打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

「当たり前って何?」

答えるのが難しい、子供からの質問シリーズです。長女れーちゃん(4歳)だからこその感性なのか。子供ってみんな、こういう事を不思議に思うのか。

 

当たり前って何?

面倒くさいって何? 

グライダーって何?

 

あなたなら、4歳の子相手に、なんて答える?

 

自分が「当たり前」のように知っている事が多くかある。それを全く知らなかった時代が、自分にあることは、忘れている。

 

色々と面白いので、れーちゃん質問録として、ブログに残そうと思う。

 

・当たり前って何?

→毎回言わなくても、お願いしなくても、わかって欲しいこと。たとえば、れーちゃんはお風呂を出た後に、喉が乾くからお水を飲みたいでしょ?だから、お水のコップを用意してほしいでしょ?

 

・面倒くさいって何?

本当は出来るんだけど、やりたくないなー、ってこと。れーちゃんも毎日、お洗濯物をたたんで引き出しにしまうでしょ?できるけど、やりたくない〜って言ってる時もあるでしょ。あの時の気持ち。

※この説明をしたら、「え〜、れーちゃん面倒くさい〜」と自分から言うようになって、こりゃマズイ、と思ってるところ。

 

・グライダーって何?

鳥みたいにこうやって、こうやって、こうやって飛ぶんだよ〜。

※大袈裟なジェスチャー付き。結構苦しい。

 

自分が知ってる「当たり前」は、隣の誰かには「当たり前」ではない。

 

イギリスに留学している間は、ほぼ毎日、これを痛感していた。留学生というマイノリティであった私は自分が知ってることを、考えていることを、一生懸命説明しなければならなかった。しかも、拙い英語で。

 

こういう事って、最近忘れてた。

 

日本に帰国してから10年近くが経つ。いくら変わってるとは言え、日本人として日本に暮らしている。圧倒的多数なのだ。

 

 

拙い言語力でも、頭をフル回転して理解しようとし、「これ、なんだろう?」と思ったことは素直に質問する。

 

4歳のれーちゃんの姿勢は、留学中の私と同じだった。

 

新しい言語、新しい分野を学ぶというのは、何においても、この姿勢で向かうことで、道は開けるのかもしれない。

 

 

 

 

SNS整理

こんまり流片付け(未完了)後でも、捨てるべき物たちが沢山出てくる。

 

生活してれば、ゴミは必ず出てくるし、少し見直すと「これを持っていなくても、私の人生は楽しい」と思える物が沢山ある。

 

私は時たま、「捨てたい!」「整理したい!」「掃除したい!」スイッチが入る。

 

今回は、服・文具・食器などを断捨離だけではなく、Facebookも整理しました。

 

SNS疲れしてる人にオススメなのは、「フォロー解除」です。

 

今日、めっちゃ色んな人・グループ・ページのフォロー解除をしました。

 

まず、私のSNS遍歴を。

 

私は2006年からFacebookを使っています。当時はまだ、英語圏の現役大学生のみが会員になれるサイトでした。

 

数十人の友人だけで繋がり、最初は楽しかったんです。途中、何だか嫌になって、ログインしない時期がありました。勉強の邪魔だし、時間の無駄遣いが多いし、Facebook上の友達が増えすぎて誰が誰なのか把握できなくなったり。

とある友人は「passive stalking」(受動的ストーキング)なんて言ってました。

 

イギリスの大学を卒業して、2010年に帰国した後は、Facebookをまた使うようになった。イギリス時代の友達と繋がり続けるために、最高に便利なツールだった。

 

○○ちゃん、引っ越ししたんだ。

☓☓くん、世界旅行中なのか。

△△ちゃんは今、ウィーンに住んでるんだ。

 

手軽に友人の近況を確認できるのが便利だった。

 

が、

 

最近はそれ、見にくかった。変なニュースとか、レシピとか、しつこすぎる広告とか、そういうのばっかり流れてくるようになった。

 

ちょっと「いいね!」したページから謎のフィードが流れて来て、友人の情報はかなりスクロールダウンしないと見えない。

 

SNSって、「自分ってキラキラしてるでしょ」って内容の投稿が多い。それを見て楽しい時と、疲れてしまう時がある。

 

この疲れが嫌なので、以下をフォロー解除した。

 

  • 二度と見返さない情報が流れてくるページ
  • 見てて疲れてしまう投稿が多い人のフォロー
  • 何年も更新されていないグループ脱退
  • ネガティブ情報しか受け取れないグループ脱退

 

友達解除…も5年に1回くらいやります。が、判断に頭を使うので、今日はやりたくなかった。

 

友達解除するほどじゃないけど、関わりを薄くしたい人のフォローを解除すると、大分スッキリします。

 

どう感じるか?は全て私の受け取り方の問題。投稿者側の問題ではないのはわかっています。

 

このご時世、情報過多だから、目に入ってくる情報を減らすのって大事かも。SNS完全辞めるほど思い切れないので、フォロー人数を減らすという手に出ました。

 

SNS疲れしてる人に、オススメです。

 

何を投稿するのかは、投稿者本人の選択。

何を見るのか、も閲覧者の選択。

 

何を見るか、見ないか、自分で決めませんか?

