、という仕組み。

 

民主主義は多数決の意見が採用される仕組み。

 

それぞれ別次元のことなので、資本主義✕民主主義は存在しえる。

 

世界の主要国は資本主義✕民主主義が多いし、日本も同じ。

 

果たしてこれが、人間にとって一番幸せなんだろうか?

 

民主主義にも悪いところはある。(民主主義が完全に正しいなら、ナチスユダヤ人迫害も、原爆投下も、何かもかも「正しい」ことになってしまう)

 

資本主義の悪いところが、今、このコロナ騒ぎで浮き彫りになっている気がする。

 

資本主義は、頑張った分だけ認められるしモチベーションを保てるのが良いところ。ただし、景気が落ち込むと、にっちもさっちも行かなくなる。

 

20世紀初頭の世界恐慌中は、計画経済を実施していたソ連の方が安泰に見えた。そしてそれもまた問題含みである。

 

どんな経済の仕組みも、政治の仕組みも、弱点はある。

 

私が物心付いたときには、ソ連もベルリンも崩壊していた。ついでにバブルも崩壊していた。

 

だから、共産主義による良さ悪さも、資本主義の良さも肌では知らない。歴史から学ぶ事しかできない。

 

これまで数十年生きて来て、思う。

 

普遍的にベストな経済の仕組みも政治の仕組みもない。結局は、どんな人間が、どんな意識で運営するかにかかっている。

 

 

資本主義を盲信してもいけないし、民主主義も盲信してはいけない。決してベストなシステムなどなく、時代に合わせて変化していく必要がある。

 

とりあえず、この外出自粛の今、少しでも楽しみを見つけようと頑張る。たとえば、服装。

 

保育園も休園だから、自転車の送り迎えがない。ゆえ、普段はあまり着れないスカートやワンピース、ハイヒールを身にまとおう。

 

行き先なんて、スーパーと公園だけだけど。

 

今だからこそ、オンラインでファッションアドバイスなんかもできるかなー。

ご興味ある方がいたら、教えてくださいな♪

 

 

 

 

 

 

 

ブラック企業とおバカ政府の共通点

コロナウィルスの検査ではPCRが使われている。PCRという単語をニュースで聞く日が来るとは思わなかった。

 

私が初めてPCRという単語に出会ったのは、高校(イギリス時代)の生物の授業でのこと。2004 年位だったかな。

 

知っている人も多いとは思いますが、PCR

polymerised chain reaction の略で、遺伝情報を含む物質が少ない場合でも、検査・調査可能にするために遺伝子情報物質を増やせる技術です。遺伝子の構成要素である塩基は4種類あって、AとBは必ず対になり、CとDは必ず対になる、という特性がある。このペア特性を利用して、少ないDNAサンプルからでも多くの検査用サンプルを複製できる。※詳しくはウィキペディアなどで

 

PCRは、広範囲の人の検査に使われることはそうは多くなかったかもしれない。PCRなんて知らずに生きて行ける人も沢山いる。 

そんなPCRが、毎日毎日ニュースに出てくるようになるとは…

 

私が今回伝えたいのは、PCRの話ではなく、「いつ何時、どんな知識が役に立つのか、時の情報となるのか、わからない」というもの。

 

PCRの仕組みを知ってる所で、感染防止には役に立たない。ただ、検査にどれほど手間暇がかかるのか、は想像しやすい。実験などで見たことがあるから。PCRは、工数も多いし、時間もかかる。検査場ももちろん、細菌やら技師の唾などが入らないようにきっちり管理しないと、病人じゃなくて技師の遺伝子を複製してしまったりするから、その辺の管理も徹底しなければならない。

 

決して新型コロナは他人事ではない。

 

医療現場で戦う友人も沢山いるし、ここ数日では「知り合いの知り合いの知り合い」くらいの感染者が出だしている。

 

にも関わらず、「どこまで行っても、俺たちには関係ない」と言わんばかりにコロナ騒ぎを他人事扱いしている政府に、閣僚に、もう、呆れるのにも疲れた。

 

この政府の有様を見て、中学生時代の私を思い出した。

 

私はイギリスに6年間留学生していた。

 

