打たれ弱いママの徒然日記ー子育てや留学体験記など

打たれ弱いママの日々を綴ります。

告白します。我が子に呪いをかけそうになってました。

こんにちは。打たれ弱いママKaoriです。

 

○○しちゃいけない

△△でなければならない

 

謎の固定観念、自分を苦しめる思い込みってありますか?

 

そんな呪いからは解放されたい。それなのに、うっかり私が持つ呪いを、娘にかけそうになった瞬間があった。

 

それはお風呂後のドライヤータイム。

 

我が家の子供は、長女れーちゃん(5歳)と次女ワカメちゃん(3歳)。まだまだ小さな人たち。自分でできる事が増えているとは言え、大人の介助は必須。

 

過去にドライヤー事件もあったが、れーちゃんが自分でドライヤーを使えるようになった。そして、ワカメちゃんも「自分でドライヤー」デビューしたのです。

 

当たり前のことながら、ドライヤーの風が髪に当たらなければ、髪は乾かない。

 

ワカメちゃんはドライヤーの持ち方がいい加減なのか、ドライヤーの風は脱衣所の洗濯機に直撃し、ワカメちゃんの髪に全く当たっていないのを発見。

 

ドライヤーの風を髪に当てなさい!!

このアドバイスは妥当だった。

 

ダランダランとして、「乾かす気あんのか!」と言いたくなる様なドライヤーの持ち方。ちょっとイラっとしていた私は、言いそうになった。

 

楽しようとしないの!

これが、喉元まで出かかった。そして、引っ込めた。「楽しようとしない」なんて妥当どころか、有害な言葉がけだと気づいたから。

 

−−−−−−−−−私の脳内会話ここから−−−−−−−−−

楽しようとしない…?楽って、しちゃいけないんだっけ??そんな事ないよね?

 

楽しちゃダメなんだ

 

確かにそう思っていた時期もある。そして、「楽をしてはいけない」と思っている人も沢山いる。イギリスに住んでいた私は思う。日本には、特にその文化が強いと。

 

「楽しちゃダメ」って思ってて幸せだった?

いいえ、決して幸せではなかった。苦しかった。我が子に、そんな風になって欲しくはない。

 

努力することと苦労することは違う。

楽することと、努力しないことは違う。

 

わかっている。わかって居たはずなのに、私の潜在意識は「楽をするのはダメなこと」と、まだまだ思っているらしい。

 

 努力するのは素晴らしいこと。努力し続けた先でしか見えない景色がある。けれど、楽しちゃいけないなんて、そんな事はないのだ。楽で、楽しくて、刹那的ではない幸せああるなら、そんな生き方だってアリなんだ。

 

横着をすること、努力をしないこと、楽をすること。

 

どれも似ているようで、歴然とした違いがある。

 

横着はしない方が良い。けれど、楽しちゃいけない・・・・そんなことはないのだ。

 

ドライヤーをいい加減に扱っているワカメちゃんを見なければ、私は、私自身にかかっているこの呪いに気が付かなかったかもしれない。子育てって、本当に親育て。子供が教えてくれることは、すごくすごく沢山ある。

 

いつもありがとう。

 

さて、自分の中にある「楽しちゃいけない」呪いをどうやって解こうかな。

 

教育とはすべからく、洗脳であり、呪いにもなりうる。解縛するためには、まず、自分にはどんな呪いがかかっているのか、知ることから。

 

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仕事能力と女子力の相関関係

こんにちは、打たれ弱いママ Kaori です。

 

この3月で、長女れーちゃんは保育園を卒園する。卒園に向けて、先生たちに花束・色紙等をプレゼントしようと、ママ同士で連携中です。

 

このママ同士のやり取りで、気づいた。自分の仕事処理能力の高さと女子力の低さに。

 

女子力ってなんやねん!!男子力って言葉はないだろ!

 

女編の漢字を見て、不快に感じるような私には、「女子力」って言葉が苦手。

 

具体的にどういうことか、と言うと。

 

仕事能力の高さ:先生や下の学年の子にプレゼントする何か、やらでタスク数もアイテム数も多い。整理して、一覧にしてまとめる、などを率先してやる。スピード感命な職場で8年サラリーマンをやっていたのが効いたか。

 

女子力の低さ:私は色紙担当に名乗りを上げた。各家庭でメッセージを書いてもらい、私が回収し、色紙レイアウトを考えるのか仕事。

 

メッセージを書き込む紙を各家庭に渡す時、面倒くさがりな私は、封筒を用意しなかった。家にあった画用紙+ホチキス止めで、超適当封筒を作った。

 

まあ、他のママたちの女子力の高いこと!可愛らしい封筒に、メッセージ用紙を包み、「取りまとめありがとうございます♥」なんていうかわいいメモまで入っている。

 

こういうのって、「女子力」と言うのだろうか。。。

 

ふと、主人に聞いてみた。

女子力と仕事能力に、反比例関係ってあるのかな?

 

いや、ないでしょ。ただの言い訳だよ。

 

😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱

 

ですよねぇー!!!!