 

極力喋らずに居たら、比較的平和だった

風邪なのか、エアコンに当たり過ぎなのか、声が出なくなりました(T_T)

 

どうやら、一年弱前にも同じような現象があったらしい。

 

日常的に使う声が、使えなくなることで、の気づきがある。

 

去年の教訓は「口は災いの元」。

今年の教訓は「こだまでしょうか、いいえ、誰でも」。

 

「こだまでしょうか」という結論に至った経緯を綴ります。

 

毎日毎日、かわいい子供たちが帰ってくると、それはそれは我が家は騒がしくなる。ときには5秒に1回姉妹喧嘩が発生するし、ワカメちゃんの2歳児らしいイヤイヤもある。

 

子供たちはかわいい。かわいいんですよ。

でも時々思うのです。

 

うるさーーーい!!

 

と。

 

 

仕事で、お客様を前に、喋らない訳には行かないので、仕事のために喉はできるだけ温存するため、家では極力喋らないことに。

 

主人やれーちゃん(4歳)には筆談が通じるが、ワカメちゃんには無理。とにかくジェスチャーで頑張った。

 

極力しゃべらない、ヒソヒソ声で話す。

 

子供たちが何かやらかしても、それを注意するよりも、自分の喉の温存を優先した。(ベトベトのたらこスパでおにぎりを作ろうとしたれーちゃんには「やめて!」と注意しました^^;)

 

https://www.instagram.com/p/B2WiI6OlFLi/

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極力しゃべらない、ヒソヒソ声で話す。

 

そしたら、あら不思議。いつもほど「うるさーーいい!!」と感じなかった。

 

  • 理由1:実際にれーちゃんやワカメちゃんの口数が減った 
  • 理由2:私自身がいつもほど気にせずに済んだ

 

理由1:実際にれーちゃんやワカメちゃんの口数が減った 

実際に聞こえてる音量のデシベル数や、声を聞いている秒数が減ってた。

 

れーちゃんも、ママの真似をして、ヒソヒソ声で話したり、良い意味で口数が減ったり。

自分の喉はかれてないのに、れーちゃんは共感力が高い子なんだなー、なんて思ったり。

 

いつもペーラペラペーラペラと息継ぎの間も無く喋り続けるワカメちゃんも、今日は息継ぎをしていたように見えた。

 

 

理由2:私自身がいつもほど気にせずに済んだ

私の優先順位は、昨日今日はとにかく「私の喉の温存」。姉妹喧嘩の仲裁は二の次。

 

それが案外良かったらしい。

 

いつも、「早く喧嘩を止めなきゃ!(泣いてるし、うるさいし)」って焦ってたんです。だから、イライラしてた。よほどの事でなければ、姉妹喧嘩は様子を見る方が良い。

 

「仲良くしなさい」なんて通じないって、自分で言ってたのになぁ…、自分事となると達観も客観視も難しくなる。

 

兄弟喧嘩ってのは、結構どうしようもなく些細なことから始まり、喧嘩のきっかけも忘れて揉める。そして喧嘩していたことなんて忘れて、二分後には仲良く一緒にイタズラしてたり。

(今日は、お名前スタンプをおでこに押したらしく、油性インクでれーちゃんのお名前がくっきり書いてあった💦)

 

とにかく「喉☆命!」だった私は、喧嘩の仲裁よりも静かに見守っていた。意外にも喧嘩している時間は短く感じた。

正直、喧嘩していることよりも、自分の喉が気がかりだった。

 

献身的で自己犠牲。それが母親の理想像的に思えてしまうことがある。が、「自分の喉の温存」を優先した私は、よほど落ち着いた母親だったと感じる。

 

お出かけ先と同様に、自分の体や気持ちを優先した方が、結局子供たちにとっても良いのかな、と思った。

 

これは、自分の気持ちを圧し殺したり、身体的に無理したりしなくて良いって意味。

子供の授業料払わずにパチンコ行ったりするような、自分の「優先」はイカンと思う。子供に実害があるし、それは「優先」ではなく「ないがしろ」。

 

「喉が痛いから極力喋らない」

「疲れたから、今日の夕飯はお弁当を買おう」

 

なんて、子供に大きな実害のない様なことは、親自身を優先しても良いんじゃないか。

 

声が枯れることも、極力喋らないことも、想定外で不便。が、結果として、ママの怒り声を聞く時間も減り、子供たちにも良かったんじゃないか。

 

 

いっっつも余計な事ばっかり喋ってる。

もっと口数が少なくても、なんとか通じる。

毎日こんなに喉を使ってる。

喋れるってありがたい。

 

声を失くして、こういう事に気づく。こんな当たり前の事を思い出すために、喉の痛みを通して体が教えてくれたのかな。

 

今日の夜を迎えて、ホッとしている。絶対的に喋らないといけない仕事は週明け以降。その間に、回復したい。

 

 

温度変化が激しい季節です。皆様もお体ご自愛ください。

 

一週間、お疲れ様でした。

 

 

 

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ピルの効果

生理痛や PMS に悩んだことはありますか?

