打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

時間の流れは一直線なのか、輪なのか。つまらなかった世界史の授業を面白くできた。

時間は一直線に流れてる?

それとも輪のように巡るものか?

 

あなたはどう思いますか?

 

こういった哲学的な問い。私は、個人的な信条について勝手に考えるのは好きだけど、学問的に哲学を学んだことは一度もない。

 

真理って何?

存在って何?

国家って何?

悟りって何?

 

学校の教科書にいる哲学者たちを知ってる程度で、哲学者たちが何を研究し、何を言わんとしていたのかは全く知る由もないことだった。

 

そんな哲学初心者でも面白可笑しく読める本と出会った。そのおかげで、高校生時代に理解できずにバカにしていた「紀伝体」の真意と価値が、少しだけ見えた。

 
史上最強の哲学入門

目次

1.時間とはどう流れるのか?

2.編年体 VS 紀伝体(時系列 VS 物語形式)

3.紀伝体って何なの?!理解できなかった私

4. 紀伝体って何なの?!の答え(西洋と東洋で異なる時間への観念)

5. 紀伝体編年体も、西洋も東洋も、優劣はない。

 

1.時間とはどう流れるのか?

その答えは、西洋と東洋で大きく異なる。この本を読んで、そしてその理由も非常によくわかった。高校の世界史の授業もこうやって教えてくれてれば面白かったのに…と。

 

2. 編年体 VS 紀伝体(時系列 VS 物語形式)

歴史の授業で、「紀伝体」「編年体」って聞いたことありませんか?歴史書の書き方の種類。

 

  • 編年体:時系列に「○年○月○日、誰それが△△をした」と記録するスタイル。5w1h。西洋で重用された。
  • 紀伝体:歴史的現象を物語形式で記録する(この場合、主語にあたる「誰」は重要だが、年月日はさほど重要ではない)。東洋で重用された。

 

3.紀伝体って何なの?!理解できなかった私。

私がこれまで習った歴史の授業とは、いずれも編年体形式で古代から順番に現代に近づいていくスタイルだった。

 

だから、紀伝体とは一体なんなのか、なぜそんな(私にしてみれば)わかりにくい方法で歴史を記録したのか、理解できなかった。

 

たとえば、「ガリア戦記」。高校時代から私がファンであるユリウス・カエサルの名著は、編年体で書かれて、紀元前のガリア(フランス、ベルギー辺り)について記述されてる大事な歴史資料である。

 

学校で、そう習う。カエサルが好きだったことも手伝って、「紀伝体って何なの。なんでみんな編年体じゃないの」という、排他的な発想にまでなっていた。自分が理解できないものを否定しようとするおバカな高校生だった。期末試験のために暗記する内容も減らしたかったし。

 

そんな心の抵抗をしようとも、紀伝体で書かれた名著は存在する。歴史書として、期末試験のためにも教養のためにも、紀伝体の本をガン無視するわけにも行かなかった。紀伝体をなんとか理解しようと、色々と調べたものの納得する答えは得られなかった。

結果、私が最も忌み嫌う「理解できなくても、試験のためにとりあえず丸暗記」するハメになった。

 

16歳の私は、こんな疑問を持っていたのに、三十路を過ぎた今、スッカリ忘れていた。

 

4. 紀伝体って何なの?!の答え(西洋と東洋で異なる時間への観念)

 

この哲学入門の本で、自分の過去の疑問を思い出し、その答えまで見つけた。

 

西洋と東洋では、時間に対する価値観が全く違う。そのため、歴史書の書き方も全く異なる。

 

これが答えだ。

 

西洋の時間観:一直線に伸びており、昔よりも今、今よりも未来の方が必ず発展して優れた時間になって行く。だからこそ、過去の行動を時系列で記録しておくことが大事と考えていた。より良い未来のために!

 

(この西洋的捉え方は、今までの教育のおかげですんなり飲みこめた。問題は東洋的捉え方。)

 

東洋の時間観:時間とは、輪のように永遠に巡るもの。時間に終わりがないとすれば、何万年前も前から同じことが繰り返されてきたハズ。3000年前に女にうつつを抜かして身を滅ぼした男Aがいたならば、1000年前にも同じような男Bがいただろうし、4000年後にもそういう男Cはいる。だから、AさんBさんCさんの個別の事象を時系列に並べたところで全く意味がない。

だから、東洋では、歴史上の出来事をすべて神話のような架空の物語として語り継いでいくという独特の文化が生まれた。時系列5w1hを並べるのではなく、歴史の流れで象徴的なものや大事なところだけを記録するというスタイルになった。

 

 

もし、仮に、ここまで世界史の授業で習っていたならば、紀伝体の文書に対する偏見も持たなかったし、「編年体の歴史書は、情報が沢山あるだろうけど、つまらん教科書と同じなのかも。紀伝体の歴史書って、面白そう!」とまで思えたかもしれない。

 

今なら、「じゃあ中国史の『史記』って読んでみようかな」とすら思える。(どうせ途中で挫折するのが目に見えてるので、やらないけど。その昔、著名な歴史書を読もうとして挫折した事が何度もあるし…)

 

 

少年漫画が大好きなまま、体だけ大人になったみたいな著者の、身も蓋もないけど明快な説明のおかげで色々と面白かった。

 

普通に過ごしていたら、この本はきっと手に取らなかった。サブカルとか、2ちゃんねる的なノリで書かれてる部分も少なくない(笑)。

主人が見ていたYouTube動画で紹介されていたというご縁で、巡り合ったこの本。

 

5. 紀伝体編年体も、西洋も東洋も、優劣はない。

西洋的に言えば、科学の発展は過去から未来へ、一直線に流れる時間にある。

けれども、立国→繁栄→衰退→滅びると、歴史は繰り返すことを考えれば東洋的捉え方も正しい。事に、人間ってのは戦争を繰り返してばかりだ。

 

要するに、西洋的も東洋的もどっちも正しいしどっちも間違ってる。

 

こんな風に考えられれば、紀伝体を理解できずにバカにすることもなかった。前にも書いた通り、どんな文化にも優劣はないのだ

 

あらゆる偏見と見下しは、対象物の真の姿を知らないから起きるのだなぁ、と実感。

 

誰にでも、私の中にも偏見はある。それに気づいた時、「自分は何を学ぶべきか」が見えてくる気がする。

 

 

 

「ママってば、またよくわかんないこと言ってる」

 

 

将来、娘たちに言われるのかしら。こんな話をしたら。

 

今は3歳と5歳の娘たち。いつか、いつか、いつかでいいから、こういう話をしてみたい。

 

 

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さんざんお世話になってる紙おむつが憎くなる時

久々にやってしまった。

 

紙おむつを洗濯してしまった。

 

のォーーーーーーー。またか!!