私が留学するに至った最初の起源は中学時代。

 

当時中学生だった私が、日本の国会中継を見て、「この国はヤバイ。お先真っ暗!」と感じた。国会では、まともな議論など存在しない。あるのは野次と罵倒だけ。「この国はヤバイから、いざとなれば他国でも生きれるようになりたい」が留学動機だった。

 

残念ながら、あれから20年近く経過した今も、日本の国会は変わっていない、若しくは悪くなっている。

 

日本は昔、「経済は一流、政治は三流」と呼ばれていた。今は経済は一流とは言い難いし、政治なんて三流以下じゃないか。

 

日本はこれまで、国民が頑張ってきた。政府ではなく、国民の頑張りによって、経済が成長したり景気回復したりしていた。

 

しかしながら、ウィルスを相手にした時、個人個人の頑張り(徹底して外出を控える)だけではどうにもならないと思う。 

 

外出を控えることは、個人の意志でできる。けれども、働き口を得ることは個人の意志だけではどうにもならないのだ。

 

 

ブラック企業の何がブラックって、経営者の視界ですね。何にも見えてない※」なんて言ってる人もいたが、この国の中枢政府の視界は正にブラック。

 

 

 

20 年経っても、「この国はヤバイ」状態は変わらない。あと何十年経ったら変わるんだろうか。

 

 

 

 

※この動画の彼に「喋り方が似てる!」と言われて、YouTubeで見てみたらあらびっくり。マジで私と喋り方が似ている。発信内容が面白いので、適度にフォローしてます。毒舌っぷりが痛快でオススメ。

 

 

 

バイキン扱いする本当の理由

バイキン扱いされたこと、ありますか?

私はあります。

 

「アジア人と見れば、コロナ保菌者と思って差別された!罵倒された!」

数週間前は、こんな話をあちこちで聞きました。その差別していた側も、今や感染者となり人を罵倒している場合ではないかもしれない。

 

私がバイキン扱いされたのは、このコロナ騒ぎ中ではなく、およそ20年ほど前の話。 小学生時代。

 

人が他人をバイキン扱いする本当の理由とは?を書きました。

 

机を教室の片方に寄せて、床を掃除する。日本の小学校にはある光景。この時、私が座っていた机や椅子をバイキン扱いして触りたがらない輩がいた。

 

こんな話って、どの学校でもあるんじゃないか?

 

なぜ、私がバイキン扱いされるに至ったきっかけは、遠足での車酔い。

昔から、私は乗り物酔いしやすい。遠足の長時間バスで、吐いてしまった。

 

 確かに、嘔吐直後の私に近寄りたくないのはわかる。が、遠足から何日経っても、何度服を着替えても、何度風呂に入っても、私の机バイキン扱いは続いた。

 

車酔いで吐く、なんて事は、無論、私だけじゃなくて他の生徒でも起こりうる。

でも、彼らは、相手が私だったからこそ、その後もバイキン扱いしたのだ。要するに、嫌いだったのだと思う。

 

本当に保菌者であれば、その人から離れたいし、そいつが触った物を触りたくないのは当たり前。

 

多くの日本人にとってアラブ人の顔の個体差の区別をつけるのが困難なように、白人にとってはアジア人の顔の個体差は区別しにくい。要するに黄色人種とみれば差別していた様子。

 

感染したくない気持ちはわかるけど、差別して罵倒する必要はない。

 

相手が保菌者かもしれない。もちろんその可能性はある。その場合は、静かにそっと、離れれば良いだけなのに。

 

アジア人である私の友人を罵倒した人も、コロナウイルス云々ではなく、元々人種差別主義者だったのだ。

 

非常事態。

 

こういう時に、人間の本性は現れる。

 

買い込みする人、転売ヤー、全く顧みずに大人数の集まりに行ってしまう人、こんな非常時に和牛ギフト券を送ろうとする人、医療現場で必死で働く人、大人しく自宅待機する人・・・

 

命の瀬戸際に、本性は現れるもの。

 

さぁ、私ってどんな本性なのかしら。知りたいような、知りたくないような・・・・

 

れーちゃんの唐揚げ

先週のとある日、夕飯は唐揚げでした♪

 