 

私、2 回目の出産後に生理が再開してから、PMS が結構ひどかったのです。

 

PMS 対策にピルを処方して貰ったら、大分快適になった。

 

ピル、無痛分娩、等って、「自然じゃない」って否定されることがある。女性が快適に生きるために、科学の進歩にどんどんあやかるべし!と思う。

 

産後のホルモンバランスが整っていない時期だっためなのか、PMSも生理中も、家庭内平和のため「私は生理中です」という張り紙をする位、症状があった。

 

生理が始まるともに、腹痛が出るものの、精神不安定はピタッと治まる。正に PMS

 

あまりにも不安定になるので、毎月生理前になるのが怖かったのが、ピルのおかげで大分落ち着いて来た。

 

今は、婦人科でピルを処方して貰ってる。結果、PMSは緩和され、生理期間が短くなり、更に月経カップのおかげで生理中も大分快適に

※過去記事で一番反応が多かったのが、この月経カップ使用レポートの記事かも。

 

私が愛用品はコレ↓


【月経カップ】スーパージェニー

 

 

妊娠を望む人、体質的に合わない人にはオススメできませんが、その他の生理に悩める女性にはぜひオススメしたい。低用量ピルと月経カップを!※ピルは医師に処方して貰ってくださいね。

 

この手の話ってなんだかタブーにされがち。医学や科学の進歩に日々あやかって生きてるのに、「自然じゃない」って否定されやすい。無痛分娩も同じ。(私は無痛分娩推奨派です。)

 

だから、私は敢えてこういう事を書いてる。

 

スマートフォンを見て、飛行機に乗って、エアコンや水道管を使ってる時点で厳密な「自然」ではない。

 

水が低きに流れる様に、負担が少なく穏やかに過ごせる方向に動くことこそが、自然なんじゃないかなー。

 

 

 

 

 

 

 

家族でプールの失敗談

もうすぐ夏の終わり。ということで、家族4人でプールに行きました。

 

予想外にも、子供たちがプールを怖がっていたり、慣れないことで、色々と手違いがあったり。

 

今回のプールでの失敗談を紹介します。子供2人以上を連れてプールに行く可能性がある人には参考になるかも。

 

 

水難事故が怖いので、親 2 人が徹底した役割分担で、長女れーちゃん( 4 歳)と次女ワカメちゃん( 2 歳)を監視することに決めた。

 

お天気で楽しいプール♪…とだけは行かなかった

 

失敗その1:荷造り

まず、荷造りを間違えた。更衣室は男女に分かれていることを全く考慮せずに、家族全員分のプール道具を1つのバッグに突っ込んでしまった。

男女の更衣室に分岐する地点で、荷物の入れ替えあくせく。男女の更衣室に別れた後、ワカメちゃんの水着がパパ側の荷物にある事を知ったり…

 

こういう所がスムーズじゃないのは、私は結構苦手。読みが甘かった。 

 

失敗その2:プール怖い

予想外に子供たちがビビリでプールを楽しめない!!

時間経過とともに、長女れーちゃんは慣れて水深 25 cm のプールやじゃぶじゃぶ池なら楽しんだ様子。が、ウォータースライダーは怖くて仕方なくて大泣き。4 歳だけど、大人しめなれーちゃんには赤ちゃんプールがちょうど良かったよう。

 

次女ワカメちゃんは、最初から最後までプールにビビリまくり。まっったくプールを楽しめませんでした。

 

水遊びサンダルを脱ぐ = プール内に連れて行かれると学習した彼女は、ピンクのくまさんのお気に入りのサンダルを、決して、決して、脱ごうとはしない。お風呂嫌いだった時期に「ねんねするの!」と言えばお風呂を回避できると考えていたのと同じように、「サンダル履くの!!」と言い続け。

 

波のプールが最高に怖かったようで、一目散にプールサイドに逃げる。迷子に間違われる程にエンエンと泣いてた。 

 

 

失敗その3:結局別行動

ワカメちゃん保護担当だった私は、プールを断固拒否する幼児を抱き、家族の荷物を監視し、暑い中、目の前のプールには入れず、結構げんなりしていた。目の前にご馳走があるのに「食べちゃダメ!」って状態と同じ。

 

ワカメちゃんは早々にプールを切り上げ、パパ+れーちゃん、私+ワカメちゃんのペアで別行動することに。

 

家族 4 人で来たのに、結局別行動することに。プール恐怖症の幼児とプールサイドに座ってるよりは外をお散歩してる方がまだマシ。

 

パパ+れーちゃんペアと合流するために、夕方待ち合わせたのだが、パパれーちゃんペアが遅れたので、待ってる間、私は蚊に喰われまくり。(子供と一緒にいても、より年寄りの私が喰われる程、私は人間蚊取り線香。なぜなのだ。)

 

失敗その4:シャワー

私、ワカメちゃんを連れてさっさとプールから上がることを考え頑張ってた。プール恐怖症のワカメちゃんを、プールから引き離すために気持ちが急いでいた。

 

プールから出たのにシャワールームが見つからず。。。見つけたのは、冷たいお水しか出ないプールサイドのシャワーなんて…私は我慢できるけど、ワカメちゃんが大泣きすることは目に見えてるから…と、なんと、プールに行ったのにシャワーをちゃんと浴びれなかった。