 

仕事能力も女子力も高い人は、いくらでもいる。

 

皆様、きっと小さくて可愛らしい封筒を常備している。そもそもスタート地点が違ったのかもしれない。

 

プチ封筒、買いに行こうかな…それだけで、どうにかなる問題じゃない気がする。

 

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○○だと顔認証されない悲哀

こんばんは。打たれ弱いママKaoriです。

 

今日は非常にしょうもない話。

 

昨年着付を覚えた私は、着付を練習しながら出来栄えチェックのために自撮りもする。

 

Googleフォトのアプリには、「誰が映ってるのか」を自動認証するAIが入ってる。

 

「これ、美人に撮れたかも?!」という私的には最高の写真が、その写真だけが、AIに除外されてた!!

 

メイクしてる顔も、ノーメイクの顔も、10年前の顔も、同一人物だと認識してくれるAI。美人風ショットは別人だと思われた🤣🤣

 

Googleフォトのアプリは、私の顔面偏差値をどの程度だと認識しているのか…知りたいような知りたくないような(笑)

 

 

 

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「ママになりたい」という娘の真意とは

こんにちは、打たれ弱いママです。

青は英語でブルーだよね、黄色はイエローだよね、ゾウさんはエレファントだよね

 

我が家の娘たち(長女れーちゃん5歳、次女ワカメちゃん3歳)は、保育園の中で、時折英語に触れている。新しく覚えたものを披露するのは、嬉しいらしい。

 

「お家」って英語でなんて言うの?ペンギンは?お洋服は?

 

5歳のれーちゃんは、いろんな単語の英訳を矢継ぎ早に質問してくる事も。なぜ色んな英単語を知りたがるのか、理由を聞いてみたら、意外な答えが返ってきた

 

私のこれまでの子育て。子供側がどう思っていたのかが、伝わってくる様な答えだった。

 

○○を知りたい!△△をやってみたい!

 

好奇心があるのは、とても良い事。

 

青色の英単語を知ったら、水色の英単語も知ってみたくなる。アレもコレも興味津々!

 

娘の質問(英語で○○はなんていうの?)にはほぼ100%答えられる。なんせイギリスに6年暮らし、現地校に通っていたのだ。それを知らない(というか、まだ理解できない)れーちゃんには、「なぜママは英語がわかるのか」不思議だったらしい。

 

一ヶ月ほど前のこと

−−−−−−−−−−−−−

れーちゃん:なんでママはそんなに英語を知ってるのー?

ママ:それはママが勉強したからだよ。昔イギリスに住んでて、その時はお家の中(ホームステイ)も学校も英語だったんだよ。 

 

こんな話をしたこともあった。ママという存在は、自動的に英語がわかる訳ではない、私も英語がわからない時を経ていると伝えたかったのだ。

わんわ※留学初年度、問題文の英語を理解出来ずに、0点を貰った経験あり。

−−−−−−−−−−−−−

 

そして昨日。

また様々な言葉の英訳を質問される。今度はこっちが質問してみた。

 

ママ:ねぇ、れーちゃんはどうしてそんなに英語を沢山知りたいの?

れーちゃん:ママになりたいから!

ほ??ママになりたい…??

 

それは、「自分も子供を持って、母親という存在になりたい」のか「ママという人物(私)になりたい」のか。

 

真意はわからなかった。 

 

我が子ながら、れーちゃんは結構純粋な人で、俗物的な世界とは一線を画した場所に生きている感字のする人。一言で言えば、スピリチュアルかつ、マイワールド。

 

そしてれーちゃんは、ママ(私)が打たれ弱いこともわかっていて、私に気を遣った上で、「ママが喜ぶと思って」、天使的な発言をすることがある。

 

けれど、この「ママになりたい」発言に、他意はなさそうだった。難しい事は考えず、純粋に「ママになりたい」と言っている様だった。

 

自分もお母さんになりたいのか、私という人物になりたいのか。どっちに転んでも、これは親としては喜ばしい。

 

これまでの子育ても、娘に見せてた生き方も、概ね誤っていないのだ。間違ってなかったんだ。

 

そう言ってもらえた気がした。

 

あんなに怒らなきゃ良かった、もっとちゃんと遊んであげればよかった。

 

毎日毎日、子育てにはこんな思いや後悔が付き物。良かったことと、反省したいこと、どっちもあって。

 

ほんの少しだけでも、「良かったこと」が多ければ、子供は親という一人の人間を、ポジティブに捉えてくれる。ポジティブ、というか、なんか、この包容力!

 

私は、以前よりはずっと、自分自身を好きになれた。けれど、「貴女みたいになりたいです♥」なんて言われたら「イヤイヤ、辞めておきなはれ。こんな女のどこがええねん!」と思う。

 

私が私のことを好きであるよりも、れーちゃんはママ(私)を好きで居てくれてるらしい。

 

子供って、小さな人って、偉大だ。

 

れーちゃん、ありがとう。私は貴女のママで居られて、幸せです。

 

誰が作ったかわからない「理想の母親像」に縛られ過ぎず、心のまま脱☆良妻賢母で生きてきたことが、特段間違っていないらしい。

 

※私自身、確固たる理由があり幼少期からの英語教育に興味はないです。英語クラスもまだやる予定じゃなかったのですが…、れーちゃんと同じクラスのお友達は全員英語クラスに参加していたため、我が家も英語クラスに参加することになりました。じゃないと、娘一人だけつまみ出されてしまい、可愛そう過ぎました。英才教育せねば!とガチガチになるのではなく、楽しんでる範囲なら幼少期の英語も良いなー、と感じてます。絶対多額は掛けないと心に決めてますがw