唐揚げ、ご飯、お味噌汁というクラシックで嬉しいメニュー。娘たち(長女れーちゃん、次女ワカメちゃん)も私も、美味しい美味しい、とあっという間になくなった。

 

「もっと食べたかったね」と言う私に、れーちゃんは言った。

 

「れーちゃんが大人になったら、ママに唐揚げいっぱい作ってあげるね」

 

と。

 

なんだか、とっても嬉しい。

 

 

しかも、

 

「れーちゃんはパパと唐揚げ作るから、ママはお仕事しててね♪」

 

なんて言ってくれる。

 

我が家の家事分担は、料理は主人、私はその他(掃除、洗濯、片付け)。

 

れーちゃんの中でも、そのイメージが固定されたのか、「お料理はお父さんがするもの」と思っている様子。

 

我が家のこの家事分担は、10年後には変わっているかもしれない。けど、れーちゃんもワカメちゃんも、「家事をしないお父さん」を見ることは、きっとないでしょう。

 

日常的に家事をする父親を見て育つのは、きっと良いことだと思う。

 

結婚相手が家事をしないという嘆きはよく聞く。私も、結婚当初は同じことを嘆いていた。

 

私たち夫婦は、これまで色々と揉めたことも沢山あった。そんな親同士を見て、当時赤ちゃんだったれーちゃんは心を痛めたこともあったかもしれない。

 

それでも、今は「これで良かった」と心底思える。

 

パパとママはそれぞれの仕事や家事を行い、お互いに助け合っている。そんな姿を見て、娘たちが育つことが、とても嬉しい。

 

時代的にも、「家事やらない男」は減ってきている。家事やらないこと自体が問題じゃないんだけどね。家事をやらずに、大変さもわからずに、家事を全自動と勘違いしたり、威張ってたり労いや感謝もないこと、どっちかが圧倒的に我慢する構図が良くないんだと思う。

 

このまま子育てしていけば、娘たちはそんな男たちと結婚する可能性はすごく低いかなー、なんて、またまた物凄く先の未来を考えていたりする。

 

未来よりも、今に集中すべき。

 

わかってる。

 

それでも、夢見てしまう。

とんでもない程、楽しみにしてしまう。

 

大きくなったれーちゃんが、私のために唐揚げを作ってくれる日が来るのを。

 

きっと、きっと、どんなに下手っぴに作っても、私はべた褒めするに違いない。これぞ、親バカ!と。

 

 

親になる、ってこんな気持ちになれるんだ。

 

辛いことも沢山あったけど、私は、れーちゃんのママで良かった。

 

ありがとう。

 

妄想だけで、こんなに嬉しい。

 

 

○○のある生活

○○のある生活。

 

あなたが最初に思い浮かぶものはなんですか?

 

花のある生活、

ゆとりのある生活、

ペットがいる生活、

 

何でも当てはまる。

 

今、私が猛烈に感動しているのは、

 

ティッシュのある生活

 

です。

 

 

アルコール除菌やマスクにとどまらず、ティッシュも買い占め&品薄が起きているこの現状。

 

 

こんまり流片付けを(90%だけ)実施した私は、無駄に多くストックするのが嫌いです。

 

 

「まあ、なくならんでしょ〜」と楽天的にかまえていたら、本当に手に入らない。ティッシュが。

 

花粉症かつ、幼児を二人抱える我が家にティッシュがなくなるとは死活問題。

 

しかも夫婦そろって鼻風邪になり、ティッシュを使う回数倍増。

 

ドラックストア、ネット販売、何件も見たが、まともな値段で買えるティッシュはなかった。

 

通販には「30箱」みたいな売り方はあったものの、そんな量をストックする場所なんぞない。

 

 

やっと通販で見つけた、まともな値段ティッシュは、「2日後に入荷予定」。それを購入したものの、届くまでの間、どうする。

 

 

苦肉の策で、キッチンペーパーやペーパータオルをティッシュ代わりにしてた。

 

鼻水の処理は、何とかはなった。

 

ところてん式に、新たな問題浮上。

 

固いエセティッシュによる、鼻の下の肌荒れ。

 

カッピカッピにカッサカッサ。

 

ワセリンを塗れども塗れども、結局鼻をかめば元の木阿弥。

 

 

妻が入荷待ちティッシュを注文していたとはしらない主人は、スーパーでティッシュをゲット!