 

お尻拭きを使って私とワカメちゃんの体をフキフキ。どうしてもベトベト感は拭えない。

※ちょっと探せば温かいシャワールームがあったらしい。。。気持ちが焦ると大事なものを見逃しますなぁ。

 

帰宅後、真っ先にワカメちゃんを洗い、私もシャワーしました。

 

上手く行った事その1 :帰る時の荷造り

別行動なので、れーちゃん+パパの荷物は主人が詰めることになる。

荷造りに関しては、事細かに主人に指示(お願い)しないと、酷いことになりますら、

 

お願いだから、 塩素漬けの水着やタオルを、そのまま布製バッグに入れないでくれ。絶対にビニール袋に包むか、捨てれる紙袋に入れてくれ。 

 

しっかりとお願いしておいて、良かった。布製バッグは塩素臭くない。

 

 

私としては、「なぜここまで言わないとわからないのか…常識的なのに…」とも、思うんだけど。慣れてる家事育児は、逐一事細かに言わなくてもしてくれてとっても助けられてる。プールに行く、みたいな非日常イベントでは、事細かな指示が必要。

 

男性って、家事に関してはコンピュータープログラムみたいなところがあるって話を思い出した。言われたことはやる。言われた事しかやらない。打ったコマンド通りに返してくる

 

「当たり前でしょ!?」と怒るよりも、希望を具体的に伝えることは大事なんだな〜、と再実感。

 

こんな学びがあったのも、「上手く行ったこと」でしょうか。

 

上手く行ったことその2:忘れ物はなかった

プールに行くなんて非日常。持ち物だっていつもと違う。

 

 

上手く行ったことその3:元気

プールにビビろうが、プールを楽しもうが、とりあえず無事故に元気に帰って来た。

 

帰宅後の夕飯では、娘たちは枝豆にハマり、めちゃくちゃ食べてた。プールの後の枝豆なんて、オヤジみたい(笑

 

まだまだ暑い日もあるけど、夏は終わりつつある。

 

今年の夏も、ありがとう。

 

 

笑いタケ現象

子供って、一日に 300 回笑うそうで。大人になると、平均一日 15 回に減るとか。

 

我が家の姫たちも、笑い上戸になることがある。

 

笑いの沸点が低いのか、ツボにハマったのか、永遠と笑い続けて話が全く通じなくなる(笑)。

 

この笑い上戸タイムになると、私は、「れーちゃんもワカメちゃんも賊になっちゃった」と言ってます。まるで笑い茸を食べたように、狂ったように笑い続ける。

 

本人たちには、己の笑い声しか聞こえていないので、ママが何を言っても耳に入っていないらしい。「お風呂入ろうよー」とか「歯磨きしようよー」なんて全て馬耳東風。

 

あまりにも楽しそうだから、ゲラゲラきゃっきゃ、好きだけ笑わせておいた。本当はお風呂に入れたかったが、我慢我慢。楽しそうだし、そのうち落ち着くだろう、と待ちの姿勢で。

 

そして、案の定、どっちかのプチ事故(壁にぶつかる等)によって、賊タイムは終了。

 

笑うってのは、エネルギーを使うんですね。れーちゃんもワカメちゃんも熱くなって汗びっしょり。

 

笑い過ぎて汗をかいて、結果、汗疹になるほど、今日は笑ってた。

 

すごーく些細なことが発端で始まった笑い茸賊タイム。

 

あまりに娘たちが笑うから、私も釣られて沢山笑った。

 

またこんな時間が、訪れますように。

 

あ、もちろん、日中にね。昼夜逆転の夜中にゲラゲラタイムは遠慮します。

 

赤ちゃん時代、昼夜逆転して真夜中にヒャッホーとテンションが高い日は、途方に暮れてたなぁ。眠れるって、やっぱり大事。  

 

追記 この記事を見て、「最近本気笑いは0、愛想笑いや苦笑いは300回位」という方もいらした。大人になると笑い回数は減るが、笑いの種類は増えるということか。

子供の「なんで」への答え方

恥ずかしいって何?

平和祈念像って何?

 

色んなことを疑問に思うお年頃。最近れーちゃん(4歳)は、「どうやって答えよう」と考えさせる質問を沢山する。

 

私的に、比較的上手く答えられたものをいくつか紹介します。

 

あなただったら、なんて答える?

 

平和祈念像って何?

戦争って知ってる?戦争で死んでしまった人たちのことや、哀しい出来事を忘れないようにするためにあるんだよ。

 

泡泡石鹸は、こっち(ケースの中)では緑なのに、泡泡になるとなんで白くなるの?

泡泡になると、空気が沢山入るんだよ。風船みたいに泡が膨らむ。そうすると色が薄まって空気が沢山入って白く見えるんだよ。

 

恥ずかしいって何??