 

 

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中学受験から始まった人生の岐路を振り返る

今日は2/6 ですね。

この日は、かの20年位前、私の中学受験が終了した日でもある。受験したのは4校、第一希望は落ちて残り3つは合格。

 

どの学校に進学するか迷っていたのが今の時期だった。

 

これまで幾度も、人生の岐路に立ち、選択してきた。

 

「これが私の選んだ道」

 

そう最初に感じたのが、12歳。中学進学においてだった。

 

目次

 

  • 御三家を第一希望にした本当の理由
  • 受験校を選んだ観点
  • 進学校をどう選んだか
  • 中学受験+高校受験は辛かったのか
  • 学校教育は素晴らしかった
  • その後の進路
  • 進路や岐路に迷う人達に伝えたいこと
  • 後悔しなかったのは、自分の意志で道を選んだから

 

3つの選択肢の内、どれを選択したのか。なぜそれを選んだのか。その後どう感じているのか。それを書きます。

 

今、学校選びに迷っている人に、近い将来に受験を考えている人またはその親に読んで貰えたら嬉しいです。

 

御三家を第一希望にした本当の理由

私が受験したのは、都内の御三家、国立大付属、私立の学校2つ。第一希望を御三家とし、それには不合格だった。

 

第一希望は落ちた、というものの全くショックでも何でもなかった。強がりでもなんでもない。

 

「ラッキーならば、受かるかも」レベルで受験していた。ある意味極めて消極的だ。 

 

進学したいかどうか、よりも、「受かるかもしれなかったから」が理由だった。

 

当時の私(というか基本的にずっと)、成績は良い方、でもトップクラスでない。それが常であった。

 

通っていた進学塾でも、御三家用の特別コースには入れなくてその下のクラス。

進学した中学でも、高校でも、成績は常に中の上〜上の下。学校でも塾でも、目立つ程の成績ではなかった。

 

御三家は狙える範疇である。ラッキーなら受かるかも。

 

受験校を選んだ観点

それだけの理由で私立御三家を視野に入れていた。その他滑り止め的な学校も含め、学校見学にも行った。

 

似たような偏差値の学校をいくつか並べては、以下3つの観点から学校を選んだ。

 

  1. 制服がダサくない
  2. 校則が厳しすぎない
  3. 家から遠すぎない

 

「おいおい、制服で選ぶんかい」という声ももちろんあった。が、私は断固としてダサ過ぎる制服の学校は拒否した。毎日着るものだ。オシャレでなくても、ダサくないことは大事だった

 

それ以外に学校見学をしながら気づいたのは、お嬢様学校は向いていないということ。日常的に「ごきげんよう」と挨拶する校風とは合わなかった。

 

まあ、この条件を見ると、どの御三家を受験したのか、想像つく方もいるかと。

 

進学校をどう選んだか

前述のとおり、消極的選択とは言え、マジでショックもへったくれもなかった、とは言え、第一希望の御三家は不合格だった。

 

合格したのはこれ↓

  1. 都内、私立中高一貫校女子校
  2. 千葉県、私立の中高一貫、共学
  3. 都内、高校受験有りの国立大学付属、共学

 

※太字が私にとってのマイナスポイントだった

 

御三家以外ならば、都内・共学・中高一貫が私の理想だった。が、いずれも全条件は満たさず、一長一短だった。

 

私が選択したのは 3。高校受験をしなければならない、というデメリットがある中学に進学した。

 

通いやすい距離である、共学である

 

これを理由に、進路を選択した。

 

中学受験の一番のメリットは「高校受験をしなくて良いこと」。それをガン無視した選択をしたのだ。

 

高校受験がなくなるよりも、通学の大変さや共学であることを選んだ。

※おまけ的に、国立ならば学費がめちゃくちゃ安くなった

 

中学受験+高校受験は辛かったのか

国立大学付属中学に進むとは、エスカレーター式進学はできずとも、付属高校(内部進学)する事が多い。私の両親もそれを望んでいた。

 

高校受験、ぶっちゃけ辛かった。

 

勉強が辛いのではなく、「親が望んでいる進学をしたくない」と伝えられない時期が、一番辛かった。

 

名門の国立付属高校の進学を望む親。それを前提に私の進路選択を許したのだ。

けど、内部進学したくない私。それを伝えられない私。

 

これが非常に辛かった。

 

通いたくもない学校の受験勉強は苦痛でしかなかった。内部進学したくなかった理由は、人間関係が上手くいつまでなかったから。高校進学を機に、人間関係をリセットすることを望んでいた

 

親に打ち明けることもできず、学校でも居場所が無い様に感じ、やる気のなさから成績も不振。

 

どこにも居場所なんてない!と引きこもってしまった時期もあった。(最終的には親とも話し合い、付属高校を受験しなくて済むことになった)

 

学校教育は素晴らしかった

国立付属中学に進学。卒業してから強く思う。私は素晴らしい教育を受けれた、と。

 