 

まるで輝かしい戦利品のようだった。鼻の下の肌の救世主!ノーモア、ワセリン!

 

一日後に届いた、妻の注文したティッシュは、戦利品には見えなかった。今度はティッシュが過剰ストックになった。(私の中では6 箱以上あったら過剰ストック)

 

そしてその頃には、私の鼻風邪は治りつつあった。 

 

私が買ったティッシュは、鼻セレブ

 

主人のはやっすいの。

 

でも、やっすいティッシュの方が、戦利品に見えただよ。

 

少し待ってでも、上質なものが欲しいこともある。けど、今回は、低品質でも早く手に入ることのほうが大事だった。

 

表面が凸凹してるキッチンペーパーは吸水に優れているが、肌触りは優しくない。

 

ああ、私の鼻セレブ。使い切る日はいつやってくるのやら。

また鼻風邪になれば、ティッシュもすぐなくなるのか。

 

そんなにティッシュを使いたいような、使いたくないような、そんな春の日。

 

 

 

 

ライブ効果でマインドフルネス

小さなお子さんがいる中、夜に一人で外出するのに、罪悪感を感じたことはありますか?

 

自分が楽しいことをするのを、なんだか「悪いな」と感じてしまう。

 

最近は、私も夜のお出かけも、時々するようになった。とっても楽しい♪けど、なんだか罪悪感って完全には拭えない。

 

コロナウィルスによる自粛ムードで、楽しみにしていたイベントもなくなり、落ち込みがち。気分を上げるために、過去の楽しいイベント話でもしようと思います。

 

それは1月末に私が行ったライブ。

 

渋谷すばるくんの。

 

彼よりも、歌が上手い人は沢山いるかもしれない。最高の歌唱力ではないかもしれない。けど、彼の歌は聞きたくなる不思議な魅力がある

 

仕事ならともかく、本当に個人的な趣味のライブのために家を空けて、子どもたちを主人に任せるのは…最初は抵抗ありました。

 

結果、行ってめちゃくちゃ良かったです。

 

ジャニーズ事務所から独立してツアーをやる、と聞いた時、「いいねー、行けたらいいなー、でも無理だろうなー」と思ってた。

 

そしたら、主人が「行ってくれば?」と言ってくれまして。応募したら、チケット抽選も当たるし✨、ツアー初日の公演に行ってきた。   

 

公演開始前には、私なんて目じゃないレベルの本気のファンたちに圧倒された。開演10分前に普段着で到着する私と、開演何時間も前にツアーグッズに身を包み登場する本気のファンたち。

 

本気のファンってのは凄いねぇ…。

 

開演したら、それはそれは楽しくて。

 

演奏に、生歌に、感動した。

20年やってきたアイドルを完全に捨てて、自分で書いた音を奏で、歌を歌い。その姿を生で見れて良かった。

 

それ以外にも、自分自身にも感動した。

ものすこくマインドフルな時間を過ごせたのだ。

 

 

日頃、いつも先のこと先のことを心配して、不安になったり怒ったりしている自分、仕事中につい違うことを考えたり、子守中に違うことを考えてしまう自分が、ライブ中は、ものすごく「今、ここ」に居た。

 

 

視覚、聴覚、触覚、あらゆる感覚を使って、ライブを楽しんだ。

 

 

 

「自分ってこんなに、何かに集中することができるんだ」

 

 

ライブに行って、それを引き出してもらった気がする。

 

 

何か好きなものがあるって、幸せですね〜。

 

 

ありがとう。

 

すばるくんも、「行ってきなよ」と言ってくれた主人も。

 

 

 

日常にマインドフルネスを持ってくることは、結構難しいけど、「自分はやれるんだ!」と思えたのは、ライブのおかげ。

 

良かったら、彼の音楽、聞いてみてください。Amazonプライムでも聞けるよ〜。

 

オチがついてる歌詞もあって、面白いです。

 

 

追伸 全席立ち見だったから、体力が心配だったが、楽しすぎて大丈夫だった!開演中は。(筋肉痛はちゃーんと翌日に来た)

 

我が子は保育園児だし、親から離れてる時間もそれなりに長い。それでも!子供から離れてリフレッシュすることは、必要だな〜。離れる時間は大切

 

 

 

 

仕事を変えたらカラフルな夢を見始めた

あなたが最近見た、不思議な夢って何ですか?