うーん…これはなんて説明すれば良いのか。(主人の案「隠れたい気持ち」を採用)

 

 

子供の「なんでなんで」の質問にうんざりする親御さんもいるとか。

 

打たれ弱くてイライラしやすい私ですが、子供の「なんで」にうんざりしたことは一度もない。

 

ほとんどの場合、子供の「なんで」に答えられるし(理系の人っぽい?)、わからない場合は「なんでだろうねー」と一緒に考えたり流したりしてるから。

 

むしろ、「なんで?」って、色んな事に疑問を持ってくれるのは嬉しい。「なぜ」を追求することが好きな理系の私には、とても嬉しい。

 

4 歳の子供もわかるように伝えるというのは、私の頭の体操にもなる。

 

子供の「なんで」に関しては寛容なのに、ボディソープ全開けにはめちゃイライラしたり。うんざりするポイントは人それぞれなんだろうなー、と思う。

 

れーちゃんは、こういう言葉のやり取りができるようになってきた。乳児よりは幼児、幼児よりは子供の相手の方が私は得意で楽しいのだ。だから、子供の成長はとても嬉しく、全く寂しくない

 

大人だったら「当たり前」と思って過ごしている、スルーしている物に対して、「なぜだろう?」「これなんだろう?」という思いを持つ。 

 

これってとても大事。

 

子供時代は、皆誰しも、こんな視点を持っている。曇りなき眼を持っている。

 

成長ってなんだろう。

 

この曇りなき眼を失って、色んなことに疑問を持たなくなることで大人になるのだ、としたら、なんだか味気ない。

 

当たり前のことに、もっと疑問を持って見る。これだけで、童心が思い出せて、子供たちの考えてることも少し見えてくるのだろうか。

 

私は子供のとき、どんなことに「なんで」と思ってたのかな。

 

ふと、各家庭にあるであろう、子供たちの「なんで」を知りたくなった。

 

あなたの「なんで」、あなたのお子さんの「なんで」はなんでしょうか?

あなたはどう答えますか?

 

正解が1つではない、この答え達を、知りたい。

 

追記 

「かわいい顔が台無しだよ?」と言ったら、また質問された。

 

「台無しってなに?」

 

これも中々考えさせられる質問。

神の形相から見る、西洋と東洋の違い

私は歴史物を読むのが好きです。特に塩野七生さんの本が。

 

様々な国、時代の宗教観について考えていたら、気がついた。

 

西洋はキリスト教、東洋はそれ以外。ざっくりこう考えていたが、キリスト教か否か、以外のもっと原始的な違いが、西洋と東洋の宗教観の違いを生み出している、と気がついた。

 

 

現代から過去に遡る形、私がこの気づきを得るのに経た順に説明します。

 

先日、塩野七生さんの「十字軍物語」を読んだ。中世のヨーロッパとは、兎にも角にも教会が偉くて恐怖政治が横行する世界であり、私はそこに生まれなくて良かった、が、私の感想だった。


十字軍物語(一~四)合本版(新潮文庫)
   

 

今ではヨーロッパ内では圧倒的多数派のキリスト教信者だが、彼らが少数派だった時代もある。※信仰の深さは人それぞれだが、彼らにしてみれば第一の宗教はキリスト教である

 

紀元前ヨーロッパ、たとえば古代ギリシや古代ローマ帝国多神教が多数派だった。軍神も居れば、愛の女神もいる、幾人もの神が同時に存在していた。唯一神なんて居ないので、「どっちの神が偉い」を争う宗教戦争は少なかった。あったとしても、メジャーではない。

 

八百万の神がいる日本も多神教であり、そこは同じ。

 

とは言え、日本人と古代ローマ人の宗教観は同じではない、アジアとヨーロッパでは何か違う。

 

一体何が違うのか。

 

その決定的な違いは、神の姿形にある、と私は思った。

 

ローマ神話ギリシャ神話に出てくる神様は、人間の形相をしている。メデューサの髪の毛は蛇だが、あくまで人間の形をしたものの上に付いてる。

 

東洋の神様は、人間の形とは限らない。稲荷神は狐だし、蛇や蛾、鹿が神の化身だったり。エジプトなどオリエントの宗教には、鶏や犬、猫を神様としたものもある。

 

西洋、オチデンドにあった宗教って、神様はやはり人間の形相なのでは?、と、私の薄い知識から感じる。

   

優位性で、人間 > 動物と考えるか、動物 ∋ 人間(人間は動物の一種)として考えるか、ってことなのかなぁ。

 

「〇〇神話ではヨーロッパにも動物の神様がいるよ!!」というのがあれば、ぜひ教えていただきたい。

  

神の形相については、私の知識が足りない部分もある可能性が高いです。が、神と人間との距離感は、東洋と西洋では違う、と肌で感じている。東洋のが、神様との距離が近い。

 

たとえばお神輿。

  

キリスト教文化がベースにあるヨーロッパ人に、お神輿の話をすると、けっこう「?」という顔をされる。

 

神輿、英語では portable shrine、持ち運び可能神社。 西洋人にとって、神とは「自らが神殿や教会に出向き、お会いできる存在」であり、神を担いで回るなんてことはしない。それは一神教キリスト教が台頭する前から変わらない。

 