 

今回は、怒りを向ける場所がない。

 

最近、娘が、朝に脱いだパジャマを洗濯かごに入れてくれる。そういう日が増えてきた。

 

身の回りのことを、少しずつ少しずつ覚えて行ってくれて、非常にありがたい。

 

が、それが今日は凶と出た。根本的原因は自分にあるのに、それを直視したくない夜。

 

 

いつもは、パジャマのみを洗濯かごに入れる。

 

それが、今朝は紙おむつも一緒に入れてしまったらしい。

 

 

今夜、私は、かごの中身をドバーっと洗濯機に入れて回した。よもや、紙おむつが入っていようとは思わなんだ。

 

 

くぅーーー最近めっちゃ気をつけてたのに…。子供の善意により、そして私の確認ミスにより、紙おむつを洗う羽目になった。

 

洗濯機の中で、散り散りになった吸水ポリマーたち。あらゆる服やタオルに、散りばめられた吸水ポリマーたち。

そして限界値まで水を含んだおむつが出てきた。

 

紙おむつに私は、どれだけ救われてるか計り知れない。紙おむつに罪はない。

 

ベランダで、パサパサと、服に付着した吸水ポリマーをはたく夜。そんな時だけは、紙おむつが憎い。

 

しかも、今日は週一回のお掃除代行が来てくれたばかり。めちゃくちゃキレイになった床に、ポロポロと無数の吸水ポリマーが降り積もる。それはまるで雪のように。(この暑い中、本当に雪だったらどんだけ良かったか。これまた悪いことに、吸水ポリマーが乾燥してくれないと掃除機で吸いにくい)

 

紙おむつが我が家から完全撤退した時は、吸水ポリマー地獄に見舞われたことを懐かしく思うのだろうか。

新生児サイズのおむつとお別れした時ほど、センチメンタルになれない気がする。

 

洗濯する中身は、面倒でもちゃんと確認しよう……

 

憎いのは紙おむつでもなく、娘がおむつを洗濯かごに入れてちゃったことでもなく、確認を怠った自分か…。

 

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会社員ママ時代の私の辛さを救ってくれた先輩の一言

先日、前職の先輩と久々に話した。時節柄、今回はビデオ電話で。

 

二度目の出産から復職したての頃、私としては最善を尽くしていたが、フルに働けないことで周りに迷惑もかけていたことだろう。

 

ありがたく、申し訳なく、もどかしく、辛い思いもあった。

 

昔からずっと、優しい先輩。オンライン会話での先輩の一言で、あの時の自分が、なんだか救われた気がした。

 

-------------回想ここから-----------------------

 

私は昨年(2019年)まで、IT企業の会社員だった。8 年半在籍した間に、2 回出産している。

 

かっこ悪く、申し訳なく、弱っちいことに、私は一度目の育休復帰を、失敗したと言える。復職して数ヶ月で、会社に行けなくなってしまったのだ。

 

数ヶ月の間に諸々あったものの、当時の上司の一言が引き金だった。

 

時差のある「グローバル」な仕事をしていたため、早朝や夜のミーティングも避けられない。子供(れーちゃん当時は1歳)も、まだ夜泣きもあり、私も安定的に不眠症だった。

 

「グローバル」なチームに入った当初は、独身で子供もいない。アメリカに合わせた朝早いミーティングも、ヨーロッパに合わせた夜遅いミーティングも大した問題ではなかった。けど、いざ人の親になると、大問題!!!

 

更に悪いことに、日本の担当者は私のみだったので、私が会議を欠席する選択肢もなかった。

 

体調は悪くなる一方、精神的にも病んで、会社に行く事が恐ろしくなっていった。そして、休職した。

 

休職中、少しずつ回復はしていったものの、腫れ物みたいになってしまった私を救ってくれたのは、最後に在籍したチームだった。復職するタイミングで異動したのだった。

 

この新チームに異動しようと決めた理由は諸々あった。

・日本時間で働ける(「グローバル」時間帯の会議は原則的にない。保育園の時間中に働ける)

・複数人で同じ仕事を分かち合うので、全会議に私の出席が不可欠ではなかった

・そもそも複数人の知り合いがいる部署でやりやすい

・これまでの私の経験が活きそう

 

このチームは、世にも恵まれたチームだった。ワーキングマザーに優しく理解のある上司と同僚、楽しい同僚、優秀で良い人ばかり。

 

理解ある上司と同僚のおかげで、特例的に私は、給料と共に業務量を減らしてもらい、週2日在宅勤務をしていた。二人の幼児を抱える私としては、在宅勤務は非常にありがたかった。けれど、胸の奥の罪悪感は消えなかった。

 

「本当は私も○○の会議に、会議室から参加すべきなのに…」

「本当は私も出社してるべきなのに…」

 

全うな許可を貰っているにも関わらず、私の中では罪悪感が消えなかった。

 

次女ワカメちゃん→長女れーちゃんの順番に胃腸炎になった時、出社できない日が続いて。夜明けに吐き気を抑えられなかった娘に起こされ、「今日も出社は無理か…在宅にさせてもらおう」と、朝5時にメールしていたこともあった。

 

朝5時なんて。今はグースカ寝てる時間。夜中の会議がなくなったとはいえ、やはり体にはそれなりに負担だった。本当は、私はもっと眠っていたかった。

 

子供たちの体調、自分の体調という不確定要素を抱えていても、「安定したパフォーマンスを出さなきゃ!」というプレッシャーと戦ってた。

 

絵にすると、こんな感じ↓


f:id:kaorikawa:20200826213157j:image

 

私には、そこを耐えきる根性も忍耐力もなかった。

 

-------------回想ここまで-----------------------

 

私が退職したのは、前向きな理由だった。体力的に辛いのも大いにあったが、他にやりたい事があったからだ。誰のことを恨むこともなく、会社を、同僚を嫌いになることなく、笑ってさよならを言えた。むしろ今もあの会社にも同僚にも、私は愛を持っている。

 

そうやって笑って、さよならを言えたけれど、私の罪悪感や申し訳なさは伝わっていたらしい。

 

私の前職の会社は、随分前から全員在宅勤務になった。全く支障なしに動いている、とあちこちから耳にする。

 

先日ビデオ電話した先輩も、ワーママ同僚も口を揃えて言っている。「在宅勤務は体が楽だ」と。家事も捗るし、子供と過ごす時間も増えたと。

 

「あの時、かおりちゃんは週2日在宅勤務してて、それを申し訳なさそうにしていたよね。

 

あれがどれほど大変だったことか。業務としては、フルリモートで済んだことだったのに。

 

もっと早く、フルリモートを受け入れる社会になるべきだったよね。」

 

先輩がそういってくれた。

 