正に、私の人生を大きく変えてくれる何かを教えてくれる先生に出会えた。  

他校では決して教えてくれないことを、学べた

 

ああ、理科って面白いんだ。歴史って、面白いんだ。○○って面白いんだ。

 

そう思わせてくれる授業が沢山あった。

 

その後の進路

その後は、無事に外部受験で都立高校に進学。高校2年生で留学し、大学院卒業までイギリスに滞在した。

 

あの時の中学の社会の授業を受けていなければ、私はイギリス留学することも、そのまま6年も滞在することもなかった。

 

あの時、なんちゃって第一希望の御三家には落ちたからこそ、今の自分がある。これまでに出会えた人達がいる。

 

紆余曲折があったにせよ、今の自分は、結構好きだ。これまでの人生で出会えた友人は宝物だ。

 

「中学受験した上に高校受験しなきゃならん道を選ぶ」

 

私の人生、この選択をしたからこそ出会えた人がほとんどだ。今の主人も、もちろん娘たちも。

 

進路や岐路に迷う人達に伝えたいこと

たとえ子供であれ、何歳であれ「自分の意志で選択する」ということが一番大切だと思う。

 

どの中学を進学するか迷っていたあの時、もし親に「中高一貫校に行け!」と強要されていたら。

 

何か悪いことが起きた時、きっと親のせいにしていた

 

あの時、私に選択肢を与えてくれなかった!

ダメならなんで受験させたのか!

 

絶対に、こう思う時が出てきたであろう。親への責任転嫁、親を責めることを辞められなかったであろう。

 

自分で選択したことだからこそ、何かあっても親を責めることをなく、短期間引きこもろうとも、まっすぐで居られた。

 

「だって、しょうがないじゃん」みたいな子供じみた言い訳もしないで済んだ。

 

私の両親もあれこれ心配しました。中学受験したのに、わざわざ高校受験しなきゃならん学校に行くなんて…と。

 

後悔しなかったのは、自分の意志で道を選んだから

アレコレ心配はあれど、最終的には私自身に決めさせてくれた。両親のそんな所には感謝したい。

 

人はいつ死ぬかわからない。だから、後悔しないように生きないといけない

母方の祖母が死んだのは、私が中学2年生の時。祖母の葬式で、お説法の中で父がそう言っていた。

 

私が生きてきた道は、父や母が思っていた「理想的な進路」ではなかったであろう。

 

けれど、父の教えのとおり、14歳のときからずっと、後悔しない選択をし続けられている。

 

自分でそう思えるからこそ、「あの時、私のした選択は間違いじゃなかった」と言える。

 

たとえ選択肢がどうであれ、その道の中で後悔しない選択をし続けていれば、同じ光景が見えてくるのかもしれない。

 

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clubhouse関連の投稿をもう見たくない件(Androidユーザーです)

近頃、clubhouseという音声SNSが流行っているらしい。私はAndroidユーザーだし、今も(多分これからも)関係ないだろうなぁ。

 

見たくもないSNS投稿が蔓延している!!なんか、去年の「ブックカバーチャレンジ」に似てる感じで、

 

去年の緊急事態宣言の時にも、「見たくないのに溢れているSNS投稿」について書いてたのを思い出した。

①オンライン飲み会②お料理自慢、③ブックカバーチャレンジ、いずれも私が「見ても嬉しくない投稿」だった。じゃあ見なきゃいいじゃんねぇw)

 

今回のclubhouseも、めちゃくちゃ投稿数が増えていて、不快要素も増えてきたので、分析も入れつつ、思いを徒然なるままに書いてみる。

 

clubhouseとは、iPhoneユーザー向けの招待制音声SNSらしい。

 

招待制でないと入れない、というのはプレミア感が出るのか。SNS投稿の流れを見て、私の感想も変わって行った。

 

当初の感想:へー、音声SNSなんてアプリあるんだ。

やってます!招待枠あります

誰か私のこと招待してください

 

中期の感想:何かの会合をclubhouseで開催する人が出てきたらしいねー。どうやらiPhoneユーザー限定のアプリらしいね。

 

clubhouseで○○集まりしましょー

 

後期の感想(今ここ):猫も杓子もclubhouse、clubhouseって言ってない??少ない招待枠の中に入れたという事実、やはり自慢したいものなのか?それとも私の被害妄想?

 

 

ここまでSNSで盛り上がってるけど、iPhoneユーザー以外は蚊帳の外。ここまで来ると、使ったこともないサービス(clubhouse)に対して、妙な反骨心が出てくる。

 

絶対に使うものか!!