次に「?」顔をされるのは、お地蔵さま。

お地蔵さまって素手で撫でることができる。教会内でイエス・キリスト聖母マリアの像を撫でるなんて聞いたことがない。ここにも、神様と人間との距離感の違いがある。

 

神様とは、自らが出向いてやっと祈り捧げることができる存在。

 

神様とは、いつ何時でも、必要なときに目の前に降りてきてくれる存在。

  

どっちの神様も居て良いと思う。

 

6 年もイギリスに住んでたし、古代ローマの話も大好きで、かなりヨーロッパかぶれな私だが、宗教観ならば東洋的なものが好き。ここは寺の娘らしいのか。

 

八百万の神、神の形は人間とも限らない様々な姿、他者の信仰を否定しない。そんな多様性がある。

 

日本での宗教観って、こんなに非排他的で、寛容で、多様性に富んでる。

こんな宗教観とは対照的に、日本にいる人間に対しては多様性が乏しい、周りに思想を監視される国家だと思う。

 

そう感じるのは、私が変わってるからなのか、なんなのか。寛容性を、宗教観に対してで使い果たしてしまってるのか。文化に優劣はないのに…なんで少数派だと生きにくいのか。

 

神の形相について考えていたのに、ここまで話が飛ぶとは思わなかった。書くとは、脳内の旅行だなーと。

 

宗教観や歴史について、誰かとディスカッションしてみたいなぁー。

記憶が飛んだ時期

あまりにも大変で、一生懸命過ぎた時って、記憶が飛んでいることがありませんか?

 

私は 2 年前の、娘たちが 0 歳 2 歳だった時の、細かい記憶がない。

 

少し余裕が出てきた今、あの時を振り返る。あの時は見えなかった、長女れーちゃん(現 4 歳)の気持ちが、見えて来た。

 

2 年前のあの時を振り返るきっかけになったのは、保育園の先生との会話。

 

次女ワカメちゃん( 2 歳)は、イヤイヤ期真っ盛り。

 

周りを見て、「私も、私も!!」アピールを沢山する様になってきた。成長の証だが、ヒステリックな主張に、疲れてしまうこともある。

 

2 人目育児で、イヤイヤ期の相手も 2 回目。なんだけど、あんまり既視感がない。イヤイヤ期ってこういうものだったっけ??

 

1人目育児を振り返りながら、気づきが沢山あった。

 

れーちゃんが使ってるおもちゃを見ると、自分も欲しくなり「ワカメちゃんの!ワカメちゃんのぉーーー(おもちゃ!!)」と泣き叫んだり。

 

おいおい、それはれーちゃんが使ってたし、横取りじゃない?他のおもちゃ沢山あるのに…

 

こんなシーンを毎日見ます。家庭での姉妹喧嘩ではお互い様だが、本日、保育園でも同じようなシーンがあったらしい。ワカメちゃんがおもちゃを独り占めしようとして、先生が仲裁に入ったとか。

 

「これは私のもの!!」

 

所有欲が強くなる、周りが見えるようになり「お友達が持ってるものを、自分も使いたい」という欲が強くなる。

 

先生は優しく「年齢的にそういう時期ですからね〜」と言ってくれた。

 

2 歳半前後ってそういう時期なのか。んん?そうだっけ?

 

2 人目育児で、イヤイヤ期の相手も 2 回目だけど、あんまり既視感がない。イヤイヤ期ってこういうものだったっけ??

 

れーちゃんが 2 歳半前後の頃を、必死に思い出そうとしたが、あまり記憶がない。

 

なぜ記憶がないかって、余裕がなかったからだと思う。我が家の姉妹は、 2 歳 3 ヶ月差。れーちゃんが 2 歳半の頃は、ワカメちゃんはまだまだ小さな赤ちゃんだった。

 

赤ちゃんのお世話と魔の 2 歳児の相手。寝不足でフラフラしながら生活していた。

 

大変だったことは間違いない。れーちゃんがイヤイヤ言ってたことも覚えてる。が、「どのように大変だったか」って覚えてない。

 

れーちゃんのイヤイヤに、そこまで耳を傾ける余裕が、あの時はなかった。だから、記憶がないのだ、と思う。今、ワカメちゃんのイヤイヤの中身にまで、考えが回るのは余裕があるからなんだ、と気がついた。

 

余裕の源は睡眠だ。睡眠不足は、あらゆる影響が出る。

 

心理学的には、2 〜 3 歳とは「自分が一番注目されたい」「独り占めしたい」という欲求が高まる年齢とか。

 

そう言われると、ワカメちゃんの言動にすごーく合点が行く。(合点が行っても、嫌気は消えませんよ^^;。頭で理解しても、心がついてくるかは別。)

 

そして、ふと思った。

 

こんなに注目されたい、独り占めしたい、という時期に、れーちゃんには妹が生まれたのだ。

 

れーちゃん、ごめんね、辛かったね。

 

今までずっと、パパやママを独り占めしてきたのに、妹が生まれたことにより、今までみたいに見てもらえなくて、寂しかったんじゃないかって。

 

あの時期、れーちゃんに対する心のケアが一番肝になることは分かっていた。  

あの時の私は、私ができる最大限の努力をした。だから、後悔はない。けど、思う。

 