「あの時フルリモートが許容されていれば、かおりちゃんともっと一緒に働けたかもしれないのに」。

 

そんな先輩の思いが伝わって来て、泣きそうだった。この先輩は私に様々な仕事を教えてくれ、サポートしてくれた。

 

こうやって働きたい。そういう理想はあるものの、時間的に、体力的にそれができない。それがもどかしく、申し訳なく、自分ではどうしようもなく辛い時期があったのは事実。

 

久々の先輩との会話で、あの時の私すら救われた気がしていた。

 

物理的にも精神的にも、今やすっかり元気になってきた私。依然として、体力も忍耐力もないし、短気である。もはや、これを罪に思うのは辞めて、個性として受け入れるしかない、と思う。

 

休職した自分。上司も同僚も私に対して思うことはあっただろう。心底心配してくれた同僚もいた。

 

誰よりも強く、私を責めて、腫れ物みたいに思っていたのは、私自身だったのかもしれない。

 

他のワーキングマザーみたいに、

 

仕事できていない自分

育児できていない自分

精神力がない自分

体力がない自分

 

そんな自分を、随分と長いこと恨んでいた。

 

自分を責めるのではなく、自分ではない誰かになろうとするのではなく、自分を腫れ物扱いもしない。

 

自分は自分の味方でいなくちゃ。

 

先輩の優しい言葉から、そんな事を思えた。誰かに優しくしてもらうと、自分にも優しくなれるみたい。

 

そうなったら、人にも優しくできるんだろうな。イライラしながら自己犠牲してる場合じゃない。まずは自分を満たそう。

 

 

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行きずりのおばさんのイライラの正体

行きずりの人との会話。したことありますか?

 

半沢直樹を見てたら、その昔旅先で出会ったおばさんを思い出した。イライラしてるおばさん。

 

私にも彼女にも罪はない。それがまた、彼女を余計に苛立たせたようだ。

 

行きずりの人との会話で、ムスッとされたことで、「うちの子は○○なんです」と、子供の職業の話をされた時のご法度、思いついた対応策を書きました。

 

今日の目次

  1. 行きずりの人との会話でムスッとされた話その1
  2. 行きずりの人との会話でムスッとされた話その2
  3. この2つの共通点
  4. 今後の対策
  5. 私自身が親として気をつけたいこと

 

1.行きずりの人との会話でムスッとされた話その1

半沢直樹を見てたら、うるさいおばさんを思い出した理由を説明します。それは彼女の息子が銀行員だったから。

 

その昔、夫婦で石川県のとある街に訪れた。次の電車の時間までの暇つぶしと雨宿りを兼ねて、駅近の茶屋に入った。和菓子と抹茶が出てくる、外人の喜びそうな古風な茶屋。

 

その店のおばちゃんが、これまた行儀にうるさい人だった。嫁入り前には茶道や華道など一通り修行した婦人であった。

 

やれ、茶碗の持ち方が違う、菓子とお茶を食す順番が違う、○○が違う。

 

あれやこれや私への注意が物凄かった。私はお作法を習いに来たのではなく、雨宿りしに来たんだが…。客として入ったのにやたらと怒られた。

 

店を出た後、夫婦で女店主について諸々話していら、主人なりの見解を説明してきた。

 

 

・あの人は元々口うるさい人なんだろうけど、特に、明らかに私への当たりが強かった。(主人にはもうちょい甘かった)

 

・とある地点かは、彼女の攻撃が激化した。

 

へ?とある地点?

 

「うちの息子は○○※銀行なんです」 と言った時だそうだ。※大手の都市銀行

 

息子さんが銀行員だろうが、会社員だろうが、私にとっちゃどうでも良い事だった。茶屋で休憩したかっただけだ。

 

主人に説明されるまで、私は気づいていなかった。あのおばさんは、渾身の自慢をしていたことを!!!

 

その自慢に気づかず、「昨日の夕飯はカレーでしたの」と言われたと同じ位のノリで答えていた。

 

 

おばさん:うちの息子は○○※銀行なんです(えっへん!!すごいでしょ)

 

私:へー、そうなんですね(全く聞いてない。そういえば、友達の△△ちゃんも同じ銀行だったかな)

 

おばさん:東京に勤めてるんですよ!(なんで驚かないの?!)

 

私:へー、そうなんですねぇー。(おばさんの意図に全く気づいていない)

 

元来口うるさい系のおばさんだったが、これを機に拍車がかかった。

 

渾身の自慢を無視してきた小娘が気に入らなかったのか、重箱の隅をつつくようにあれこれ「ご指導」くださいました。はぁ、余計なお世話だったー。

 

息子自慢に無反応なのは、主人も同じなのに、明らかに私への風当たりのが強い。女の敵は女なのか。

 

2.行きずりの人との会話でムスッとされた話その2

 

もう何年も前、新婚旅行でヴェネツィアを訪れていた。塩野七生の「海の都の物語」を読んでから、ずっとずっと行きたかった場所。

 

当時の同僚で、ヴェネツィア大学卒のイタリア人が居て、裏路地の美味しいお店を教えて貰っていた。ルンルンでそのレストランに向かう。

 

そのレストランで隣り合わせたのはアメリカ人夫婦。そのご婦人の怒りを私は買ってしまったらしい。

 

今振り返ると最初からちょっと失礼なご婦人だった。

 

 

婦人:なんでこの店を知ってるの?

(ガイドブックにも載っていない裏路地の名店に、なぜ貴方たちみたいな観光客がいるの?という心の声が見え透いていた)

 

私:ここに住んでいたことがある同僚に聞いたんです。

 

婦人:あ、そうなの。私の娘はフードライターでね。どこに行っても娘のおかけで美味しいお店に行けるのよ♪

 

私:へー、そうなんですね。(あまり聞いていない)

 

 

観光客がいるはずがないお店にて観光客に会ったことが不満なのか、私のこの薄い反応に不満なのか、なかなかプリプリ怒ったおばさんだった。

 

あの店はとっても美味しかった。それはもう、信じられないほど。また行きたいな。潰れてないといいな。あのプリプリおばさんが居なければ、もっと美味しく感じたのかしらん。

 

あのご主人はほとんど喋らなかったな。ちょっと挨拶したときは結構爽やかなおじさんという印象を受けたな。

 

3.この2つの共通点

どちらのケースも、私は主人と一緒に居た。こういう時、風当たりが厳しいのはなぜか女→女。そっけない反応をしているのは主人も同じなのに、私にだけ当たりが強い!!

 

いずれも、私は、リアクションが小さかった。彼女たちが望む反応をしなかった。

「私のかわいい○○ちゃんの仕事は、凄い仕事なのに、驚きも賞賛もされなかった!ムキーッ」ということだろうか。

 

自分の子供の職業自慢をしたら賞賛されるだろうと期待して、そのとおりにならんと苛立つのはなんなのか。一人相撲??