反抗期の子供と同じなのかなぁ。

 

雑談するためのアプリかぁー。コロナ禍の今、人間は雑談に飢えるているのか。

 

  • それなりの雑談を夫婦でしている
  • 少なくても、ビデオ会話する友達もいる
  • 自由時間があるなら、やりたいことが山盛り
  • 私は大人数で喋り合うのが苦手
  • Androidユーザーを辞める気はない

 

これらの理由から、私はclubhouseを今後もやらないんだと思う。

 

その昔、非LINEユーザー(当時ガラケー)なのに「LINEで連絡取ろう♪」と言われた時。

明らかに説明不足なCMが「詳しくはウェブで」と終わった時。

 

なんだか、こう、少しイラッとしちゃう。

 

「あなたもスマホだよねー、LINE使ってるよねー、○○だよねー」

 

妙な前提条件の元、話がどんどん進んで行く。

 

私はさ、SNSでつながる友人が何をしてるのかとか、何を思うのか、とかを知りたい。

 

満たしているかもわからん前提を条件として、話が進むと…

 

私にしてみれば、Aさんの、Bさんのclubhouseの使用状況は興味ない。興味があるのら、AさんやBさんの思いや近況。

 

皆さん盛り上がってるし、楽しいんだろうね。けれど、出現頻度が高くてちょっと疲れて来た。

 

当分はZOOMとネットラジオやで、私は十分に楽しめそうだ。

 

clubhouseを使ってる人が嫌なんじゃないんだよなぁ。clubhouse関連の投稿だけ、私のフィードから削除したい。

 

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女偏の漢字って女性差別の偏見からできてると気づいた件

言葉。文字。毎日何気なく使っているもの。それに疑いや嫌悪感を持ったことはありますか?

 

文字は、言葉はシンボルにしか過ぎない。

そのシンボルに意味を与えているのは、我々人間が、言葉や文字の意味を信じているから。

 

パッと読んだら、?????となる文章を、読書中に見つけた。本の著者が言いたかったことが、なんだか理解できた気がする。それは、女偏の漢字の多くが、女性蔑視に基づいていると気づいたから。

 

たとえば、嫌、嫉妬、奴婢、娘、姑…などなど。

 

それについ詳しく分析します。

 

先日素敵な友人たちとジェンダーについて語る会(ZOOMで)をした後に気がついた。

 

  • 嫉妬
  • 奴婢・奴隷
  • 媚びる
  • 婚姻

 

女偏の漢字を見るに、女性蔑視の気持ち悪さを感じる。

 

  • 嫉妬ってなんやねん!女の病に女の石??
  • 女を兼ねたら「嫌」って、どういうこと。
  • 奴婢って…なぜそこに女編をあてがった。
  • 姑って、古い女?なんかひどくない?舅と比べると特に。
  • 娘って、良い女?男にとって「良い女」じゃないと娘じゃない??
  • 婚姻って、そこには女しか関わらないの?
  • 媚びるってなんやねん。男も媚びるやろ。なんなら、「亻」(にんべん)に眉のほうが妥当じゃないのか

 

脳内のこんな突っ込みは止まない。

 

要するに、漢字を最初に作り出した人達が、女性蔑視だった。女とは穢れていて、イヤなもので、身分も地位も低い。嫉妬とは女の病気である。

そう思っていた人達が、漢字を作った。

 

そして、現代に至るまで、我々はそれを使っている。無意識だろうと、意図的だろうと、使っているのだ。

 

 

これまで全く感じいなかった違和感に気がついた。

 

気持ち悪い。

 

こんな女性蔑視に基づいた文字を使い続けるなんて、女性蔑視の発想や偏見を暗黙に認めてることにならないか?!

 

と一人義憤にかられた。

 

が!!

 

 

とはいえ、女偏の漢字を全く使わないのは不便である。他の漢字だって同じ。

 

だから、私はこれからも漢字を使うだろう。

 

言葉とは、文字とは、誰かと意思疎通を図るためのもの。私も相手も、「月」を月と認識し、「火」を火と認識するから、共通認識があるから会話が成立する。そうでなれけば、ただの横線と縦線と曲線の集まりで、子供の落書きと変わらない。

 

漢字のわからないイギリス人に漢字を見せても「複雑な絵だね」としか言われない。

私にとって、アラビア文字ヘブライ語も謎の暗号のようにしか見えない。

 

そこには「共通認識」が存在しないから、理解できない。共通認識を介在しない限り、単なる謎の形なのだ。

 

数式的に言えば、こんな感じ↓

 

単なる形+共通認識→文字や言葉

単なる形=単なる形

 

 

漢字を気持ち悪がって、他言語を使おうと思うのも、これまた愚策。なぜならば↓

 

  • 理由1:コミュニケーションを取りたい周りの人達との共通認識がないため、意思疎通を測れない
  • 理由2:どの言語にも、なんらかの偏見はある

 

 

結局、「漢字には偏見があり、日本語にもどの言語にも偏見がある」と気づいた所で、私がこれからも日本語や英語を使うのは変わらない。

 

 

一番違うのは、考えもせずに漫然と言葉を扱うのか、「今自分はこんな偏見がある言葉や言語を使っている」と認識した上で使うか。

 

このように脳内整理をしたおかげで、「漢字って気持ち悪い!!」と言って、ジェンダー差別があるような漢字を全スルーする、なんて馬鹿なことが回避できた。

 

こういう事を考えるのって、なんだか小難しいのだろうか。

目の前の事実は、簡単には変えられない。自分の中での落としどころを見つけるって、大事だと思う。

 

 

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ハッとするデザインを思いつく天才は変人説

先日、我が家の掃除機が壊れたので、買い替えを比較検討中です。掃除機って何種類もあるのね・・・!と驚いている。

 

掃除機を見ながら、子どもたちの将来にも思いを馳せてしまう。打たれ弱いママ観点から、掃除機の話を書きます。

 