本当はああしてあげれば良かったんじゃないか。あの時、哀しかったんじゃないか

 

 

睡眠不足からは解放され、余裕がある今、沸き上がるのは、れーちゃんに対する感謝だ。

 

寂しくて、理解できないモヤモヤも沢山あっただろうに、よく、これを生き抜いてくれた。

親子であると同時に、れーちゃんは戦友でもある。

 

 

イヤイヤ児の心中を推し量れるって、細部に気をかけてるということ。

 

 

余裕があるからのこそ、細部にまで目が行く。

余裕があるから、記憶が残る。

余裕があるから、感謝の気持ちを感じれる。

 

 

がむしゃらに生きてると、生きることに一生懸命になり過ぎて、何かを置き去りにしてしまう。脳内シナプスもキャパオーバーして、記憶が飛ぶ。

 

 

色んな生き方がある。選択の余地がないこともある。

 

選べるなら、余裕がある生き方をしたい。

 

私は、がむしゃらに生きて大きな物を手に入れるよりも、小さな気づきを沢山重ねたいなぁー。

 

お金と同じく、経験も、塵も積もれば山となる。私は、そういう山を築きたい。

 

私の小さな気づきは、意識的に溜める必要がある。そんな中、少しサボると、床にはホコリや髪の毛が溜まる。

 

お金だけじゃなく、汚れも塵積も。

 

  

 

 

 

 

 

「自分ってかわいい♥」教育の果て

子育ての方針ってありますか?

 

そう聞かれた時、私の答えは 

 

「『自分はかわいい♥』って思って育って欲しい」

 

です。他にも色々あるけど、とりあえずコレ。

 

その理由と、この刷り込み教育はどんな結果をもたらしているのか、をご紹介します。

嬉しいことに、娘たちは、もうすっかり、「自分ってかわいい」と思ってくれています(^^)。

 

なんでか。

 

私ってかわいい♥という自己認識は、人生幸福度を高める。客観的な美よりも、自己認識が、幸福度に大きな影響を与えると思ってる。

赤ちゃんや幼児にとって、可愛さというのは生き残り戦略でもある

 

自分=かわいい、と思うことなく、強がって生きて来た若き日の自分を反面教師に、我が娘たちには「貴女はかわいいのよ〜♪」と刷り込んでる。

 

先日、この刷り込み教育が成功していると、確信できた。

 

雨のトーマスランドでは、茶をしばくだけに終わったお盆の旅行中のこと。時期ゆえに、渋滞もあった。 

 

泣き声を聞きながら渋滞を運転なんてこの上なく、望ましくない環境なので、少しでも愚図りを抑えるために、おもちゃ、歌、あれこれと試行錯誤して子供をあやす。

 

歌のネタにも切れ、歌詞もわからなくなったときに我が家で思いついた適当な歌がある。その名もれーちゃんソング。

 

れーちゃんはいい子だな〜♪

れーちゃんはいい子だな〜♪

 

と、音に乗せてひたすら何度もいい続けるだけ。思考停止しても歌える単純な音程と歌詞。

 

渋滞時、長女れーちゃんは、ありがたいことにお利口さんに絵本を読んでいたので、目下の問題は次女ワカメちゃん。

 

愚図りが止まらない次女ワカメちゃんに対しても、同じ歌を。

 

ワカメちゃんはいい子だな〜♪

ワーカメちゃんはいい子だな〜♪

 

多少の効果はあり、泣き叫ぶのはやめた。

 

そして、ワカメちゃんも歌いだした。

 

ワーカメちゃんはかわぃいーぃー♪

 

替え歌ですよ。2歳になりたての子が。

 

「いい子だね」と言われるよりも、「かわいいね」と言われたいらしい。

 

自分で自分を可愛い!と公言し、「おい、お前、私を可愛いと言いなさいよ」と言いかねないまでの圧。

 

もしかしたら、「貴女はかわいい刷り込み教育」をやり過ぎたかも^^;

 

この刷り込み教育を続けると、一体どんな大人になるのか、ある意味末恐ろしい。

 

 

親の使命として、次に伝えるべきは、「可愛く居続けるには努力が必要、特に20歳以降は」ということかしら。

 

対れーちゃんの「私はかわいい♥」刷り込み教育とは、結構違う方向に出てる。同じ親の子なのに、こんなに違って、姉妹育児って面白い。

「幸せ」「可哀そう」って誰が決めるのか

私、打たれ弱いママの徒然日記を書いています。かれこれ 2 年ほど。

 

見たくもないような、自分と向き合わないといけない。育児ではそんな場面が沢山ある。

 

イライラしたり、心の葛藤があったり、結構醜くなったり、次の瞬間には笑ってたりも。

 

色々考えて思った。「幸せは、いつも自分の心が決める」と言った、相田みつをの言葉は真実だったと。

 

以前も書いたとおり、私は敢えて、この醜い部分も書いています。生活や心の内の全てを書いてるわけではない。

 

発言や、自分が見聞きしたものの一部だけを切り取って、「こんなヒステリーママで子供が可哀そう」みたいなことを言われことが、たまーーーにある。

 