 

 

4.今後の対策

これからは一律、どなたかが、ご自身のお子さんの職業について話した場合は、自慢話と受け取ろう。「すごーい!」と言ってあげることにしよう

 

これに気づいて以来、子供の仕事自慢される機会に恵まれていないので、これの効果の検証には至っていません。

 

5.私自身が親として気をつけたいこと

あれから5年以上経ち、私自身も二人の親になった。いつか、「うちの娘は○○なんですぅ」って自慢したくなるのかな。

 

子供を自慢したくなるのは仕方ない。親ってのは、そういうもの。私も言ってるもん。「れーちゃんは優しいんです!」とか「れーちゃんもワカメちゃんも世界で一番かわいい💞」とか。

 

けど、子供自慢をして、自分の期待通りに相手が驚いてくれないからと言って、ムスッっとしたり、八つ当たりしたりしないようにしよう。戒め戒め。

 

石川県の茶屋のおばさんに会った時も、ヴェネツィアのレストランで鉢合わせたおばさんも、あの時は私にとっちゃ他人事だった。

 

母になった私には、明日は我が身。

 

 

 楽しかったヴェネツィアの思い出が、濁らないように、私史上最高に美味で、最高金額だったコーヒーとホットチョコレート(ココア)の写真でも眺めてみる。

 

かの日、サンマルコ広場で飲んだこのココア。

 

ナポレオンがやってきた時、「自由」が勝ち、ヴェネツィア共和国が滅んだ。滅びの時さえも、市民たちは「共和国、万歳!」と叫びながら祖国への愛を忘れなかったそうだ。

 

そんな哀愁漂うサンマルコ広場で、また、いつか、ココアを飲めるのだろうか。

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真っ赤な夕空からのセーラームーンな三日月

セーラームーンでは、どのキャラがお気に入りでしたか?

 

熱中症から徐々に回復しつつある今、空を見て、月を見て、セーラームーンを思い出したのです。

 

熱中症に見舞われた先日は、経口補水液を飲んで寝てるだけ。

次の日は、家の中で、家事をゆっくりと時間をかけて行う。

その次の日は、家事+ママチャリで保育園まで子供たちのお迎えスタート。

 

こんなふうに、段階的に回復して、リハビリしてる。

 

昨日今日は、数日ぶりに保育園のお迎えに行った。日差しも弱まった夕方に。

 

保育園からの帰り道、娘たちを乗せた自転車から見えた夕空は、真っ赤で美しかった。

都会のビルとビルの間から、ほんの少しだけ見える赤い夕空。

 

保育園を出る頃には、真っ赤だったお空が、家に着く頃にはもう薄く紺色になり始めてて。

 

10分もしない間に、空色がこんなに変わって。

 

汗だくで帰宅した後、西の空を見るとキレイな三日月が見えた。セーラームーンに出てくる猫、ルナの額を思わせる三日月が。

 

明るい紺色と消えゆく空色の中に浮かぶ黄色い月。それが、ルナを思わせた。

 

 

ほんの数分ずつで、景色がガラリと変わる夕空。

ほんの数ヶ月で、景色がガラリと変わるのが子育て。

 

この2つが重なるのを感じた。

 

セーラームーン、懐かしいなぁ。幼稚園の頃の遊びは、なんといってもセーラームーンごっこが多かった。

 

私は弱くとも知的なセーラーマーキュリー(あみちゃん)が好きで、いつもあみちゃん役だった。あみちゃんは競争率が低かったので、ある意味ラッキーだった。

 

 

夫婦関係がガラリと変わっていくインターバルはどれくらいなのか。

明らかに「あの時、大きく変わった!!」という時期はあったが、毎年それを感じるわけではない。

 

さりげなく、自分が気づかない所でも、夫婦関係も変化してるのかなぁ。

 

毎日暑いんだけど、夜になると秋の虫の声が聞こえる。

 

 

熱中症を経て、なんだか、世界を少し視点から見るようになったみたいだ。これも一過性なのか、続くのか。柄にもなく、諸行無常を感じてる。平家物語か。

 

はて、私がちょこちょこ怒っているのも、諸行無常で、すぐに消えるのかしらん。

 

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熱中症になって垣間見た、やるせなさと娘の優しさ

昨日、私は熱中症に見舞われた。

 

頭痛、発熱、でも汗が出ない、脱水。いわゆる熱中症の症状でかなり辛かった。

 

いつも行う子どもたちの世話や家事を全くできず、ずっとアイスノンを体中に当てながら休んでた。

 

熱中症をきっかけに、感じたのは「このコロナの現状ってなんなんだろう」というやるせなさと、家族の優しさだった。

 

水分補給が苦しくて、38.5度を超えたのは20時ごろ。「病院行くべきかな」と思い始めた。

 

とは言え、このコロナのご時世、病院にひょこひょこ行けるものでもない。

 

電話で医療相談したら、結構ショックなことを言われた。

 

「そこまでお熱があると、現状では病院にご案内できない」 

 

今、熱中症で頭も痛くて、水分補給すら辛い。だから病院に行きたいと思ってるのに、コロナ対策のために、普通に病院へ行っても、私は病院には拒否されてしまうそうだ。

 

歩行も難しそうなので、救急車も提案されたが、救急車に乗れたとしても、受け入れ先の病院がなくて、たらい回しにされる可能性は高い。

 

頭痛、発熱、脱水の辛い状態で、救急車に乗せられたらい回しにされる位なら、自宅で大人しくしてることにした。

 

めちゃくちゃ体調が辛くて、医療機関を頼りたい夜でも、発熱してると病院に行けない。

 

誰のせいでもない。けど、非常に悔しくやるせなくなかった。この現状って何なんだろう…。私はなぜ体調不良になって、家族に(特に主人に)迷惑をかけているのだろう…。やるせなさと、悔しさと、罪悪感から、私は、また、家族の前で泣いてしまった。

 

私を心配してる主人は、子供たちの世話やら家事一通り終わらせた後、経口補水液を買ってきてくれた。

 

これが、激ウマ!!だった。

 

水は吐きそう、アクエリアスも少量しか飲めない。そんな中、経口補水液はグビグビと飲めた。

 

経口補水液が私の命を救ったといっても過言ではない。

 

健康な状態で飲むと、激マズの経口補水液が、本当に美味しかった。

 

 

頭はガンガンする、熱も高い、子供たちのお世話は何もできなかった。経口補水液で少しだけ復活したので、頑張って起き上がり、子供たちに「おやすみなさい」のご挨拶をした。

 

ママとご飯も食べれず、お風呂後の髪や体を乾かしても貰えず、何もしてもらえず、きっと寂しかっただろうなって。そんな寂しい中、ママである私は、辛そうに横たわってるだけだった。