 

夢ってのは、不思議なもの。

私が見た不思議な夢と、それを振り返って考えたことを紹介します。

 

私の夢の様子は、ここ一年で大分変わった。一番の変化は、非常にカラフルな夢を見出した、ということ。

 

まず、最近見た不思議な夢集を。

誰か夢占いできる人いたら、これがどんな意味なのか、教えて欲しい。

 

  • 先月、初めてライティングのお仕事をいただきました。(なんと、このブログからのご縁で!)ウェブマガジンの中の連載の一つを担当。「私の書いた記事をきっかけにPVが下がった」という夢 → これは私が心配し過ぎてた為に見た悪夢。お仕事仲間は笑ってくれた。

 

  • 急に産気づいて、予定していなかった近場の病院で出産するものの、病院からの扱いが悪く、産後直後に歩かされたり、食堂で待てども待てども食事が出てこない夢(私は今妊娠もしていないし、予定もない。産んだ子の性別も不明だった。不思議。)

 

  • 姉や母と一緒に、携帯のカメラで写真を撮っていたら、私の守護霊のような物がやたらとハッキリと映る夢。虹色の女性(顔はわからない)が、私の背中に居た。 あの虹色の女性は誰なのか、本当に守護霊だったのか、謎。やたらとくびれがくっきりしたスレンダーなのに、グラマラスな女性だった。

 

  • また虹関連。カプセルのような物の中にいる私は、カプセルの割れ目から空を見ていて、虹と雲が見える。虹を虫眼鏡などで観察すると小さなカプセルの集まりで、そのカプセルの中には人がいて…、あれ?これ自分のカプセルも、他の誰かが見ている虹の一員なんじゃ?と延々とカプセルとカプセルを見る人たちのループなのでは…と若干パラノイアにも取れる夢。

 

どんな夢を見たか?って、すぐ忘れてしまう。よほど印象的な夢だと、「昨日こんな夢見た!」と起き抜けに眠そうな主人に話しかけたりしている。(寝起きが悪い主人は、ほとんど聞いていませんが、私が喋ることで夢の内容を忘れずに済む)

 

 

その昔見ていた夢は、フルカラーじゃなくて、セピア色の景色だったり、モノクロに近いことも多かった。

 

が、最近見る夢はカラフルだ。虹色がくっきり見えたり、景色もフルカラー。

 

昨年の夏まで、私は一介のIT企業のサラリーマンでしたが、現在、お洋服や色に関わるお仕事をしている。

 

「貴方に似合う色は何?」というパーソナルカラー診断、「私に似合う柄、シルエット、素材は何?」という総合的なファッション診断、など。

 

 

今までとは全く違う業界の始めたばかりの仕事。それでも、私の無意識の部分にまで入ってきている。内容をコントロールできない夢まで、変わって来ている。

 

 

正夢を見た経験は、未だかつてない。が、夢というのは記憶を整理する過程の一つである、と自ら体感する。

 

 

セピア色の夢、モノクロの夢を見るから、といって、自分が色盲というわけじゃない。未だかつてを無いほど、私は色や形をしっかりと見ようとしているのだ。

 

 

始めたばかりのこの仕事。

 

夢の中の景色までを、変えている。

 

なんだか不思議。

 

 

夢からのメッセージなんて分からない。ただ、自分が物凄く変わったことだけは、凄くわかる。色の識別をする脳部位が、睡眠中も反応してるんだなぁー。

 

あなたの夢は、変化してますか?

 

 

夢日記ってつけると面白いのかなー。三日坊主になりそうだが、やってみたい。

 

 

長女れーちゃんの夢のお仕事

五年後の自分は何をしているだろう?

 

あなたは予測できますか?