そりゃあ、私自身も、時々思う。「私がお母さんだなんて、れーちゃんもワカメちゃんも大変なこともあるだろうな」って。

だけどね、自分の子が「可哀そう」だなんて思わないし、そんな風に接してはいない

 

「幸せそう」も「可哀そう」も他人が決めることじゃない。

 

どんな親の元に生まれたって、何かしら大変なことはある。誰だって「可哀そう」だし、誰だって「幸せ」だ。

 

精神的・物理的に何不自由無く育つ事が、必ずしも良いこととは限らない。不自由さとどう過ごすか、が兄弟の絆を強くすることもあるし、逆境を乗り越える力を呼び覚ますかもしれない。

 

「完璧な親」の元で育ったとしても、それにもデメリットはある。「私はお母さんみたいにはできない」「僕はお父さんみたいにはなれない」と悩むこともある。自分ではない誰かになろうとすることは、とても苦しい

 

子供にも個性があるように、親にも個性があって、得手不得手がある。 

 

その家庭に生まれて、楽勝なこともあれば、大変なこともある。

 

同じ環境にて、幸せを感じる人と、不満を持つ人がいる。

 

 

幸せってなんだろう?

 

幸せそう、とか、可哀そう、って他人が決めるものじゃない。

 

自分の心が決めること。

 

親の努力で、子供の人生から哀しみを完全に取り除くことはできない。

 

笑顔も涙も怒りも哀しみも、全てある。それが幸せということ。

 

そんな、いつか、本で見た言葉をふと思い出した。

 

泣く、怒る。どっちもネガティブに取りがち。「これを感じれるって、私は幸せなんだな」って思う…ように努力してみようと思った。 

 

できる範囲で。

 

 

ま、怒り心頭の真っ最中はちょっと難しいかも(笑) 

 

できる範囲で、できる範囲で。

 

それをやり続けたら、幸せが増えそうな気がする。

 

 

家事に、終わりなんてないさ♪

お手伝いする。それは、子供にとって自分の役割を考える始まりかもしれない。

 

家事に終わりなんかない。

 

全自動かに見えていた家事が、自動ではないこと。それに終わりがないこと。

 

我が家の長女れーちゃんは、それを理解し始めたようです。

 

小さい子供は、何ならどこまで安全にお手伝いできるのか。子供の失敗に「あーー!!コノヤロー!!」とか「危ない!」と、できるだけ言わずに済むことから頼んでいる。

 

 

たとえば、乾いた洗濯物をたたんで、所定の引出にしまう作業。

 

家族4人分の洗濯物を、私一人だけで管理するのは結構大変なので、主人や子供たちにも協力してもらってる。

 

「これはれーちゃんのパジャマね、○○に置いてきて」

「次はれーちゃんの下着ね」

 

ほぼ毎日やり取りするこの会話。ボソっと、れーちゃんが反論した。

 

「えー…れーちゃん、いつもそれやってる…」

 

私:「え!?そうよ!終わりなんかないのよ!いつもやるのよ。ママはいつもずっとやってる。れーちゃんが毎日お洋服を着る限り、洗濯物をたたんでしまう作業はなくならないのよ」

 

良くも悪くも、私は子供を子供扱いしない。結構厳しいかもしれない。

 

洗濯された綺麗なお洋服は、自動的に用意されるわけではない。この作業は半永久的に存在し、自分がそれに貢献しなければならない。

 

家事に終わりなんかない。○○したら、後は一生しなくて良い家事なんてない。

 

若干 4 歳にして、れーちゃんはこの真実を知ったのか。

 

2 歳になったワカメちゃんは反抗的になり、最近はお手伝いせずに、私達がせっせと片付ける中、無限ティッシュちぎりをしてたり、人がたたんだ洗濯物を次から次へとぐちゃぐちゃにしたり。

 

他の家族メンバーがせっせと働く中、一人だけいたずら放題なワカメちゃんに、大人気なくもムカついたり、上手く行かないこともある。

 

一生懸命になりすぎてイライラしちゃう事が多い私だが、今日はとっても楽しく洗濯物ができた。

 

これもそれも、エプロンのおかげ。

こどもちゃれんじの「お手伝いユニフォーム」という名のエプロンを着けたら、れーちゃんは自発的にお手伝いをしてくれた。

 

れーちゃんは、サイズアウトした小さなエプロンを、ワカメちゃんに着せてくれた。イヤイヤ期で反抗的だったワカメちゃんも、今日はキャッキャと楽しく、お洋服を自分の引き出しにしまってくれた。

 

子供部屋の引き出しに、二人で手を繋いで歩いて行く姿は、とても微笑ましかった。毎日がこんなんだったらいいのに。

 

お手伝い促進剤としても、吐瀉物キャッチャーとしても、やはりエプロンは最強なのか。※洗濯物が減るとは言え、子供に裸エプロンは結局やる気になってませんw

 

ママや先生みたいに、エプロンを着れるのが嬉しいのか、エプロン効果は絶大だった。

 

明日は同じ手は使えないかもしれないけど、たった一日だけでも、れーちゃんとワカメちゃんのあんな光景を見れた。

 

エプロンさん、ありがとう。