 

長女れーちゃんも、次女ワカメちゃんも、時々私の様子を見に来ては、頭を撫でてくれたり、アイスノンを持ってきてくれたり。

 

ぶっちゃけ、昨日の私は「使えない」ママだった。なーんにもしてない。そんなママが「おやすみなさい」のご挨拶にやってきた時、れーちゃんの天使発言が。

 

「ママ、早く元気になるといいね。パパは世界一カッコいいし、ママは世界一かわいいんだよ。」

 

それを聞いて、私は泣きそうになった。これを思い出すだけでも、泣きそうになる。優しすぎる。

 

私みたいな、しょうもない母親の元に、なんでこんな天使みたいな子がやって来てくれたんだろう。

 

熱中症による辛さ、

コロナによって変わってしまった病院体制へのやるせなさ、

娘のれーちゃんの優しさ。

 

かなり振れ幅の大きい感情のアップダウンを、味わった夜だった。

 

れーちゃんとワカメちゃんの優しさに心が温まり、主人に助けられ。私ってば、迷惑かけまくりながら、家族に支えられてるんだな。

 

「病気になる」とは、「いつもとは違う状態」になること。「いつもと違う」を体験すると、違う視点が持てる。今まで存在していたのに、気づいていなかったものを認識できる。

 

山の麓での景色と、山の上での景色が違う様に、違う景色を見ることができる。

 

病気をすることで違った景色が見えたことが、私には何回もある。できれば病気はしたくない。病気っていうのは、「おーい、お前さん、○○という大事なものを忘れていないかね?」という天からの声なのかもしれない。

 

次なる「いつもと違う」体験は、病気以外の方法でやって来て欲しいなぁ…。

 

まだまだ暑い日が続きます。皆様、くれぐれも熱中症と水分不足にはお気をつけください。

 

マジで苦しいから!!

 

 

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初めてのピアノのお稽古(チューリップの花が咲いたよ)

咲いた〜咲いた〜チューリップの花が〜♪

 

みなさん、お子さんの習い事ってどうしてますか?

 

長女れーちゃん(5歳)がピアノを始めました。

 

様々な習い事を誘ってみても、これまでれーちゃんは首を縦に振らなかった。大した焦りも、本人がその気になるまで待つ忍耐力や根性がない私はすっかり諦めて、習い事のことを忘れていた。

 

そんなれーちゃんが、自ら「やりたい」と言い出した。その「やりたい」の一言から、最初の一曲を弾けるようになった所までのお話です。

 

 

とある日、れーちゃんはいつもどおり、お風呂後に髪を乾かしていた。自分で髪を乾かすのに疲れたのか、ママ(私)に、センチメンタルに、控えめに話し始めた。

 

「あのね…、お友達の○○ちゃんは、ピアノ上手なの。れーちゃんは…れーちゃんはピアノ上手じゃないから、お教室に行けないの?」

 

涙声になるれーちゃん。○○ちゃんは、去年あたりから、ピアノを習っているお友達だ。

 

あらゆるコミュニケーションが、婉曲表現なれーちゃんどストレート表現しかできない&理解できない私も、れーちゃんの言うことが、少しずつ、少しずつ、理解できるようになってきた。 

 

きっと、ピアノを習いたいんだな。そして、ピアノが上手でないとお教室に通えないと思ってるんだなって。

 

「最初から上手な人はいないよ。みんな、いっぱい練習して、上手になるんだよ。上手になるためにお教室に通うんだよ。れーちゃんも、ピアノのお教室行きたい?ピアノやりたい?」

 

「うん」と無言で大きく頷く、パジャマ姿のれーちゃんがいた。半乾きの髪の毛と、ピンクの小花が咲いた白いパジャマなれーちゃん。ママがお教室を探しておくね、と伝えると「うん」と、また頷いた。

 

これまで、バレエにバイオリン、複数の習い事教室に、体験・見学してみたものの、どれも「やりたい」と言い出すには至らなかった。レッスン室に入った瞬間に「ヤダ!帰る!」と言ったこともある。アレコレしつこく誘ったところで、れーちゃんの答えは否であった。

 

「子供が嫌がろうが、親が我慢して何回か連れていけば、いずれは慣れる」という例はあちこちで見るが、私にはね、そんな根性も気力もない。

 

「本人がやりたくもないのに、子供をその気にさせるために、私はそこまで頑張れない」が本音。保育園の時間内に体操やらリトミックもしてるし、焦って習い事をさせなきゃ、とも思ってなかった。

 

習い事に関して、親も諦め、れーちゃんも習い事に関して沈黙して半年以上。そのれーちゃんが、自ら「ピアノをやりたい」と言い出した。婉曲表現ではあったけど、そう言ってくれた。

 

先月、初めてのピアノお稽古に向かった。行き先は、私の叔母の家。私の幼き頃、ピアノを教えてくれたのはピアノの先生である叔母だった。

 

近所ではないから、移動に疲れたり、恥ずかしさもあったらしい。途中、「もう帰りたい」泣いたり、叔母の家でトイレの場所がわからず、間に合わずに漏れてしまったり、初稽古の日はハプニングも多かった。

 

せっかく「やりたい」と言い出したのがピアノ。ここぞ、親が努力すべき所だ!と思い、れーちゃんを心いっぱいサポートして、ピアノを続けるよう応援している。そのサポートとは「主に、ママが教える」だ。

 

コロナ禍&叔母の家は近所ではない。毎週通うには少ししんどい。ゆえ、主に私がれーちゃんにピアノを教えて、時々はプロの先生にチェックしてもらうスタイルを取ることにした。

 

私のピアノなんて、頑張って練習したらソナチネ弾けるか否かみたいなレベル。上手い小学生なら私よりずっとずっと上手。そんなプロでもない私が教えて良いものか、悩んだ。

 

けど、確実に、れーちゃんよりは上手であって、れーちゃんに教えれることはある。プロじゃなきゃ教えれないなんて、誰も言ってない。

 

1回、2分だけでもいいから練習する。

毎日でなくてもいい。

 

ものすごくハードルを下げて、れーちゃんと一緒に練習してたら、なんと、始めて2週間で、れーちゃんが「チューリップ」のメロディーを弾けるようになった。ちゃんと、五本の指を使っての演奏。

 

もう、感動した。

 

れーちゃんが「チューリップ」を弾けるようになったことはもちろん。

 

れーちゃんが頑張ってくれたこと。

私がここまで、れーちゃんと頑張れたこと。

 

それが嬉しかった。

 

 

咲いた〜咲いた〜♪

チューリップの花が〜♪

 

私にしては珍しく、私の頭にもチューリップが咲いてるかもしれない。

※私の脳内は、お花畑だったことはほとんどなく、正直花も生えない高山地帯に近い。私の体は高山(低酸素)に弱いくせに、脳内だけは高山。以前ブータンに旅したときに高山病にった話は、後日書こうかな。

 

ピアノの練習は、一日数分程度、しかも毎日じゃない。でも2週間でできるようになった。れーちゃんは天才か!!