 

振り返ると、私の人生では、「数年後の自分は、自分が思ってもみなかった所にいて、想像だにしない事をしている」の連続です。高校入学してから、ずっとこの調子。(留学とか、留学継続とか、帰国とか、退職とか、色々)

 

だから、10年後の自分を、世界を、想像しても仕方ない。

 

…とは言え!

 

気になる。娘たちは、将来どんなお仕事に着くのか?が。

 

 

私:「あと1年ちょっとで、れーちゃんは小学生だね」

れーちゃん:「小学生の次は、中学生で、その次は高校生なんでしょ?!」

 

目をキラキラと輝かせて、高校生に憧れるれーちゃん。私も幼児期には、高校生って物凄く大人でカッコよく思えてたなぁ…(それが幻であった、と自ら高校生になってから知る)

 

 

れーちゃんは、キラキラの高校生の後はどうなるのか、知りたかった様子。

 

私:大学に行く人もいるし、お仕事を始める人もいるんだよ。

 

ただ遊び呆けるだけなら、大学に行くのは時間の無駄である。と、私は考える。お金を払ってまで大学に行くのであれば、目的を持ち、しっかり学業に励むべし!と。

だから、「大学には行くものだ!」という固定観念を植え付けたくなかったのだ。

 

私:れーちゃんはどんなお仕事をやるのかなあー?楽しみだねぇー。れーちゃんは何がやりたいかなあー。

 

そう呟いたら、変化球な答えが帰ってきた。

 

れーちゃん:れーちゃん、ママと同じお仕事が良い!!そしたら、ママと手を繋いで一緒にお仕事に行くんだ♪

 

高校生への憧れを語る目よりも、遥かにキラキラした笑顔で、れーちゃんは、私にそう語りかけた。

 

可愛すぎる。

 

ハートを射止められた。

 

仕事うんぬんなんて、まだ年中さんのれーちゃんには遠い先の話。それでも私は知りたくなってしまった。娘の将来を。

 

娘の答えは、将来ではなく、「今」に向いていた。

 

何かをしたい、どこか特定の場所に行きたいのではない。

 

れーちゃんがしたいことは、

 

「ママと手を繋いで、どこかに行くこと」

 

だった。

 

なんて可愛いんだろう。きっと5年後は、こんな事を言ってくれないだろうな…

 

そう思うと、やっぱり毎日がスペシャル(by ゆーみん)なのか。

 

大人と違って、私と違って、子供は、「今」を生きてる。

 

 

今日は、昨日の繰り返しのようで、何かが違うのか。そうやっていつの間にか、変わっていくのか。

 

今日という日は、二度と帰らないんだなぁ…

 

 

プライスレスな時間。

 

あなたにとって、閉じ込めたい思い出って、何ですか?

 

今の自分を幸せにする思い出を、考えたいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

「ママ大好き」の乱用

「ママ大好き」

 

子供にそう言われて、どんな気持ちですか?

 

嬉しい!というママがほとんどでしょう。

 

私も嬉しいです。大概はね。

でも、例外はあるんです。

 

 

私が先日遭遇した嬉しくない「ママ大好き」とは何か?を紹介します。

 

我が家の次女ワカメちゃんは世渡り上手感が強く漂う 2 歳児。言葉、仕草、表情で随分上手におじさん転がしをする女子

 

洗い物を減らす為に、牛乳もお水も同じコップで飲んでもらっている。つまり、お水を完飲してから、牛乳を注ぐのが定石。(お水で薄めた牛乳を飲みたい場合を除く。ま、不味そうだよね)

 

 

お水を飲むのが嫌だったワカメは、水が入ったコップをわざとひっくり返した。

 

「ママ大好き」

 

 

と言いながら。

 

その時の私の気持ちとは……

 

 

この野郎!!

 

 

です。包み隠さず言えば、本音はこれ。

 

ワカメちゃんは、ママが大好きと伝えたくて、「ママ大好き」と言ったわけではない。

 

「ママ大好き」と言って懐柔しておけば、たとえ水をひっくり返しても怒られずに済むだろう

 

ワカメちゃんの魂胆が見えて、むしろ私は激怒!!