結局、家電に求めるものは、機能と見た目。日本メーカーの家電は、機能的には非常に良く出来てる。けれど、正直見た目はイマイチ。


スマートフォンにおけるiPhoneのような、飛び抜けたデザイン性の家電は、なかなか日本メーカーの掃除機にはなかった。その理由について、一人分析した結果を書きます。

 

全て私の主観が入っています。あしからず。


目次
・機能性を高めるに必要なこと
・デザイン性のために必要なもの
・ハッとするデザインを生み出す天才の特徴
・日本製の家電のデザインがイマイチな理由
・無難な生活・無難な見た目から脱するには

機能性を高めるに必要なこと

それは根気よく研究すること。

 

エジソンが片っ端から電球のフィラメントになりうる素材を試したように、根気も大事。つまり、チームワークが大事。

 

機能とは、足し算も掛け算もできる。機能Aに機能Bを追加する、相乗効果を求めることができる。つまり、チームワークでより高い機能を作ることができる、

 

空気を読む、調和する、など、日本人はチームワークが得意であるし、美徳とも捉えている。

 

 

デザイン性のために必要なもの

チームワークよりも一人の天才が大事なだと思います。

デザインとは全体像で完結するもの。てっぺんから爪先までの形を含めて「デザイン」と呼ぶからです。定員数が決まった電車のように、「盛り沢山」にすると溢れる。

 

山田さんと鈴木さんと佐藤さんの案を合わせた間の子デザインを作ったら、お互いの案の良さは消えてしまい、「平均的」で「平凡」なつまらないデザインになる。

 

機能性のように足し算も掛け算もできない。それがデザイン。天才デザイナーにはこのセンスが大事。コレ!と決めたら、その他の選択肢は捨てるという潔さが必要

空気を読んでいたら、潔く捨てれないことが多くなる。


ハッとするデザインを生み出す天才の特徴


正直に言えば、こういった天才は非常識・空気を読めない社会不適合者が多いと思います。

 

(天才って)普通ならためらう所を、迷わす突き進む。それが良い方向でも悪い方向でも。 
−少年漫画「ハイキュー」143話から


この少年漫画で言及される「天才」は、ツンツンした若干コミュ障少年です。天才とは、常識が通用しない、空気も読まない。凡人とは全く違う目で物事を見ている。

 

当然、彼らの言動も発案も「変」。

 

たとえ「変」であっても、一人の天才が生み出したデザインを採択できるか、それを活かせる環境にあるか。それが圧倒的に優れたデザインの物を作るために必要な条件に思えます。


日本製の家電のデザインがイマイチな理由

日本の大企業では「空気は読む能力はないし性格悪いけど、デザインだけは素晴らしい奴」って、活躍の機会に恵まれないのではないか、と、ふと思う。

 

天才的な何かはないけれど、空気を読むことが苦手な私には、非常によくわかる。この国では空気を読めない人の市民権が低いことを!ダメな奴扱いされやすい。

 

空気を読む力ではなく、誰が作ったか、ではなく作品・デザインだけで評価をして、天才の案を採用できたら…!


日本の家電は機能だけではなく、デザインももっともっと優れたものになっていくと思う。

 

嫌われない凡人or嫌われる天才

さて、どちらかを選べ!と言われたら、どちらを選ぶ?

 

空気を読める「普通」の人、凡人は突出したセンスもスキルもない。そのかわり、叩かれることも仲間外れにされることもない。

 

飛び抜けた「天才」は、圧倒的なセンスがあり、周りに理解されず、孤独になりがち。

凡人は、圧倒的センスも才能もないけれど、周りと調和しながら安心して生きやすい。

 

※センスも才能もないけど、周りと調和しながら生きるなんて無理!という人もいるかもしれん。けれど、私から見ると、才能を見つけていないだけだと思う。

 

我が子はどう生きて欲しい?

 

そんな事を考えても仕方ない。各個人がどう生きたいのか、生きるのかは本人が決めること。親の決めることではない。

 

何かの才能があって、空気を読む才能を両方持ち合わせてたら、孤独な天才にはならないじゃん

 

ポジティブ夫が、そう言った。奇跡みたいな存在のことを指してる。

何か突出した才能はなく、空気を読む才能もない私は、その奇跡を想像すらできないなぁ。

 

いつぞや子供のために読んだ「ピンクー」という絵本を思い出す。

 

カラフルで、個性的で、時に仲間外れにされ、旅に出る。

モノクロで、無機質で、周りに溶け込め、その場に留まる。

 

どちらが良いのか。

 

いくら辛い時期があっても、辛いことがあっても、カラフルに生きることを、私は辞めたくない。

 

我が子は夢をコントロールする能力があるらしい

我が家の長女れーちゃん(5歳)は、時折不思議な事を言う。目に見えない世界と繋がっているような。

 

れーちゃん、今日は○○な夢を見るんだ〜♪

寝る前にこんな事を言う。どうやら、れーちゃんは「どんな夢を見るか」をコントロールできるらしい。

 

あまりに素敵で羨ましい能力なので、やり方を聞いてみた。

 

足のパワーを溜めて、それを頭の上まで持っていく

 