 

次の練習曲は「なべなべそこぬけ」。底が抜けるのは、鍋ではなく、私の親バカっぷりだ。

 

 

なーべーなーべー、そーこぬけ

そーこが抜けたら帰りましょ

 

 

親バカの底が抜けても、私は帰らんぞ。

 

変態は世界を救うし、親バカは世界を救うと思う。

 

あ、バカ親はダメですよ。親バカとバカ親は似て非なるもの。あー、気をつけよう。

 

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浴衣を着たら気づいた、「本当の家宝とは何か?」

先日、久しぶりに浴衣を着ました。娘たちの保育園の夏祭りに。

 

コロナで今年の夏祭りはキャンセルかと覚悟してたが、先生たちはかなりの感染対策をして、開催してくれた。年長さんである長女れーちゃんにとっては、最後の夏祭りだったので、とても嬉しい。

 

娘たちと一緒に和服を着たことで、気づいた事があった。

 

「宝って、なんだろう?」という話です。

 

長女れーちゃんは、水色の地に朝顔の甚平、そこに濃いピンクの帯(三尺)。

次女ワカメちゃんは紺に鞠のような花の甚平。

私は薄紫の地に濃い紫の花柄、そこにクチナシ色の帯。

 

和服って、世代間を繋げてくれるものだな、としみじみ思った。

 

れーちゃんの帯(三尺)は、私が幼い頃に使っていたもの。姉も使っていたのなら、軽く30年選手。それを我が娘が着ているのを見るのは、嬉しい。

 

私の帯は、母方の祖母のもの。黄八丈という帯で、八丈島に伝わる帯。八丈島は、私の祖父の出身地。私の誕生よりずっと前に死んでしまった祖父の名残が、20年程前に他界した祖母が使っていた帯が、ここにある。

薄紫にクチナシ色を合わせるって、正直色合いとしては微妙だと思ってたが(一応、カラーコーディネートするのが仕事でもあるので)、どうしてもこの帯を使いたかった訳がコレ。

 

れーちゃんが、私の三尺を使ってくれるのを嬉しく感じるのと同じように、祖母も祖父も、私が黄八丈の帯を使ってるの知ったら嬉しいのだろうか。 

 

十年、二十年、または半世紀。着物とは、世代を越えて、流行り廃りなく受け継ぐことができる家宝かな。

 

ふと、そんな事を考えてた。そしたら、頭の中で声が聞こえた。

 

「着物でもない、帯でもない。自分の存在こそ、家宝。人がそこに存在している。それこそが家宝。」

 

 

帯じゃない。着物じゃない。

私自身が家宝。

 

れーちゃんも、ワカメちゃんも、存在自体が家宝。

 

誰しも、その存在そのものが宝なのか。と気がついた。

 

チマチマしたことに、イライラもしちゃう。腹立たしいことも、そりゃあ、ある。

 

そういう何かあったときには、「誰しも存在が宝」って思い出せたら、気持ちも落ち着けるのかしらん。

 

母方の祖母、父方の祖母、それぞれの着物道具を触り、身につけてみる。そうしたら、今まで見えなかったことが、なんだか見えてきた。

 

着付けは一朝一夕では覚えられない。けど、必ず覚えたい。身につけることで、もっともっと、色んな気づきを得られるのかもしれない。

 

今はまず、帯の結び方の練習かな。

 

10代の頃、リボン風に帯を締めるのを、母に習った。30代の今、ちょっとリボンよりも大人らしい締め方を、できるようにならねば。

 

 

あれから、15年以上経っているかと思うと、時の流れが早すぎて恐ろしい。

 

 

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理想的な日≠生産的な日、と気づいたら楽になった。

あなたにとって、「理想的な1日」ってどんな1日ですか?

 

ここ1週間くらい、私は「理想」からは程遠い日々を送っている。とももかくも、やる気が起きない。

 

私は、今、お気日記やモーニングページを書いたり、「今日はどんな日にしたいか」を記すプロダクティビティノートに予定を書き込んだりしている。ページがなくなるのが惜しいくらい、大好きなノートたちに。

 

 

今日はどんな1日にしたい?

 

私の答えは、いつも同じだった。「生産的に過ごしたい」。ノートには今日こなしたい予定を、沢山書き込んでみる。

 

けれど、今朝は、自分で書き込んだ予定に違和感を覚えた。私の脳みそが、どれほど「生産的に過ごしたい」と主張しても、私の体は首を縦に振らなかった。

 

満月だからか、PMSなのか、ここ数日間、私はイライラしがちだった。(人間もやはり動物か。)しかも、昨夜は眠りが浅く睡眠不足で、私の体の状態は、「理想」からは程遠かった。

 

一体、どこの誰が「理想的な日=生産的な日」と決めたのだろう。

 

私の脳が考える「生産的で理想的な1日」を過ごし、それを続けていくとどうなるか。

 

きっと、すごくつまらない人生になる。

 

そんな事に、今、気がついた。

 

理想的な生活や理想的な人生というのは、「『理想的』な1日」ばかりを積み重ねて出来上がるものではない。

 

長女れーちゃんも次女ワカメちゃんも、赤ちゃん時代がある。昼も夜も、まともに眠ることすらできず、産後の体で朦朧としながら、寝かしつけした日々。決して「生産的」とは言えなかった。

 

じゃあ、あの日々がなければ私はもっと理想的な人生だったのか?いいや、違う。あの時は辛かったけど、非生産的だったけど、決して理想的な時間の過ごし方じゃなかったけど、私にとって必要な時間だった。娘たちの成長には、私の成長には、夫婦関係が大きく変わるためには、必要な時間だった。

 

非生産的なのは理想的ではないって、なんで思い込んでたんだろう?