 

 

私は婉曲表現を理解するのが苦手と言えど、さすがにこのシチュエーションでは文字通りには受け取らなかった。

 

 

 

「ママ大好き❤」

 

そりゃあ嬉しい言葉です。

 

邪な思いではなく、ピュアに発せられた言葉なら、やっぱり響く。

 

 

どんな美辞麗句も、その源にある思いによって、全然変わる。

 

拙い言葉であっても、源泉の思いがピュアであれば、伝わるんだな。

 

長女れーちゃんが時々する拙いお話を、なぜ私は理解できるのか。それが分かった気がする。

 

 

下手くそだって、本気の思いは伝わるんだ。

美辞麗句だって、心がなければ陳腐なだけなんだ。

 

やっぱり私は、見栄えのよい建前よりもクソみたいな本音の方が好き

 

 

あなたの本音って、なんですか?

 

 

 

 

「まるで自分のお母さんみたい?!」な自分がいる

ふとした時、「あれ?私って自分のお母さんみたい!」と思う時、ありませんか?

 

最近、そんな時がありました。

 

私には二人の娘、4歳れーちゃんと、2歳ワカメちゃんがいる。その娘達が、お手伝いを巡って喧嘩してる時の私の対峙が、私の母のそれとそっくりだった。

 

たとえば、

 

「この靴下引き出しにしまって来てー」

 

と、ワカメちゃんに頼むと、れーちゃんもその靴下運びをやりたかったらしく、靴下の取り合い喧嘩になる。

 

その靴下以外にも、Tシャツや下着など、片付けて欲しい物は山ほどあるのに、なぜかその靴下を巡ってバトル。

※靴下を運ぶ以外のその他のお手伝いでも、登場人物順不同で、多々ある光景。

 

 

 

その日、特に疲れていた私は、プチッと言ってしまった。

 

「そんな喧嘩になるなら、お手伝いなんて、なんにもしなくていい!だったら何もしないで!!」

 

 

脅しでもなく、これは私の心底の本音だった。

お手伝いしてもらって、少しでも楽がしたい。これも私の本音。

 

このギャン泣き喧嘩があっては、私はちっとも楽ではないのだ。

 

「だったら何もしなくていい!私がやるから!!」

 

 

 

そう言い放った後、私自身の母の姿が思い浮かんだ。母も同じようなことをよく言っていた。

 

 

 

----------私の子供時代の回想ここから--------

私は三姉妹。三人の誰かに何かをやって欲しく、母はよく用事を頼んでいた。

 

「えー、○○ちゃんやってよ」

と娘達が、お互いに仕事を押し付け合う姿を見るのは、母も嫌だったらしい。

 

 

「もういいわよ!(プンプンしながら)私がやるから!!」

 

「お母さん、ごめん、私が○○やるよ」

と誰が言い出す

 

 

----------私の子供時代の回想ここまで------

 

 

 

お手伝いしたいと奪い合うのか、お手伝いしたくないと押し付け合うのか、年齢も状況も異なるが、私は母そっくりな発言をしていた。

 

 

子供たちが手伝ってくれたら嬉しい。でも、喧嘩する、押し付け合う、等醜い姿を見聞きする位ならやらんで良い!!

 

この発想が良いのか悪いのか、はわからない。喧嘩を上手く仲裁して、各自のお手伝いしたいモチベーションを削がないのが、本当はベストかもしれない。

 

けどね、そんな心理的余裕ないわけですよ。

 

 

発想の良し悪しに関わらず、確固とした事実として、私と母は同じ発想をしているのだ。

 

母とは似てない所が多い、と思いながら、子供に接する態度はそっくりなのか。

 

母には似てないが、父とはよーく顔が似てる。以前、私の社員証の写真を眺めて、父そっくりだ、と自らが思ったほどだ。

 

 

不思議な所で、親子って似てくるのかなぁ。

 

我が家のれーちゃんもワカメちゃんも、私に似てるとは言い難い外見だが、ふとした所で似てくるのかな。

 

 

超絶ネガティブで、婉曲表現の理解できないストレートさんで、マイノリティな私に、似てほしくないような。

 

私は自分自身の母に似てるのか。じゃあ、私もおばあちゃんになったら、孫パワーが出てくるのかしらん。

 

今日は曇りなので、花粉が少なく、調子が良い。