れーちゃんにしてみれば、ごく普通の事なのでしょうが、私にはサッパリわからなくて、何回もヒアリングした結果、これが方法だと分かった。

 

どんな夢を見るのか、というのは頭または頭上で何かが起きているらしい。

 

んー、いくら方法を教えてもらっても、私には実行できない気がする。

 

たとえば、れーちゃんは「スミッコグラシのぬいぐるみと遊んでる夢」なんかを見ているそう。

半年前、「子ヤギちゃんがオオカミに食べられちゃったの」と怖い夢に泣きながら夜中に起こされた迷惑な(もとい、かわいらしい)事件があったなぁ。

 

この半年の間、一体どうやって夢コントロール能力を身に着けたのか。

 

勇気があれば夢は叶うんだよ

どこのアニメや絵本で知ったわけでもない、自分で考えたこんな言葉が、出てくる。「なんでそんな事知ってるの?アニメで見たの?」と聞いたら、「自分で考えたの」だそうだ。

 

れーちゃん、なんでそんな事を知ってるんだろう。そうだよね、勇気があってこそ、夢が叶うんだね。

 

勇気があることは充分条件ではない。けれど必要条件ではある。

 

眠る時の夢、叶えたい夢。どちらについても、れーちゃんはコントロールできる人なのかもしれない。

 

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「長生きしてね」と言えない私

打たれ弱いママKaoriです。

 

先日、老人ホームに住む父方の祖母に会いにいきました。感染防止のため、基本的には面会禁止なのですが、100歳の誕生日ということもあり、特別に許可が出ました。

 

今回も、コロナの中会いに行くか迷いました。

 

認知症でほぼ全てを忘れ、孫の私はおろか、実の息子である父のこともわからない。東京に嫁にきたことすら覚えていない。


そもそも性格が凄く悪かった祖母。そこまで慕ってもいなかった。

 

このご時世、そんな人に会った所でどうなる?

凄く迷いました。

 

死んでしまったら会えない。

 

老い先長くはないであろう祖母と、できる限り会っておこう。自分が後悔しないために。


そんな思いで会いに行った。


100歳という年齢なら当然かもしれないが、かなり老化していた。

 

昨年会った時、孫の顔がわからなくても簡単な会話なら成り立っていた。自分の名前もわからなくても、1+1=2 はわかる、という状態。

 

昨日は1+1の答えも言えないであろう状態だった。そもそも、こちらが問う質問が理解できなかった。


それでも、姉が用意してくれたモンブランを食べていた。そう言えば、モンブランが好きだったな。すっかり忘れてた。


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きっと今頃、私や父が訪問したことなんて忘れている。我々の訪問なんて、自己満足でしかないのかもしれない。

祖母には、散々嫌なことも言われたし、到底「大好きなおばあちゃん」なんて言えない。むしろ嫌いだった。一緒に住むことはストレスフルだった。

それでも、良かった記憶もある。

 

桃の剥き方を教えてくれたり
花札で遊んてくれたり、 
一緒にお買い物に行ったり。


良いも悪いも、祖母は全てを忘れてしまっている。

 

人間とは、私とは、勝手な生き物だ。

 

あんなに「あの意地悪ばあさん!」と心の中で(時には声に出して)罵っていたのに。全てを忘れられると寂しい。

 

人情って、そんなものなのか。


100歳おめでとう。色々忘れてしまっただろうけど、私は、おばあ様と○○したこと、覚えているよ。


そんな手紙を贈った。どこまで、祖母が文字を読めるのか、読めても中身を理解できるのか、わからない。

 

きっと三行目を読む頃には、一行目の内容を忘れる。

 

祖母に合わせて、大きな文字で、縦書きで。そんな工夫は全て無駄だったかもしれない。

 

ただの自己満足かもしれない。


「私は最善をつくした」


祖母の死の前に、自分がそう思える様に今できることをした。


人が死んでからの後悔。20年近く前に死んだ母方の祖母の時、とてもとても後悔した。


だから、他の誰かが死ぬ時は、同じ後悔をしたくない。


それがたとえ自己満足であっても。


コロナに伝染るのも、誰かに伝染してしまうのも、怖い。感染者が増える中、高齢者に会うのは褒められた物じゃないかもしれない。

 

それでも、私は会いに行って良かった。

 

こんな状況下、色々迷う。誰だって迷う。

 

皆様も、「自分なりの最善を尽くした」と言える選択をして欲しいです。

 

なぜなのか、死を意識すると後悔しない選択ができる

 

私も娘たちもまだまだ生きる。そう思っているせいなのか、子育て真っ只中の今も、ちょいちょい後悔が沢山。

 

常に死を意識する、というのは、ちょっと極端な気がする。良い塩梅を見つけたい2021年。

 

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初めての連弾が成功した

長女れーちゃん(5歳)は、2020年の夏にピアノを習いはじめた

 

ほぼ毎日練習を続けている。れーちゃんに合わせて分析しているママ(私)の励ましがあるとは言え、コツコツ続けてるのは凄いことだ。

 

このコツコツと支える私と、れーちゃんの努力の実りを感じる出来事があった。それは初めての親子連弾の成功。

 

れーちゃんがピアノを練習中している姿を見ると、私自身の幼少期を思い出す。まったく練習していなかった自分を。我が娘とは対照的な、「やらされてる感」満載な自分を。

 