 

「理想的な1日=生産的な1日」という私の思い込みは、教育や社会による洗脳の結果。何は生産的で、何は非生産的なのか。誰がその判断をするのか。そんな物は、不確かでわかりもしない。ハイゼンベルクの不確定性原理※よりも、不確かだ。

 

※大学理学部時代に習ったことは、大いに忘れてしまったが、この原理はよく覚えている。大学1年生の初期の授業で、意味がわからない部分が大きくて、印象的だった。

 

「今日もやる気なくて、なんにもできなかった」

 

 

そうやって、自分を責めてしまう人は多いと思う。特に、ママ達。私もその一人。

 

やる気のない一生を過ごすのだけは嫌だが、そもそも私みたいな気が短い人間に、そんな一生を送れるはずもない。そこだけは、自分を完全に信用できる。何かしてないと、すーぐに退屈しちゃうから。

 

 

 

理想的な人生ってなんだろう。

 

そんなことは、今も、10年後も20年後も、臨終間際ですら、わからないかもしれない。

 

けれど、理想的な人生とは、「理想的な1日ばかりを積み重ねた先」にある訳ではない。

 

 

それが、今日見えた。

 

毎日毎日、人間は変化していく。その日の「理想的な過ごし方」は、1日として同じではない。我々はロボットじゃない。毎日違う自分に、同じだけのタスクや生産的っぷりを求めるのは辞めよう。

 

素直にそう思えた。

 

しかしなぁ・・・子育てって、なんで非生産的に感じちゃうんだろう。

生産性は、英語では Productivity。生殖・繁殖は Reproductive。 Re-PRODUCTIVE なはずなんだけどなぁ・・・・。

 

私ってば、しっかりと資本主義とその教育に毒されている。時間を守り、機械のように働くって、なんだか非人間的。砂糖の世界史にも、書いてあった。

 

大量生産が始まり、工場生産が可能になった後。人類の利便性のために発明された「時計」という道具に、人間が振り回されるようになった。時間を守るために、急いで支度し、毎日同じ結果を求められる。その時、人間らしさも失ったのかもしれない。

 

これから、「理想的な1日」を記すノートも、書き方が変わってくるかもしれない。

 

 

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ワンピースの中に、街が見える

この柄を見て、あなたは何を思う?


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これは、お寺である私の実家のお檀家さんから譲り受けたワンピースの柄です。私は、この子を連れて旅した場所を思い出す。南の島とか。

 

我が家の長女れーちゃん(5歳)はね、とある日、「海みたい」と言った。次にこのお洋服を着た日には、「街みたい」とも言った。

 

この柄入りの布に、れーちゃんは何を見ているのだろう。

 

青いところが海で、緑は車が海上を通るための橋、白は車が落ちないためのガードレール。

 

私が来ているワンピースの柄を見て、れーちゃんはそんなことまで想像してる。

 

 

私は、シンプルな無地のお洋服も大好き。

 

けど、れーちゃんのこういう話をもっと聞きたくて、柄物の服を着ることが、これから増えるかもしれない。れーちゃんの想像力ってすごい!!(親バカ登場。親バカ上等。あれ、韻踏んでる??)

 

柄物にうってつけなのが、着物。帯も着物も柄でも不自然ではない装い。実は今月から着付けを習い始めた。茶道のお稽古に行くのに着れるようになりたくて、日本人であることをもっと楽しみたくて。

 

一番極めつけの理由が、「私が最近、素敵だと思う人たちに、着物を着ている人が多い」ということ。

 

素敵な人たちの真似をしてったら、自分もそれに近づけるかな〜と。

 

 

着付けって難しい。何があるべき姿で、何は「オカシイ」のか、まだまだ皆目検討もつかない初心者の私。

一人で着付けできるようになるには、まだまだ長い道のり。やっと、お端折りの仕組みと、帯の締め方の原理がわかってきた所。

 

誰も着ていない着物が、実家の桐箪笥に五万とある。祖母のもの、母のもの、母が私たち娘に買ってくれた振袖や訪問着。

 

服を適当に選んでしまうことは多い。衝動買いだってある。

 

大好きな知り合いデザイナーが作った服、○○のデートで着た服、娘たちが想像力を発揮してくれた服、初めてのスーツ、祖母の着物。

 

なんか、こういうストーリーがある服で、クローゼットが埋め尽くされたら、幸せだろうなぁ。

 

そんな風に、思った。

 

れーちゃんは、私のワンピースの中に街を見た。

 

私は、自分のクローゼットの中に、何を見たいだろう。

 

あなたは、あなたの服に、何を見たいですか?

 

 

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今も昔も、人を狂わす。それが砂糖。

酒、麻薬、○○中毒。人を狂わせるものたち。

 

日常的に口にしている砂糖もまた、人を狂わせる。

 

「砂糖の世界史」という本を読んで、それを思い知った。


砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)
   

 

人々の血と涙と汗と。それを経て、砂糖はかくも世界中に広まったということが、まざまざと伝わる本。ジャレッド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」好きにはオススメ。

 

ケーキ、シリアル、ビスケット、煮物。日常的に口にする食べ物に、砂糖は含まれている。

 

元々希少で、高価で、神秘の象徴でもあった砂糖。

如何様にして、それが世界的な食べ物となり、むしろ飽和状態になって行くのか。その歴史を紐解くと見えてきたことを書きます。

 

■砂糖とは?

甘い味のする白い粉。または茶色い粉。原材料はサトウキビ、てんさい、など。

ケーキ、シリアル、ビスケット、煮物。日常的に口にする食べ物に、砂糖は含まれている。

 

血糖値を上げて、人を元気にすることもあれば、取り過ぎで糖尿病などの病を引き起こすこともある。

 

■砂糖の価値

原初の砂糖はサトウキビから出来ている。サトウキビはある程度の高温多湿でなければ育たないので、生産可能な土地は、地球上でも限られている。

 

サトウキビを育てるのも、そこから砂糖に加工するのも、かなりの手間暇がかかる。

 

サトウキビを育てると土壌が貧しくなり、その後の農作にも悪影響になる。ゆえ、兎にも角にも、砂糖は貴重だった。

 

胡椒 1 グラムが銀 1 グラムと当価値で取引されていた時代があったように、砂糖もまた高価値だった。

 

 

■どうやって広まったの?

原産はインドだか、メソポタミアだかとにかく南国。(いい加減な記憶でごめんなさい)

イスラム人がヨーロッパに運び、それをヨーロッパ人が世界中に広めたらしい。

 

ヨーロッパ人の広め方ってのが、かなり非人道的。南北アメリカを植民地化(侵略)して、黒人奴隷を使って砂糖を作らせる事により、大量生産して、生産量を増やした。プランテーションってやつ。

 

サトウキビを育てる土地を求め、砂糖を求め、アメリカ大陸を侵略した、と言っても過言ではないかもしれない。じゃなきゃ、大航海時代にサトウキビの苗を持って、大西洋を渡らなかったはず。

 

サトウキビは育てるにも、砂糖を精製するのも大変な手間。「砂糖あるところに奴隷あり」。ヨーロッパ人による侵略は、世界各地に砂糖と同時に奴隷も広めたらしい。

 

かつての覇者であるイギリスやオランダは、奴隷貿易で大儲けしたとか。アフリカにて奴隷を「調達」して、他国に売りつける。要するに、誘拐と人身売買。

 

イギリスに6年間暮らし、かの国を愛していようとも、ここは露ほども擁護できない。

 

奴隷貿易に関する感想

奴隷貿易って、どう捉えても違法の非人道的行為。「十字軍物語」と同じく、「キリスト教徒でなければ人にあらず」の発想だったのだろうか。

 

アフリカで黒人を捕獲、誘拐しては、船でアメリカ大陸に連れて行き、奴隷として売りさばく。

 

砂糖欲しさに、砂糖が産む利益欲しさに、人々は狂っていったとしか思えない。砂糖以外にも、コーヒー豆や綿、紅茶、多くのものが奴隷たちによって大量生産された。

 

コーヒーも砂糖も紅茶も、この奴隷の血と涙と汗によって、ここまで世に広がった。各地に黒人奴隷が沢山いて、その子孫は今でも差別や迫害を受けている。

 

そう思うと、コーヒーを飲むのも、砂糖を食すのも、なんだか罪深い気持ちになる。

 

コーヒーエキスが圧力で抽出されるように、奴隷たちも圧をかけられ、エネルギーも人間としての尊厳も奪われたのではないか、と。

 

元来は高価で希少だった砂糖。今では、安価になりこの世に砂糖はありあまるほどあって、糖尿病やら肥満やらの原因にもなっている。気軽に砂糖を手に入れられる様になるまでには、何人の命を犠牲にして、何人の血と汗を流したのだろうか。

 

その血と汗と涙があって、現代、200円程度でキットカットやらビスケットやらを食せるのだ。

 

私は、寺の娘なのに、信心深いとは言えない。けど、浄土真宗の開祖、親鸞聖人の教え「(罪を認識できた)悪人ほど救われる」には深く納得する。

 

自らの命とは、色んな命や何かの犠牲があってこそ成り立つ。その事実を直視し、「自分は聖人君子ではない」と認め、犠牲になったものに感謝する。「悪人」こそが、それをできるのだ、という教え。

 

免罪符を売り受けて設けていた中世のキリスト教とは違うなぁ。宗教ってのは、人を救うために人間が作り出したもののはず。人を苦しめてどうする。(人を苦しめるのも、救うのも、結局は自分自身のみ。宗教も他人も自分を救うことはできない。この話は長くなるので、このへんでお終いにします)

 
十字軍物語(一~四)合本版(新潮文庫)
 

 

 

■歴史の学び方

歴史の学び方、教え方について、考え直した方が良いな、と心底思った。

 

著者のあとがきに書いてあった。

歴史を学ぶとは、年号や出来事をただ学ぶだけではない。物事を追って見て行くと、過去は今につながっている、世界はつながっているのだと知ること。

 

ジャレッドダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」塩野七生の「ローマ人の物語」、池上彰の「大世界史」。いずれも、私が心を動かされた本たち。

 
銃・病原菌・鉄 上巻

 
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
 

いずれも、「歴史とは、出来事がバラバラにあるのではなく、過去は今に、世界は全ては繫がっている」というメッセージがある。

 

その繋がりを見つければ、歴史は他人事ではなく自分事になる。

 

こういう教え方は、学校ではなかなか、してもらえない。

 

我が娘たちには、家で歴史はこんな風に教えたい。

 

ま、歴史を教えるよりも先に、トイレのしつけや、洗濯物の扱いとか、そういうもっとエッセンシャルな事柄が、待っているが。

 

家を建てるのも、装飾品を考えるのは最後。まずは、土台作りから。

 

10年後くらいかなぁ。娘たちと、主人とで食卓を囲み、いつかこんな家庭内歴史トークをできる日が来ることを、夢見てる。 

 

 

そこにいる全員が、笑っていますように。 そのためには、まず、今日の自分が笑えるように。

 

「夢見てる」と言えば、れーちゃんは、ときどき寝る前に「123のゆめみてる WORLDLIBRARY

」を読みたがる。これって長いんだよなぁ・・「しろくま一匹、〇〇2人、」みたい100近くまで数えるので、なかなか辛い。早く寝てくれ。

 

絵本なんて読まなくても、早く一人で寝るようになってほしいものだなぁ・・・。と、少しでも楽をしたいわたしは、思わずにいられない。砂糖と同じく、「楽をしたい」というのも、人を狂わすものなのか、否か。

 

 

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「人間はどうしてしゃべるの?」理系的回答の無力。

人はなぜしゃべるのか?

 

あなたなら、5歳児になんて答えますか?

 

子供からのシンプルで、哲学的な質問への答えは、深くて難しい。子供の「なんでなんで」

 

お風呂上がりのれーちゃん(5歳)が、とりとめのない話をしていて、どうやら要約すると、「どうして人間はしゃべるの?」という質問をしたかったらしい。

 

そこで私は答えた。反射的に、理系的に答えたら、なんだか場違い感が半端なかった。

 

👩お猿さんやゾウさんも、四本足で歩くでしょ?でも人間は二本足で歩くから、その分頭が大きくなったんだよ。それで、喋れるようになって…

 

要するに、二足歩行故に、脳みそ容量が大きくなって、言語を扱うことが可能になった話をした。

 

れーちゃん👧:赤ちゃんはハイハイするよ!人間も四本足だよ?

 

私的には、赤ちゃんはまだまだ人間でないのだが…(乳幼児の我が子に対して「早く人間になって欲しい」と思っているので

 

れーちゃんは、私の説明には納得しなかったらしい。

 

脳みそ容量は、「しゃべる」ための必要条件であって、充分条件じゃないからか…じゃあ充分条件はなんだよっ!

 

充分条件が何かをわかったとしても、5歳児を納得させる答えができる気がしなかった。

 

どう説明したら良いんだろ?と、れーちゃんが寝静まった頃に、主人に相談してみた。そしたら、主人は答えたよ。

 

👨「喋らずにはいられないから」

 

だとさ。

 

全く理系ではなかった。むしろこの位の方が、子供には分かりやすいのか?

 

たしかに、れーちゃんもワカメちゃん(3歳)も、ずーっとずーっと縦板に水状態でペラペラと饒舌に喋り続ける時が、頻繁にある。きっと、子供たちも、自分に覚えがある理由なら納得するのか。

 


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いくら脳みそ容量の話をしても、自分事には繋げられないだろうな…少なくとも今は。

 

はぁー、早く人間の進化論とかお話しできるように成長して欲しい〜!!(いくら成長しようとも、この手の話に全く興味を示さない可能性もあるが。)

 

子供の「なんでなんで」。

 

時々すっごく哲学的。きっと明日には自分が発した質問を忘れてしまう。なんだかそれが勿体なくて、私はブログに書き残してる。

 

曇りなき眼を持つからこそ、出てくる質問たち。

 

 

れーちゃん、こんな質問をしてたって、覚えていてくれるかなぁ。

 

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