小さい頃の私が、同じピアノの席に座っているのが、見えるような見えないような。

 

私もこんなに励まして貰えてたら、頑張って練習できたいたかもしれないのに

 

こんな思いが沸いては消え、消えては沸く。

 

習い始めの頃こそ、「2分だけでいいから練習して〜!」と私からお願いしていたものの、最近のれーちゃんは毎日30分程度練習している。日によってはもっと長くピアノに触っている。すごい集中力だ。

 

私が子供の頃は真面目に練習していなかったが、こうやって娘の練習のサポートをできる位のスキルがあって良かった。

 

練習の成果のおかげか、2冊目の楽譜の本の終わりが見えてきた。最後の方のページに連弾の曲があって。


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れーちゃんが主旋律(メロディー)を、私が副旋律を弾くという連弾。

 

れーちゃんの主旋律の練習に付き合い、下手っぴな私も副旋律の練習をして、なんと、れーちゃんが生まれて初めての連弾が成功した!!

 

 

音を間違えないように弾くと、リズムが少しズレたりする。れーちゃんに合わせようと頑張って、私が音を間違える。またはれーちゃんがリズムを間違えたり。

 

そんな事を何回も繰り返しながら、ちょっといびつなリズムの連弾が初めて成功した。

 

夏から始めたれーちゃんのピアノ。年の瀬のこの時期に、初めての連弾が成功した。大変な事が多かったこの年の、一つの大きな達成だった。

 

緊急事態宣言中に保育園がお休みで、24時間子供たちと一緒にいなければならない時期は辛かった。本が破けて子供の面前で大泣きしたこともあったなぁ。感染者は増え、自粛が必要な事は今も変わらない。

 

けれど、丸2ヶ月間二人の未就学児と24時間生活した時期を乗り越えたら、今の年末年始休暇なんて大した事はないな〜と感じたり。昔ほど連休が怖くない

 

色々あったけど、連弾という形で、今年の成果を感じることができたのは、とてもとても嬉しかった。形になるってやっぱり嬉しいね。

 

連弾の動画は…ちょっと恥ずかしいので、Facebookグループ「打たれ弱いママ日記読者の会」のメンバーのみに公開しますね。

 

連弾動画を見たいな〜という方は、ぜひグループに入ってください☺

 

今年も一年ありがとうございました。

明日も記事を書くかもしれないけど、まずは今日の記事でもご挨拶を。

 

皆様、よいお年をお迎えください。

 

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なりたくもなかったズルい大人

「大人ってズルい!」

 

そう思った事はありませんか?

 

そして、「自分はズルい大人だな」と思った事はありますか?

 

大人ってズルいなぁ。

 

子供の頃はそう思っていたのに、自分がズルい大人になってしまったことを感じる。それも、我が子相手に。その訳は…

 

長年使ったもの、愛着のあるものを手放す。ベビーカーを手放すことにセンチメンタルになっていた私ですが、次女ワカメちゃんは強く未練が残っていたようです。

 

ベビーカーに全然乗ってはいないものの、次女ワカメちゃん(3歳)にとって、ベビーカーは大事なものだった様子。

 

やだ!!

 

ベビーカーを人に譲る話をした時、ワカメちゃんは嫌がっていた。

 

ママ:ベビーカーは小さくて歩けない赤ちゃんのためのものだよ。だから、赤ちゃんのお友達に譲ってあげよう?

 

やだ!ワカメちゃんが小さくなったら、また乗るもん!!

 

(ママの心の声:おお、そう来たか。決して貴女が今より小さくなる日は来ないが、そこを否定してもきっと通じないし、むしろ余計にゴネるだろう)

 

ママ:そっか。じゃあもしワカメちゃんが小さくなったら、違うベビーカーを買ってあげるね。それでいいかな?

 

うん!!かわいいやつにしてね!!

大きくて丸いお目々を輝かせて、ワカメちゃんはそう言った。

 

なんだか罪だなぁ。

 

私は嘘は嫌いだ。上手に嘘をつくこともできないし、騙されることもできない。見栄えの良い建前をおぞましく思うたとえクソみたいでも、本音を聞きたい。結局、後々その方が揉めないのだ。

 

そう思うタイプ。それなのに、我が子に対してズルイ対応をしている。

 

せめてもの言い訳は、私は嘘はついていない、と言うこと。

 

もし、もし仮に、本当にワカメちゃんが小さくなったら、赤ちゃんに戻ったら、私はベビーカーを買ってあげる。

 

そう言った。「小さくなったら」という条件付きの約束。その条件は、決して満たされる事がない。

 

果たされない約束を、私はしてしまったのか。

 

 

「貴女はもう小さくなんてならないよ」

「小さくなったら、新しいベビーカーを買ってあげるよ」

 

現実を伝えるべきか、果たされない約束だとしても子供に少し寄り添うべきか。

 

 

後者を取った私は、なんだかやっぱりズルイ大人だなぁ、と思った。自覚しているのに、意図的にズルい大人になる日が来るなんて、あの頃の私にはなんて言い訳したら良いのか。

 

これまで「ズルい」と思っていた大人達は、それ程ズルくなかったのかもしれない。

 

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